虎穴に入らずんば、虎子を得ず(こけつにいらずんば、こしをえず) |
意味:虎の穴に入らなければ、虎の子は得られない。何事でも危険を冒さなければ、大きな利益や成果を得ることはできないというたとえ。 |
班超(はんちょう)字は仲升(ちゅうしょう)、扶風平陵の人、徐令班彪(はんぴょう)の息子である。彼は志の大きい、小さなことにはこだわらない人であった。しかし親孝行で慎み深かった彼は、家では常に勤勉質素にし、苦労を恥としなかった。弁舌が立ち、書物も読みあさっていた。
永平五年、兄班固(はんこ)が校書郎に任ぜられ、班超と母は兄に従い洛陽に行った。
家が貧しく、役所のために書物を書き写す仕事をし、母を養っていた。長い労苦に、ある時、班超は筆を投げて嘆いて言った。
「男子たるもの、才知計略がなくとも、傅介子(ふかいし)、張騫(ちょうけん)のように異境で功をたて、侯に封じられるべきだ。なのに、どうしていつまでも筆と硯の間でじっとしているのか。」
これを聞いてまわりの者はみな彼を笑った。班超は言った。
「凡人に壮士の志が分かるものか。」
そののち、人相見の所へ行くと、人相見が言った。
「あなたは庶民の書生に過ぎませんが、万里の外では功を立て、侯に封じられましょう」
班超が相の様子を聞くと、人相見は指さしながら言った。
「燕のような顎、虎のような首、飛ぶことも肉を食らうこともできる。これは万里の侯の相であります」
久しくして、顕宗(けんそう)が班固に尋ねた。
「そちの弟はどこにおる」
班固は、
「役所の筆記をして、老母を養っております」
と答えた。
そこで皇帝は班超を蘭台令史に任命した。
後に連座して免官となった。
十六年、奉車都尉の竇固(とうこ)が匈奴(きょうど)を攻め、班超は司馬副官に任ぜられ、別働で兵を率い伊吾を攻めた。蒲類海で交戦し、多くの敵を斬り凱旋した。竇固は班固に才能があると考え、従事の郭恂(かくじゅん)と共に西域へ派遣した。
班超は鄯善国についた。彼らは鄯善国王の広(こう)から丁重に迎えられた。ところが、しばらくすると、突然粗略な扱いに変わった。班超は部下に言った。
「広が最近我々に冷たくなっているとは思わぬか、おそらく北方の匈奴からも使者が来て、王はどちらにつくか決めかねているのだろう。賢明な人間なら事が芽生えてすぐにも気付くものだ、ましてやこの状況では誰の目にも明らかであろう。
そこで、接待係の胡人を一人呼んでカマをかけて言った。
「匈奴から使者が来て数日になりますが、今どちらに滞在ですかな。」
胡人の召使は恐れおののき、すべて白状してしまった。班超はその胡人を閉じ込めると、同行してきた三十六人の部下を集めて、酒を振舞った。酒が回ってきた頃、激しい口調で言った。
「諸君は私と共にこの辺境の地で手柄を立て、富と栄誉を得ようと思っている。しかし、今匈奴の使者が到着して、まだ数日だというのに、鄯善国王は我々にこのように冷淡な態度をとりはじめた。もし、王に捕らえられ匈奴に引き渡されれば、我々の亡骸は山犬や狼の餌食となるのは免れまい。いかにすべきか。」
部下たちは口を揃えて言った。
「今、危急存亡の地にある、我々は司馬と生死を共にします。」
班超は続けて言った。
「虎の穴に入らなければ、虎の子供を得ることはできない。今できる策は夜陰に紛れて匈奴の使者を火攻めにすることのみ。敵に我々の数を知られなけらば、恐れおののくことは必定、全滅させることができよう。匈奴をつぶせば、鄯善国は恐れをなす。手柄を上げ、事を成すことができるだろう。」
皆が言った。
「従事どのと協議すべきではありませんか」
班長は怒って言った。
「吉凶は今日にも決まる。従事は文官のつまらん役人にすぎぬ。これを聞けば必ず恐れて計画を漏らし、訳もわからぬうちに死ぬことになろう。壮士にあらず」
皆が言った。
「わかりました」
暗くなると、手勢を匈奴の宿営地に潜入させた。大風が吹く中、班超は十人に軍鼓を持たせ宿営地の後ろに潜ませ指示した。
「火を見たら軍鼓を鳴らし、大声をあげよ」
そのほかは武器を手に、宿営地の両側に潜んだ。班超が風を見て、火を放つと、すぐさま軍鼓が響き、喧騒がわきあがった。匈奴兵は驚き慌て混乱した。班超自ら三人を斬りすて、部下は匈奴使者や従者三十人余りを斬った。そのほか百人余りはことごとく焼け死んだ。
翌日、戻って郭恂に報告した。郭恂は大いに驚き、顔色を変えた。班超は彼の気持ちを察し、手を差し伸べて言った。
「あなたが参加されなかったからといって、わたくしが功を独り占めするなどということはございませぬ」
班超は鄯善国王の広を招いた。匈奴の使者の首を示すと、国中が驚き恐れた。班超が諭して、いたわりを示すと、ついに王は子を人質として送ることにした。
【後漢書・班超伝】
※徐令(じょれい)・・・官名、徐州の県令(長官)。
※校書郎(こうしょろう)・・・官名、書籍の校正を司る職。
※蘭台令史(らんたいれいし)・・・官名、蔵書部の主典。
※奉車都尉(ほうしゃとい)・・・官名、車を所管する武官。
※司馬(しば)・・・官名、軍事を司る。
※従事(じゅうじ)・・・官名、地方の下級官僚。
※顕宗(けんそう)・・・明帝劉荘(りゅうそう)のこと。
※匈奴(きょうど)・・・前3世紀末から後1世紀末にかけてモンゴル高原を中心に活躍した遊牧騎馬民族。
※鄯善(ぜんぜん)・・・天山南路南道の要衝にあった古代オアシス国家。