西尾市茶業組合 EXPO
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概要
  茶師

 機会製茶の場合は特殊な技術を必要としないため、製茶機が導入されてからは家族や地元の者で加工するようになったが、上町の製茶場にはかつては、「毎年約三百五十人の茶師が島田町(静岡県島田市)、初倉町(同上)及び伊勢(三重県)から来る」(同上)といわれた。
茶師は明治三十年代から上町にもいたが、手揉みは非能率のため多人数を必要とし、地元の茶師のみでは賄いきれないため、県外の茶生産地から雇ったのである。
「製茶の品質は製造法の如何に依って著しく左右されるものでこの製造法(手揉み茶)は最も困難で熟練を要する」といわれ、「茶師は上師と下揉に分かれ、優秀なものが上師」(同上)となった。
また、茶師の賃金については、「大工よりやや高く、現在の不況でも上等は日給二円、中等は一・五円、下等は一・二円」(同上)とあり、大正十三年よりかなり安くなったことがわかる。
手揉み茶師は、一日に生葉で約十九キログラム分の荒茶の加工ができて一人前といわれた。
技術の優れたものは、同じ量の生産であっても良質な加工をする。
茶師の労働時間は、午前四時には工場に入って作業にかかり、午後七時、八時までの重労働であった。
 茶師の中には、当然のことながら上等茶師であっても仕事のできる者とできない者とがある。
それは、県外から雇った茶師の場合実務をさせてはじめてわかることだ。
それが製茶場主側では、単に等級の差として割り切れない。
そこで、工場主は能率のあがらない茶師については、「早朝、まだ茶師が起床前に草履を揃えておく」(上町 稲垣嘉男談)。
それは暇を出したという無言の指示であった。
出稼ぎ茶師の哀史である。

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