三舎を避ける(さんしゃをさける) |
意味:へりくだった態度を取ること。一目置くこと。敬意を表すること。 「三舎」は軍隊の三日間の行程で九十里。約六十キロメートルの距離。 |
春秋時代、晋の公子・重耳(ちょうじ)は他国を転々としながら亡命生活を送っていた。
楚に着くと、楚は公子に酒食を振る舞った。楚王が聞いた。
「公子は晋に帰ることができたら、どのように恩に報いてくださるかな」
公子は答えた。
「子女玉帛は楚君はすでにお持ちです。
羽毛歯革の類いも楚君の土地の産物で、晋の国まで回ってくるのは、すべて君のおこぼれにすぎません。
何もお返しできるものはございません」
楚王が言った。
「だとしても、何か返して頂けるのでは」
答えて言った。
「もし、楚君のお陰をもちまして、晋への帰国が叶いましたなら、
晋・楚が兵を整え、中原で相対したとき、わたくしは楚の陣より三舎、後退いたしましょう。
かりに、楚君のお許しが頂けないときは、
左手に鞭と弓を持ち、右に矢袋と弓袋を提げ、楚君とお手合わせさせていただきます」
楚の意向もはたらき、重耳は晋への帰国を果たした。 彼が、春秋時代を代表する覇者の一人、晋の文公である。 文公は後に楚と対戦したとき、この時の約束どおり、行軍の三日分を退却した。
【春秋左氏伝・僖公二十三年】
※中原・・・中国の黄河中流域の平原地帯。