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幡豆茶業組合の創立 |
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足立順道や高橋下登見爾の創業以後、茶関係者が増加して、明治17年4月、幡豆郡茶業組合が誕生した。
初代組合長(組長といった)には天王町の石川松太郎が選任された。
この組合の設立当初の組合員数は、総数27名、うち市内8名であった。
この組合は、愛知県茶業組合連合会議所の下部組織として各郡に設けられたものの一つであった。
また、各府県の連合会の「気脈ヲ連通スル」(茶業組合中央会議所規約第二条)などの目的をもった茶業中央会議所が最上部団体として東京に設置された。
当時の幡豆郡茶業組合は、茶園経営者の生産団体とは性格を異にし、組合員の大半は茶の小売店主でしめていた。
したがって、組合員の地域別分布をみると、郡内各地に散在していた。
「製造販売」というのは、生葉を購入して製茶するいわば製茶工場で、茶の卸業でもある。
市内の組合員は、全体で8名にすぎず、なかでも茶園主は上町村紅樹院住職の足立明道と寄近村の高橋下登見爾のわずか二名である。 |
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