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製茶法の恩人 |
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以上に述べた各種の研究会を通じて、また個人的な伝授とういう形で、西尾茶の向上に貢献した恩人たちをここにまとめておく。
表紙に「役員名簿 愛知県茶業組合取締所」(上町 杉田寛清蔵)と書かれた名刺帳の末葉の二ヶ所に目を惹かれた。
いずれも杉田鶴吉が受信した葉書の発信者名の部分を切り取って差し留めたものであるが、そのうちの一枚は「山城国宇治郡木幡(宇治市)東松尾茶館松尾清之丞」からのもので、その上部に「小生の茶に付き碾茶教師」と杉田の筆で墨書きされている。
杉田は、明治36年から松尾方へ製茶研究に出掛けていることは前述のとおりである。
松尾の製茶場では、特に碾茶の技術を学んだのであろう。
いま一枚は、栗田和作(小笠郡中内田村内田)からの年賀状を切ったもので、その上部に「小生の茶教師」と墨書している。
杉田が栗田と出会ったのは、明治40年7月に牧ノ原で開催された静岡県茶業研究会第一回講習会に杉田が参加して以来のことと推定できる。
杉田は撚り茶の技術を栗田から学んだのである。
製茶法の新技術を西尾茶へ導入した人たちは多かった。
「役員名簿」には、明治40年前後に西尾茶の製茶技術の向上に参加したであろう県外の茶師等技術者の名前がある。
ほかにも、杉田鶴吉と何等かの交際があった県内の茶師名もある。 |
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