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覆下茶園 |
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市内の玉露の生産量は、明治40年に45貫(168・75キログラム)であった。
したがってこの時すでに市内に覆下園があったことは確かである。
覆下園(『西尾市史』1111ページ)というのは、茶畑に支柱を建てその上に竹や、太い針金で棚を設けて葦簀(葭簀本簾)張りにするのである。
更に葦簀の上に藁や菰をかぶせて茶葉に日光の直射光線をさけるようにする。
この施設の直接の目的は、茶葉の新芽の硬化を防ぐことであるが凍霜害対策にも利用される。
支柱建て等の小屋組は、毎年3月頃にはじめた。
近年では鉄製の小屋組みや、コンクリートやプラスチック製の支柱に針金を張った恒久的なものにかわってきたので一斉に小屋組みをする風景は見られなくなった。
棚には葦簀を巻いて載せて置き、4月の遅霜時には降霜注意報が発令されると葦簀をひろげて霜が茶葉に直接当たらないようにする。
茶の新芽保護のため4月20日頃から本格的の葦簀張りを行なう。 |
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