出雲のお別れ旅行から帰った後の4月2日、18きっぷの余り1日分を使って三重に行きました。
そのときに巡った鉄道博物館と、特徴的な駅などを紹介します。
まず、名古屋駅に出て、そこから「快速みえ」に乗りました。
この列車は、先だって廃止された「急行かすが」と同じキハ75が使われています。
しかしこの編成は、「みえ」用に造られた、由緒正しい1次車です。
この形式は気動車とは思えないほどのスピードを出せるカミンズ製エンジンを搭載しています。
そして、席さえ取れれば快適な旅を約束してくれます。
しかし、当初は「みえ」だけに使われていたのですが、増備されて武豊線のキハ40系や「かすが」のキハ58系までも駆逐してしまいました。
よって、憎いのか好きなのか、自分でも迷う形式です。
あいにくの雨の中、多気駅に降り立ちました。
この駅は、名松線の腕木式信号機のお別れの時にも寄りましたが、駅舎の写真は初めて撮りました。
ここで、左写真の駅の玄関先にご注目を。
もう4月だというのに、注連縄が付けられています。
実は、伊勢地方は、一年中注連縄を付けるのです。
こんなところにも、地方によっての違いが見て取れますね。
出札口に人が居るのも、旅人にとって頼もしい限りです。
再び構内に入り、参宮線の普通列車を待っていました。
目の前の留置線には、キハ48型のワンマン2両編成が雨に濡れて停まっていました。
乗る列車がキハ40系だったら…と思って待っていたら、なんと、願い通りに来てくれました!!
東海のキハ40系は、外観こそ新しくされていますが、内装は昔のままに近いのです。
特に、モケットのブルーや運転室の緑のツートンが、「国鉄」を彷彿とさせます。
今となっては、三重や岐阜の奥地に押し込められている境遇なのが可哀想です。
ちなみに、参宮線に入ってすぐ、進行方向左側に大きな工場が見えてきます。
これが、大型変圧器の工場である「ダイヘン多気工場」です。
私が行ったときは、運よく長物車のシキが見られました。(写真は撮れませんでした…。)
そぼ降る雨の中、宮川駅に到着しました。
この駅は無人化されていますが、交換駅で、木造駅舎が健在です。
駅舎の壁に付けられた、青地に白の駅名標が、これまた国鉄時代を醸し出しています。
古レールで造られた上屋の柱のカーブも、優美で良いですね。
雨は相変わらず降り続いていました。
そんな中、始めの目的地、宮川橋梁まで辿り着きました。
この鉄橋は、全国的に見ても珍しい、ラティス(格子)型ガーター橋です。
本来なら宮川堤防の桜が咲いているのですが、今年はまだ早かったようです。
しかし、雨とあいまって、幻想的な「みえ」の通過が撮れました。
山水画のようにも見えますでしょう?(自画自賛)
ちなみに、この後、ダイヤ改正のせいで、予定の列車に乗り遅れかけました。
撮影ポイントまでの距離と最新ダイヤは必ずチェックしましょう。(教訓)
何とか間に合った列車に飛び乗り、松阪まで戻りました。
昼ごはんを食べるためと、戻りの「みえ」を待つためにです。
この駅を訪れたら忘れてはいけない物が有ります。
そう、松阪牛です!!
この駅の「あら竹」と言う駅弁屋さんは、松阪牛をリーズナブルかつ美味しく仕上げた弁当が自慢です。
その名も「モー太郎弁当」は、容器が牛の顔なのはもちろんのこと、ふたを開けた際に流れる「ふるさと」のメロディーも有名です。
その他の弁当も、もちろんハズレはありません!!
そのお隣の駅そば屋さん、「汽笛亭」の「松阪牛うどん」も、600円以内で充分すぎるほどの美味しさです。
ぜひ一度ご賞味を。
今回の旅の2つめの目的はこれです。
名古屋行きの「みえ」に乗って桑名に戻り、近鉄名古屋線に乗り換えます。
これで、すでに1067mmと1435mm、2種類のゲージを体験したことになります。
そして、普通列車で近鉄富田まで行き、三岐鉄道三岐線に乗り換えます。
三岐線は、JR貨車の直通からも分かるように、ゲージは1067mmです。
近鉄富田は、桑名駅ではいまいち実感しづらいゲージの違いが良く分かる駅です。
ちなみに、私が行ったとき、三岐線は信号故障で1時間以上抑止されていました。
しかし、諦めずに念じ続けたところ、復旧してくれました。
しかも、乗る予定の列車よりも早く、臨時閉塞のタブレットと言うおまけ付で!!
旅は、こういうハプニングも思い出へと変えてくれます。
まあ、無いに越したことは有りませんけど。
私個人としては2回目の訪問です。
しかし、オープン直後からは確実に進化していました。
貨車たちも仲間が着実に増えていました。
右写真の名鉄ト246号は、つい一ヶ月前にレストアが完了したばかりの「新車」です。
刈谷に貨車専門の工場があったこと、そして、熱田駅でJRとつながっていたことがこの車両によって後世に伝えられるのです。
車両たちは、まさに長年生きてきた古老のように、歴史を話してくれるのです。
「本物を通して歴史を見る。」
SL、旧型車、そして貨車等の産業遺産の存在意義こそ、そこにあります。
左側は、「津坂商会」さんから引き取られた入換動車がワムを2両従えています。
遠目に見ると、今にも走り出しそうです。
右のタム500型のタム2920号は、わが国最後の石油2軸タンク車でした。
博物館創設者の一人である笹田昌宏氏の私有車と言うのも驚きです。
つい最近、「新貨車工房」さんからNゲージのキットが発売されました。
左のタム5000型は、貨車ファンにはとても有名な車両です。
特に「味の素」に居た仲間たちは、「味タム」と呼ばれて親しまれていました。
このタム6263号は、所有者こそ違えど、アミノ酸・塩酸兼用と言う特異な専用種別はそのままです。
右のト15号は、名鉄の黒野駅に留置されていた小型無蓋車です。
揖斐・谷汲線の保線工事に活躍しました。
バッファーの取り付け穴が端梁に残っています。
博物館では、スタッフの方がディティール等のもっと詳しい解説をしてくれました。
鉄道・貨車好きの人は一度訪問なさってください。
そのときはお礼がてらの買い物も忘れずに…。
丹生川駅から徒歩約40分、奇跡的な晴れ間の中、阿下喜駅に辿り着きました。
(伊勢治田に出るよりも150円ほどお得なので、お試しになる価値はあります。)
この駅では、精力的な市民団体、「ASITA」の皆様が活動されている、「軽便鉄道博物館」があります。
ここの目玉は、何といっても「下工弁慶号」です!!
下松工業専門高校に保存されていたことと、前頭部のカウキャチャーからそう名付けられたのでしょう。
しかし、私は「亀の子」と呼んだほうが可愛くて良いと思いますが。
「ASITA」は「亀の子」の他にもこんな列車を持っています。
「ミニ電ホクさん(リアル版?)」です。
修善寺のロムニー鉄道と同じ15インチ(381mm)ゲージの超ナロー列車です。
機関車は耕運機の改造で、車体は木とダンボールの手作りです。
乗り心地は結構良好です。
ぜひ一度、お乗りになってください。
右は、「亀の子」の運転室です。
薪を燃やしてボイラーを暖め、ブレーキまでも蒸気で動かすという古典式です。
ちなみに日本で動態保存されている762mmゲージの蒸気機関車は有数の存在なのです!
ご存知でしたか?
ちょうど阿下喜に着いたとき、季節はずれの夕立が降りました。
車庫の中に入れてもらい、降りしきる大粒の雨から忍んでいました。
雷鳴が轟き、一段と激しくなってきました。
しかし、しばらくして雨は嘘のように止みました。
そして空には、壮大な虹の橋が架かりました!
私は北勢線の未来が明るいことを信じています。
「ASITA」の皆様は、北勢線の明日を彩る虹なのです!!
北勢線の未来と「ASITA」に栄光あれ!
15時の解散時刻から30分ほど阿下喜駅に佇んでから、北勢線に乗りました。
この路線は特に好きな線の一つで、今までに5回ほど乗っています。
ナローゲージ、非冷房、そして吊り掛け電車の3拍子がそろった鉄道は、めったにありません。
特に、日常的なナローゲージが見られるのは三重県内だけです。
そして、この北勢線こそ、大正以来の軽便電車の面影を残す唯一の存在なのです!!
つい最近、不幸な天災が起こりましたが、今では完全に復旧しています。
上笠田、北大社をはじめとする数駅の廃止は惜しまれますが…。
これが北勢線の車内です。
といっても、左側はたった一つだけの「2列固定クロスシート車」であるモハ277号の車内です。
ご覧の通り阿下喜方面に向かって固定されっぱなしなので、乗られるときは西桑名からをお薦めします。
北勢線の列車は、大きなモーター車が小さなトレーラーを引っ張るアンバランスさが魅力的な編成ばかりです。
中でも、サハ200型連接電車は特に貴重な車両です。
まだ乗ったことが無いので、ぜひとも乗りたいものです。
そういうわけで、右写真は一般的なサハ130型・サハ135号の車内からクハ130型・クハ134号の方を見た写真です。
といっても、このサハも魅力的な丸屋根を持っています。
ちなみに、クハはサハの制御車化改造車です。
「河が曲がる」と書いて「かわの」と読みます。
締めくくりに寄ったこの駅は、東海地方では唯一?の「貨車駅」です。
実は、前の「出雲」のお別れ旅行の時に気になっていた駅だったのです。
今回やっと訪問できました。
結構面白くていい駅だったのですが、欲を言えばもっと綺麗に使ってあげて欲しかったです。
タバコの吸殻や紙くずが駅舎内に散乱していました。
悲しくなると同時に底知れない怒りがこみ上げてきました。
ゴミを素手で拾える限り拾ってゴミ箱に叩き込んだのは言うまでもありません。
今回の旅は総合的には楽しかったのですが、良くも悪くも有意義な旅になりました。
これで得たことや思った事を有意義に生かさなくては、と心に誓いました。
そう思った末に以下の「怒れる社長の一石!」を書き上げるに至りました。
私の思いを受け止めていただける方はどうぞご覧ください。
ちょっと過激な所もありますが、それが私の鉄道に対する愛情の素直な表現なのです。
悪しからずご了承を…。