百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず) |
意味:人から何度も聞くより、一度自分の目で見る方が確かであり、よくわかる。体験こそが何にもまして確実であること。 |
漢の時代、西北地域に居住していた羌(きょう)族が反乱を起こした。
この時、趙充国(ちょうじゅうこく)は七十過ぎで、皇帝はこれを老齢であるとして、御史大夫の丙吉(へいきつ)を趙充国のもとに遣って、誰が将軍に適任か問わせた。
充国が、
「この老臣にまさる者はおりません」
と答えると、皇帝は再び人を遣って尋ねさせた。
「羌族の勢力はいかほどであろうか。どれだけの兵力が必要か」
充国は、
「人から百回聞いても、一度自分の目で見ることには及びません。
戦は遙か遠くにいては謀りがたいものです。
まずはわたくしが、金城(きんじょう)へ行き、状況を見極めてから策を奏上したいと存じます。
羌族は小夷でありながら、天に逆らって、反逆いたした者、間もなく滅亡いたしましょう。
陛下におかれてはわたくしにお任せ頂き、ご心配なさらぬよう願います」
皇帝は笑って、
「よかろう」
と言った。
趙充国はすぐに現地へ赴き、状況を把握すると、まずは守りを固めた。 羌族が分裂するよう仕向ける一方、歩兵を使って屯田を行い補給を確保し、敵の疲弊を待つという戦略を取り、ついに多くの羌族を降伏させて、反乱を鎮圧した。
【漢書・趙充国辛慶忌伝】