2006年5月14日、その日に私の「趣味の原点」の一つが消えてしまいました。
70年以上の歴史を持った万世橋の交通博物館です。
その最後の輝きを噛み締めるため、4月22日に父とムーンライトながらで旅立ちました。
思えば小学校の頃、毎年のように父が東京に連れて行ってくれました。
そのときも何度か交通博物館に足を運び、一日中居座ったものです。
鉄道趣味人生の先輩たちよりもずっと短い間でしたが、本当にお世話になりました。
そんなこともあって、今回の旅はいつも以上に感慨深いものでした。
午前5時前、我々は東京駅に降り立ちました。
今回の一つ目の目的は、この駅舎の現在の壮麗な姿を記録することです。
この赤レンガと八角屋根の組み合わせも今年で見納めになってしまうのです。
私にとってはこの駅は首都の玄関というだけではなく私の趣味の原点の地への表玄関なのです。
はっきり言ってもとのドーム型屋根の駅舎なんかに馴染みはありません!
この姿こそ私の中の「東京駅」のイメージなのです(TдT;)。
それでも本来の姿に復元してもらえるのだから駅舎としては嬉しいのでしょう…。
複雑な気持ちを抱えながらも、無事に生まれ変わった姿を見せてもらうことにしましょう…。
気を取り直して総武線地下ホームに向かうことにしましょう。
総武快速線のE217系クロスシート車に揺られて1時間程で次の目的地、木更津に着きました。
着いて早々発車メロディーに笑わされました。
なんと、あの「証誠寺の狸ばやし」だったのです(大爆笑)!!
いきなり「しょ しょ 証誠寺 証誠寺の庭は つんつん月夜だ み〜んな出て来い来い来い」とメロディーが響き渡るのです!
想像しただけで笑えますよね。
けれど、こんなに素敵なスカ色の113系や気動車区、そして転車台も見ることが出来ます。
そしてこんな魅力的な駅からさらに魅力的な久留里線が分岐しているのです。
これがこの久留里線だけで走っている通勤型気動車、キハ30・38型です。
この気動車も現在では博物館級の価値を持っています。
それを実証するかのようにステンレス試作車のキハ35 901は「横川鉄道文化村」に収蔵されています。
しかも、この線ではバリバリ現役で走っているのです!!
これは本当にすごいことだと思いませんか?
車内は通勤型らしいロングシートです。
ただし側扉が外吊り・ステップ付のため、とても特徴的な構造をしています。
左写真で特に注目してほしいのは中間連結されたキハ30の車掌側の乗務員室です。
なんと客室との仕切り扉が折りたたまれて乗務員扉を塞いでいます!
これは111系湘南電車の最初期型にも見られた特徴です。
こんなところも今ではこのキハ30系でしか目にすることは不可能になってしまいました。
キハ30の撮影に没頭していると、なにやら定期列車の時間でもないのにアナウンスが流れました。
そして、なんと485系お座敷電車の「宴」が入線してきました!!
全く予想していなかった「宴」の登場にテンションがマックスになってしまいました(笑)。
この列車は何年か前に安城駅に停まっていたのを撮り逃したため、本当に幸運な再会でした。
乗りたくなったんですが、予定が狂うのでやめにしました。
ジョイフルトレインには一度は乗ってみたいものですよね。
この久留里線に来た目的はこれを見るためと言っても過言ではありません。
この線ではなんと、今なお現役のタブレット閉塞を見ることが出来るのです!
しかもちゃんとあの「赤い閉塞機」を使っていて、あの懐かしい鐘の音も聞けるのです!!
最近よくある交換するだけの所とは格が違います。
ただ残念なのは閉塞機の見学が出来ないことと信号機が腕木式ではないことです。
この二つさえなければ「特Aランク」を授けたでしょう。
この駅が木更津から一番近いタブレット交換駅です。
ナチュラルな木造駅舎がきれいに残っている住宅地の小駅です。
しかも待合室でのんびりしていると閉塞機の鐘の音が「チン・チン」、「ボン・ボン」と響くのです。
それに木のベンチには地元の方が作ったと思われる座布団が置かれています。
懐かしい気分に浸るにはこの駅が一番良いでしょう。
早朝だったせいかとても静かで、木更津で買った駅弁をのんびり食べていました。
また次に久留里線に行った時はぜひ全駅制覇を成し遂げたいです。
木更津に戻ったあと、特急さざなみに乗って東京に向かいました。
これが本当に快適な車両で、ムーンライトながらの座席とは大違いでした。
東京に着くまで本当に尻が痛くて眠れなかったので、ここぞとばかりに爆睡しました。
そして、気付いた時には東京の京葉線地下ホームに停まっていました。
ムーンライトながらもせめてこれぐらいの座席を装備してもらいたいものです。
オレンジの201系に乗って着いた神田駅から徒歩で交通博物館に向かいます。
この201系もそろそろ引退の噂が出ています…。
アキバの街を背景にオレンジ一色の電車が走る風景も過去のものになってしまうようです。
悲しいことこの上ありません。
交通博物館でしか見られなかった0系と201系の2ショットも、もう二度と見られません…。
0系やD51のカットボディー、そしてエントランス頭上にはさよなら記念の装飾が施されていました。
最後の華やかさを一所懸命に演出している様が泣かせます…。
脇の中央線ガードに書かれた「交通博物館」のロゴもいずれ消えてしまうのでしょう。
これが交通博物館の象徴であり中心であった「機関車ホール」です。
東海道本線の箱根越えで活躍した3950型マレー蒸機と、最後の旅客用蒸機であるC57135が保存されています。
この2両もお別れヘッドマークを着けています。
両方とも記念すべきすばらしい機関車ですが、マレーのほうはカットされてしまったのが痛々しいです。
構造を知るためにはいいのですが…。
2両のテンダー側の奥には150型蒸機(「やえもん」こと一号機関車)が隠れています。
交通博物館のもうひとつの特色は、模型展示がとても充実していたことです。
左は関門トンネルの、右は上越国境のループ線の断面模型です。
しかも、この2つとも電動で動くのです!
40年以上も昔からこんな斬新な方法で鉄道施設を紹介していたなんて、つくづく偉大です。
交通博物館の特色はまだまだあります。
その名の通り、各交通手段を総合的に扱っていたのです。
このスバル360・テントウムシをはじめとしたクルマ、機関車ホールに吊り下げられた複葉飛行機とベル製ヘリコプター、
そして多数の船の模型までもが収蔵されていました。
こんな総合的展示はこれから出来る「鉄道博物館」には望めないでしょう。
魅力はまだまだ尽きません。
この交通博物館は万世橋駅跡に造られたのはとても有名ですね。
この区間の中央線はこんなにアンティークなレンガの陸橋の上を走っているのです。
しかもその下が交通博物館の館内だったのです。
展示物を見ているとすぐ頭上を201系が通り過ぎていくのです!
こんなにも鉄道を身近に感じられる場所にあったなんて魅力的すぎます!
右写真の円を描いた階段も昭和初期の優雅な感じが出ていて好きな所の一つでした。
この食堂も思い入れのある場所の一つです。
館内奥にあったので気付かなかった方もおられるかもしれません。
けれどここの窓からは中央線の201系が見られたのです!
しかも食堂車のメニューを正確に再現していたのです!
数年前に行った時に食べた時のおいしさがよみがえってきます。
この博物館の前身が昔の中央線のターミナル駅・万世橋駅だったということはさっき紹介しましたね。
さよならキャンペーンの一環としてその駅の遺構が公開されました。
実はこの遺構の探検ツアーに参加したかったのですが、整理券制だったので入れませんでした(TдT)。
しかし、機関車ホールの脇の休憩室のさらに奥に続く幻の階段が公開されていたのです!
それに、ホーム自体は何年も前から屋上から普通に見学できるのです。
この目で実際の探検コースを見られなかったのは残念ですが、RMの特集を見て大体はわかっていましたし…。
しかし、交通博物館が消えるとこの貴重な遺構はどうなるのでしょうか。
解体なんて勿体無い事だけはしないでもらいたいものです。
交通博物館を3時間ほどで離れた我々は、3分ほど歩いてつくばエクスプレスの秋葉原駅に行きました。
この路線は開業以来まだ一度も乗っていなかったので、せめて完乗だけはしようと思って乗りに行ったのです。
しかし、ホームドアの着いた地下駅は写真が撮りにくくて困ります。
せっかくの始発駅なのにこれはいただけません。
しかし、地上に出ると結構写真が撮りやすい駅が出てきます。
左写真は守屋駅ホーム端で撮れた物です。
この顔はかっこいい中にも可愛さがあり、この車両をモデルにしたマスコットキャラ「スピィーフィー」も結構人気があるようです。
番号札と側面の帯が赤いこのTX2000系が交直流両用車で、守屋以降はこれしか入れません。
直流専用のTX1000系は守屋で折り返す通勤専用列車の運用に就いています
「柿岡の地磁気測定所に影響を与えないため」らしいのですが、おかげで茨城県が気動車・交直流車天国になっているのです。
「感謝感激雨あられ」ですね(笑)。
この鉄道は新しいということもあってほとんど揺れません。
しかも当たり前に時速130キロで走っています。
一番驚いたのは交直流切り替えのためのデッドセクションで車内の電気が消えないことです。
味気ない面があるのは否定できませんが通勤用としてはこれ以上の快適空間は無いでしょう。
つくばエクスプレスで守屋に戻り、関東鉄道常総線と常磐線経由で佐貫に向かいました。
第2の目的である関東鉄道竜ヶ崎線の全駅制覇のためです。
まずは終点の竜ヶ崎駅から解説しましょう。
この駅は一本の頭端式ホームと車両区を持つ典型的な終着駅です。
ホーム上屋の形から見て、昔はもう一本線路があったことが想像できます。
駅舎内には食堂が営業していてうどんが絶品でした。
小さなバスターミナルも隣接しています。
車両区はとても小規模です。
模型で再現したくなってきますね。
車庫が木造で、中に旧型車両が1両だけ残されているのがなんとも言えません。
給油設備や外に置かれた車体上げジャッキなど、参考になる物がいっぱいあります。
次は唯一の中間駅、入地駅です。
里山風景と新興住宅街に囲まれたとても小さな駅です。
長年の歴史を感じる駅名標と待合室がなんとも言えません。
駅から徒歩圏内にはこんな良い雰囲気の第4種踏切が健在です。
踏切の向こうのネコがローカルな空気を盛り上げてくれました。
そこからちょっと歩けばさらに開けた良い撮影地があります。
車両は新車がほとんどですが、私のお薦め駅の一つになりました。
最後は常磐線との接続駅、佐貫駅です。
常磐線の橋上駅舎の階段のすぐ向かい側にあり、迷うことはまず無いでしょう。
しかし、難点は接続時間が短いことです。
飲み物を買っている時間もありません。
この駅では窓口の係員の方に頼むと全駅の硬券入場券と全区間の硬券乗車券を買うことが出来ます。
もちろん私は全種類買いました。
全駅制覇の後、常磐線に乗って上野に戻りましたが、快速線だけではつまらないので緩行線にも乗ることにしました。
もちろん203系電車に乗るためです。
あの独特な前面と歴史を感じるアルミ車体がなんとも言えません。
アルミ車体だからまだ引退はしないと思いますが、ちょっと不安です。
関東圏は電車の置き換えペースが早すぎますから。
上野に戻った後、高田馬場の「鉄腕アトム主題歌」の発車ベルを聞いたりしてから東京駅に戻りました。
そして「ひかり」で名古屋に戻り、今回の旅は終わりました。
交通博物館が消えたのは残念で仕方ないですが、鉄道博物館への進化を楽しみに待つことにします。