不連続日記
 日記と称しているが、まず毎日の書き込みは不可能だし気が向いたら書き込む程度のページ。それでも市政にかかわる情報をできるだけ織り込みながら綴り、楽しみながらためになるページ・・にするつもり。
平成18年2月〜5月25日              平成17年11月〜平成18年1月まではこちら
2006年5月25日(木)
ニイタカヤマノボレを打電
 平成19年4月にオープンする依佐美送信記念館が一足早く議会関係者に公開された。送信機パネルやモーター、コイルなど当時の通信技術の高さを物語っていて見ごたえがある。コイルの躯体は全て木でできていて、ボルトやナット、ビスにいたるまですべて木だ。昭和2年に着工、同4年に完成し同5年から本格使用された。1941年には真珠湾攻撃の暗号“ニイタカヤマノボレ”を打電した。歴史的にも技術的にも意義ある施設だが、リピーターをどう増やしていくか、館内での学習、講座開設など楽しい企画と工夫が求められる。担当と指定管理者の運営能力が問われている。
2006年5月20日(土)
最近矢追純一さん見ないね

 ユッフォーと、言えば、清水アキラの坂田利夫師匠の物まねを連想する人が好きだな。ミササガ公園のバラを写真に収めようとやってきた。いろんな種類、色のバラが楽しめ、また香りもなんともいえないいい気持ちだ。バラの赤と空の青、芝生の緑を写真に収めたのだが、かえってびっくり!UFOだ。画面が小さいのでわかりにくいが空の真ん中付近に見える黒い点がそれ。ほとんどが見間違いか、自然現象、インチキらしいが多少ロマンがあってもいい。まっ、写真も鳥だろうが、そんなことはどうでもいい。これはユッフォーだ。それっ、チャンチャンチャン〜♪

2006年5月14日(日)
友達が増えません

 ひ、ひろしです“ミササガパークからハイウェーオアシスを経由して、カキツバタを見らんね?”と、誘ったとです。“みんな知らんふりすっとです”ひろしです、じゃあないが、いつものマニア?7人でウォーキングした。なあに、たいした距離ではない。青山斎園の入り口付近に看板があってそこから5キロだから、12キロほどか。ミササガ公園のバラに始まり、ツツジや桐、黄菖蒲などいろいろな花を楽しみながら天然記念物のカキツバタを見てウォーキング終了。ハイウェーオアシスで温泉を楽しみレストランで豪遊?無料バスで帰宅。こんなリッチで優雅な小旅行だが、『友達が増えんとです』ひろしです。

2006年5月12日(金)
知らなかった

 トロースドルフ絵本美術館展赤ずきんと名作絵本の原画たちを鑑賞に行った。子供の頃読んだ記憶はあるが、赤ずきんが狼に食べられて、終わりだったように思う。狼のおなかから猟師に助け出され、石をつめられた狼が池でおぼれて死んでしまうというのはあまり印象に残っていなかった。これも童謡作家によっていろいろな形で発展して来たからそうだ。助けられた赤ずきんは猟師と結婚して子供をもうけた。その子供も赤ずきんを羽織っていたなど・・。赤ずきんが子供で愛らしいものから大人まであったり、狼も多種類で楽しめる。平日だったがお客さんも大勢いて、人気の高さを物語っている。

2006年5月5日(金)
知らないんだって

 こどもの日のこの日、高須公民館主催の節句大会が開催された。連休の中日で人数は少なめだが楽しく過ごせた。子供たちはフリスビーでのストラックアウトやサッカーボールをゲートに入れるゲームなど5種類で得点を競った。来賓も参加することができて、今年も来賓の部の2位入賞だった。ヤクルトタフマンを2本ゲット。今年から子ども会役員になった人たちの初事業だ。こうした行事を通して、励まし合い、助けあっていくことで仲良くなっていくんだろうな、大変だけど頑張ってほしい、とおじさんは願っている。子供たちはかりでなく、新役員さんにもいい思いでなったに違いない。

2006年4月30日(日)
千成ヒョウタン
 今年も千成ヒョウタンを植えた。昨年残しておいた形のよいヒョウタンの種を10鉢くらいに蒔いたが、7割くらいしか発芽しなかった。蒔く前に種の中身があるか確認しなかったという初歩的ミスのようだ。写真はすでに5月に入ったもので、苗を友人にもらったもの。種を蒔いたものはもう少し小さい。例年になく日照時間も少なく、気温が低いせいか発育が遅いように思える。今年は2鉢もらってくれる友人がいたのでうれしい限りだ。『お気楽・ヒョウタン研究会』と名乗ることにした。これから親ツルになる芽を摘み、子ツルを伸ばすようにするのだがよく解らん。
2006年4月23日(日)
自然の恵み
 竹林研究会主催の筍狩りBBQツアーが華々しく開催された。妻の親族が所有する豊田市内の山だが、真冬に竹を伐採をし炭焼き小屋に運ぶなどして手入れした立派?な竹林だ。筍の生える竹林は番傘を差して歩けるほどの間隔が良いとされて、3年くらい手入れは続いている。そのせいか柔らかくおいしくなったような気がするのだが。今年は例年になく寒さが続いたせいか、小ぶりで、量も少なかった。みんなで掘るので、あっという間に掘り終わったが、ワイワイ良いながら楽しいひと時であった。年に一度の楽しみな行事で、又深酒してしまった。
2006年4月14日(金)
まもなく見ごろ

 ミササガ公園にある芝桜がまもなく見ごろを迎えそうだ。冬が寒かったせいか例年より多少遅れ気味かも?知れないが、それでも白や赤、紫も混じって部分的ではあるがきれいだ。見ごろは下旬からゴールデンウィークにかけての頃か。約1000uに約4万株ほどの芝桜が植えられている。白や赤の小さな花のじゅうたんは訪れる市民に安らぎをもたらすことでだろう。芝桜は香りでも楽しめる花だと言う。春の風を感じ、目と鼻で心の癒しに出かけてみたら?これから各種のバラが咲き誇り、ミササガ公園は1年中でもっとも華やかな時期を迎える。

2006年4月13日(木)
結構楽しめる

 名古屋市にある港防災センターへ行ってきた。近所の消防団活動する青年に勧められてやってきた。ここは結構楽しみながら防災を学ぶことができる。地震体験室で昭和19年に発生した東南海地震のすさまじさを味わい、2階では伊勢湾台風の恐怖を3D映像で体験する部屋や火災発生時の煙が立ち込める真っ暗な部屋の中から脱出すると言う煙避難体験室での体験など実践的な訓練を受けられる。昭和30年代の教室や民家、町並みが再現されていて懐かしい。近くには名古屋港やイタリア村などもあってデートや子ども会活動に最適。お勧めのスポットだ。

2006年4月12日(水)
悲しすぎる

 15の若すぎる命がこの世を去った。テニスが好きな女子中学生で、浴室内での心臓発作と聞いた。通夜も告別式も同級生や仲間がたくさん訪れ、嗚咽と号泣の中で執り行われ、あまりにも悲しすぎる光景に涙してしまった。教育委員会をたずねた。年度当初、5月頃までに児童生徒の各種健診や診断が行われる。心電図も実施されるが、再検査、要注意の子供たちには養護教諭を通して、くれぐれも注意をするようにお願いをした。市はこれまで、身体に心配な症状のある子供には、スポーツのクラブ活動での運動量や内容、体育授業などの相談を父兄としているとのことでした。そうした努力もむなしく残念な結果となってしまった。今回のような悲しい別れを繰り返してほしくないとの願いを込めて、改めて校長会などの機会を見て、注意を促すようにお願いした。いま自分にできることはこんなことでしかない。残念だ。嗚呼、合掌。

2006年4月5日(水)
遠くへ行かなくても

 夜桜を楽しもうと、亀城公園へ出かけた。あいにく午後7時頃には雨が降り出した。ここのところ強風だったり雨だったりで桜を楽しむ前に散ってしまいそうだ。平日の午後と言うこともあって人は少なめだったが、それでも会社の新入社員歓迎会と思しきサラリーマン集団があちこちで宴会を楽しんでいた。我が家の隣にITと電気関係の会社がある。その駐車場にはたくさんの桜の木が植えられていて今満開を迎えている。毎年この時期夜には電灯がともり、夜桜を楽しむことができる。公園の雑踏も喧騒もない静かなたたずまいに気持ちが落ち着く。

2006年3月27日(月)
懐かしい!

 資料館で開催中の収蔵品展を見に行った。改めて旧亀城小学校校舎の重厚で荘厳な造りに感銘を受けた。廊下は広いし天井も高い。先人たちは決して豊ではなかっただろうに、子供たちの教育には惜しみなく財を投入した偉大さを誇っているような建物だ。教室の一角に当時のままの黒板がある。太い木の枠が額縁となった立派なものだ。ちょうど40年前写真左上の教室でこの黒板に向かって勉強していた星野少年。階段の手すりや腰板、白壁のどこかに生きた痕跡を見つけようと記憶を手繰り寄せてはみたが、見つけられなかった。懐かしさと切なさがこみ上げてきたひと時だった。

2006年3月20日(月)
残念!
 依佐美送信所本館などの取り壊しが間近に迫っていることが明らかになった。24日に取り壊しの安全祈願祭?を挙行した後、内部の片付けなどから始まり、4月初旬には解体工事の本格的に着工の運びらしい。工期は5月20日まででそれまでには更地となるとか。『ニイタカヤマノボレ』などで知られる送信所がその歴史を終えこの地から消え去ろうとしいている。送信所の歴史は新たに建設される記念館で語り継がれることになる。ひとんちの建物にあーだこーだとは言えないが、建物そのものに歴史的意義を感じている小生にはちと残念な結果でもある。目に焼き付けておこう。
2006年3月20日(月)
ほ〜た〜るのひか〜りはなかったけど・・
 双葉小学校の卒業式に参列した。校長先生の祝辞は、感謝の気持ちを忘れずにいてほしい、夢に向かって生きてほしいというものだった。夢のないところに行動のエネルギーは生まれない、目標のないところに栄光は訪れない。おじさんもそう思う。夢を思い描きまっすぐ生きていくのは若い衆の特権でもある。『人生こんなもんだ』や『まいっか』はおじさんらの逃げの常套句だ。そういえば近頃『まいっか、明日で・・』『まっこんなもんか』が多くなったように思う。昭和41年3月、亀城小学校卒業。あれから40年。夢をどこかに置き忘れてしまったのだろうか。大丈夫?星野少年。
2006年3月18日(土)
『県庁の星』
 『オールウェイズ〜3丁目の夕日』や『博士の愛した数式』『男たちの大和』など邦画が結構面白い。『県庁の星』を見た。自分はエリートで庶民とは違うなんて勘違いしているキャリア県庁職員とスーパーのパート社員とで3流スーパーを改革していく物語。やがて自らが手がけるはずであった200億円の大型プロジェクトに疑問を感じていくという話だ。そもそも県庁はじめエリート公務員がこんな人間性だと見ていることや、県議会に一係長が発言するなどチョッと現実離れしているが楽しめる作品。改革の壁はとてつもなく厚いということか・・。感動モン、おススメ。
2006年3月15日(水)
向上心、意外、驚き、努力、はて?

 昨日、一昨日の真冬並の寒さからうって変わって今日は春の陽気だ。近くの堤防の土手にも土筆が顔を出している。昨年近所の人が田んぼの土手につくしを採りに来る親子に『つくし、採らないほうが良いよ』って言ってるんだと話していた。親子は怪訝そうな顔で見るが『昨日、農薬だか除草剤だか蒔いて行ったよ』と言うとみんな持っていた土筆を放り投げると言う。つくしの卵とじなんておいしいのに寂しい話だ・・。昔は土手や河原を焼いて病害虫を駆除していたがいまや野焼きもできない。知らなきゃよかったって?残念!タイトルはつくしの花言葉。

2006年3月13日(月)
なにやってんだか

 まったく何やってんだか?と言うような事件が発生。長崎県○○の市議会のセンセ、こともあろうに議員研修の打ち上げの懇親会にコンパニオンのオネーチャンを呼び、野球拳をやりスッポンポンのままお酌をさせたとか。研修終了後の私費による懇親会とはいえ、品位が疑われる行為と言わざるを得ない。人差し指と小指を立ててジロさんよろしく『とびます、とびます』とやったかどうかはしらないが、議員のセンセ、みんなこんなことやってんのかね?なんて言われかねない。かく言う小生らも宴会はやるし懇親会もやる。だが当然のことながら私費であり、オネーチャンを呼ぶ事はまずない。だが、酔ってしまえば異様な集団と化すことになるし、一歩間違えば魔がさす事だってないとも言えない。そこは自分にだって落とし穴はあるかもしれないから要注意だ。歳費のカット、政治倫理条例の制定などで幕引きのようだがそれで収まるとは到底思えないのだが・・。(品のない文章でスミマセン)

2006年3月8日(水)
祝 卒業!
 わが母校、依佐美中学校の卒業式に出席した。いい卒業式だった。入場する卒業生は3年間の学校生活に満足げであり誇らしげであった。今年の卒業式のやり方は少し違っていた。今まで壇上から卒業証書を手渡し、挨拶も高いところから見下ろす形であったが、今回演台が体育館中央、卒業生はこれまで通り中央前方、父兄がその両脇と言う具合だ。これまで卒業生の父兄は一番離れたところからわが子の姿を見ていたが、一番近いところでわが子の晴れ姿を見るのは親の特権だ。37年前、この学び舎を巣立っていった星野少年の姿を思い出しつつ校歌をくちづさんだ。卒業生諸君、君らの人生に栄光あれと祈る!
2006年3月3日(金)
気になる
 3月1日から3月定例会が始まった。今議会から質問者の持ち時間が本会議場に掲示されるようになった。刈谷市議会は議員一人当たり答弁別で60分の持ち時間がある。全国では答弁込みで60分というところや質問だけで30分などいろいろある。長すぎる、短くすべきだなどと、自らの首を絞めることを平気で口にする議員もいるようだ。しゃべって何ぼが議員の世界だ。この日1番で登壇した小生。時間を気にしながらも42分の質問だった。大体いつもこのくらいなのだが、しゃべるほうも聞くほうもここらが限界かなとも思う。だが短くしても良いと言う意見とは組しないのは当然だ。(質問公開中)
2006年2月25日(土)
サイクリング〜サイクリング♪ヤッホーヤッホー
 明日の日曜は大荒れの雨になりそうなので、今日、今議会で提案されている多自然型護岸を見に行った。猿渡川沿いの堤防を自転車で走った。多少寒さはあったが少し春めいていて汗をかくくらいだった。目的地の今ひとつは、境川下水道関連事業として提案されている流作新田の土地の買収と水辺の緑地事業の現場だ。3月議会では2つの事業について質問テーマにとして質疑するつもりだ。水辺の緑地作りは提案が唐突でその目的必要性が伝わってこないし、多自然型護岸といいながらこれまでの自然を破壊しているようで釈然としないからだ。3月3日午前10時登壇予定。
2006年2月22日(水)
春はもうすぐ
 当家の広大?な庭先にある梅がちらほらと咲き始めた。寒い寒いと過ごしているが自然は確実に春の気配を感じ、その準備に入っている。白く小さなその花は『春はもうすぐだよー、頑張ろうね』と語りかけているようだ。梅と言えば思い出すのが『東風吹かば・・』の菅原道真公だ。どうして学問、受験の神様なのかは知らない。もともと学者だったけれど、今で言う県知事や内閣官房長官、政界のナンバー2に躍り出た人のようだ。晩年は大宰府に左遷された。今年も高校、大学受験という人生の岐路に立つ人も多いことだろう。こちらの必ず春はやってくるとは限らないが・・。受験生諸君!祈 健闘!
2006年2月21日(火)
1日仕事
 母の目の病気治療に2ヶ月に1度くらい名古屋のS眼科に来ている。目の治療には定評のある病院で遠くは沖縄のほうからも来るそうで、この日は受診者の番号は400番台を越えていた。大変な込みようである。白内障は全国に約158万人くらいいて、そのうち女性の患者数が約115万人だそうだ。男性43万人と圧倒的に少ない。眼帯をはめたおばあちゃんを年老いたおじいちゃんが手を引いているなんて光景を病院内でしばしば見かける。ほほえましいというより、老老介護の厳しい社会の縮図を見ているようで迫るものがある。道中、車内で母の語る昔話や近所で起きる出来事に耳を傾けるのもまた楽しい。マザコンと言われようがそれはそれでいいのだ、と自分に言い聞かせている。
2006年2月13日(月)
おおーっ
 近所の人から『スズメバチの巣があるよー』との連絡を受け早速現場を見に行った。そこは人の住んでいない空き家で2階ベランダ近くに直径約20センチほどの巣があった。スズメバチが活動するのは夏から秋にかけてのことと聞いているし、あたりに飛んでいるような気配はない。棒でつついて採ろうかと思ったが、そこは空き家とはいえ他人の家なので、さしあたって農政課へ電話することにした。農政課いわく、『おそらくハチは入っていない、新たに巣を利用して住み着くということはない』?ということだった。駅のまん前という大都会でもたくましく生きている。この夏も要注意だ。
2006年2月12日(日)
不利益にならないように・・
 刈谷市消防団主催による消防観閲式が開催された。消防団員の分列行進や放水訓練、永年消防に従事された団員表彰があった。消防団長は謝辞で、消防団員の確保に協力をとの訴えがあった。地域の青年団が姿を消しつつあり、消防団員の確保も難しくなっているとの声を聞いてから久しい。団員勧誘を精力的にしてはいるが『仕事が忙しい』といわれれば次の言葉が出てこない。かつて青年団時代『青年は集団で育つ。地域で青年団や消防団で職場を離れても少しも不利益にならない有給教育制度を作れ』と関係機関に働きかけてきた。だがその制度は実現していない。残念だ。
2006年2月11日(土)
うれしいやら
 プライベートなことで恐縮です。6年前、くも膜下出血で42歳でこの世を去った弟に孫ができた。無邪気に微笑むかわいらしいその顔を見ると、いろんな思いが交錯して、うれしいやら悲しいやら・・。ここのところあまり良いことの続かなかった当家一族には久しぶりの明るいニュースだった。働き盛りの脳疾患での死亡をなくそうとの願いを込め、脳ドック健診の導入も果たし、健康事業や保健センター建て替えなど精力的に働きかけてきた。子育て支援も充実してきている。だがいまだその効果は現れていない。明るく正しく、まっすぐ生きてほしいと願うばかりだ。『生まれてきてくれてありがとう』と伝えた。
2006年2月5日(日)
遺物?

 今日の日曜日は久しぶりに何もなかったので、自宅から総合運動公園へ歩いて行くことにした。おかしいでしょ?往復約4時間(食事込み)の気まま旅は普段車で何気なく通り過ぎてしまう、いろんなことが発見できて充実していた。総合公園の一角に郵便局の寄付で作られたソーラーシステムの温度計立っていた。何度もここへは足を運んでいるが初めて目にする。郵政が民営化され将来『ゆうちょってなあに?』『郵便局って?』なんて時代がやってくるかもしれない。『おろかな決定したな』と感じるか『賢明な選択だった』となるかそれは分からない。−1.8度。あの騒ぎいったいなんだったのと問うように光っていた。こちらもどうぞ