西尾市茶業組合 EXPO
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概要
  茶の種類と製茶量

 まず茶の種類別の生産量を検討するのに注意しなければならないことは、(1)碾茶と玉露は覆下園で生産される。
煎茶は露天園、番茶は主に露天園であるが、覆下園からも生産される。
(2)碾茶は玉露より成長した茶葉を摘葉するため反当生産量が多い。
(3)番茶は露天園では煎茶にならないものすべてを含んでいる場合と、粉茶以外のものすべてを含む場合とがある。
そして覆下園の二番茶以降のものは大半が番茶となったことである。
 大正年間の幡豆郡内での茶の種類別の製茶量、価額、製造戸数も加えまとめてみると、まず気付くことは、前半は玉露の生産が中心で、後半の中途に碾茶の生産がはじまり、末年にはその態勢がととのったことである。
したがって、玉露は前半は順調な生産の伸びが見られるが、後半は碾茶の生産が軌道にのった11年を境にその伸長は不安定となった。
 煎茶と番茶についてみると、いずれも大正4年に1000貫(3750s)台にのせ、翌5年に煎茶が番茶を追い抜いた。
以来煎茶は、9年、11年に番茶より下回ったが、それ以外は番茶を上回っている。
そして、双方ともほぼ順調な増産である。
緑茶以外では大正元、4年に少量の紅茶が生産されている。
 市内の碾茶と煎茶について県全体と対比すると、玉露では大正3年の58.2lが最低で、その前年の66.1l以外は75l以上、後半には90l台となる。
碾茶では11年から13年まではその生産態勢の整備期間とも見られ、生産量は少量でしかも不安定である。
末年には一挙に倍増し、1000貫の生産を見る。
この間、県全体と対比すると最も落ち込んだ13年に38.3lであった以外は70l以上である。
 つぎに県下主要茶業地の生産状態をみることにする。
三郡の玉露茶の生産量と北設楽、額田、碧海、八名、渥美以上五郡の総生産量に対する煎茶と番茶の割合を示すものである。
玉露茶の生産量は、幡豆郡に次いで碧海郡が多い。
しかし、年々減少の傾向である。
北設楽、額田両郡は総生産量に対する玉露茶の割合が3・2パーセント以下である。
渥美郡は玉露茶の生産は皆無である。
煎茶と番茶についてみると、北設楽、額田両郡は煎茶が中心であった。
ところが北設楽の場合煎茶は年々減少するのに対し、番茶は増加している。
額田郡もほぼ同様な傾向であるが、煎茶は大正10年を最低とした中弛みの傾向がみられ、末期に再び減少する。
また額田郡の番茶は期間中6年と10年が高いがほぼ安定した生産量維持している。
煎茶の減少、番茶の増加は茶業の典型的な衰退現象を示すものである。
碧海郡は煎茶、番茶共順調に増産されている。
渥美郡は末期に茶園が急増した茶業地で、樹齢が若いため全体の生産量が低く、大正期は番茶が主である。
その番茶も末期に急増した茶園での生産は大きな影響を与えるに至っていない。
煎茶は減少傾向で、これは茶業者の交代を臭わせている。
碾茶については、北設楽、碧海、渥美、八名の四郡は皆無、額田郡のうち岡崎市内で大正11年から幡豆郡に次ぐ生産を上げている。

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