2日目「余部、木次、そして出雲!」

余部鉄橋


その日の朝は珍しく、5時ぐらいに目が覚めました。
列車の写真を撮ろうと思うと早く起きれるようです。
まずは香住方面に行く始発列車を撮りました。
高さ42mの鉄橋の前では、人も、家も、そして列車すらちっぽけな物に思えます。
明治の人の偉業にただただ圧倒されるのみでした。


上の写真を撮ったあと、今度は駅の上の撮影ポイントに向かうため、前日下りた道を登りました。
こんな荘厳な鉄橋がいとも簡単に溶け込んでいるこの町はすごいです。
新しいコンクリート橋ではこうはいかないでしょう。
架け替えが本当に惜しくなりました。


撮影ポイントにたどり着き、カメラを構えていると、まずはキハ181系「はまかぜ」が逆からやってきました。
「出雲」亡き後、この列車だけが余部鉄橋を渡る優等列車となるのです。
そして20分後、「はまかぜ」と香住で交換した「出雲」がトンネルから花道に姿を現したのです!
一枚しか撮れなかったのが残念ですが、最後の雄姿をこの目とフィルムに焼き付けました。


案内板によると、この鉄橋は明治42年に着工し、3年後の明治45年にやっと開通したそうです。
餘部駅は橋が出来てから10年以上後になって造られたようですが、その時は地元の人も石を運び上げたのです。
そんな先人たちの尊い努力が現代の学生たち、利用者たちの足を作ったのです。
そんな先人たちの努力を無にするJR西日本の決定に本当に腹が立ちます。
そうこうしているうちに乗る列車が来ました。
ここから乗り継いで、木次線の分岐する宍道駅まで行く計画です。

国鉄型パラダイス!!


浜坂から乗り換えた列車は、なんとタラコ色のキハ40系でした。
この地方でも少なくなっているという噂を聞いたので本当にラッキーでした。
しかも途中の倉吉ではこんな風景が見られました。
(この駅での15分停車のおかげで朝食にありつけました。)

米子駅


鳥取からは残念なことにステンレス気動車になってしまいました。
その硬くて味気ない車内に耐えること1時間半、やっと米子に着きました。
米子の駅はさすがに大きく、車両区も併設されていました。
扇形庫と転写台も健在でした。
蟹と鯵?の押し寿司を買って、しばらくの間眺めていました。
車両区には「出雲」の増結車やディーゼル機関車たちが停まっていました。
「出雲」亡き後のこの機関車たちの運命が心配になります。
0(霊)番線にも行ってみましたが、乗れなかったので写真は載せません。

沿線の名所


鉄道とは直接関係ありませんが、名所を二つ紹介します。
左が「山陰の富士」とも言われる大山(だいせん)です。
その麓には大山口という駅もあります。
右は宍道湖(しんじこ)です。
ドジョウ掬いの安木節(やすきぶし)の発祥地、安木駅が湖畔にあります
これから行く木次線(きすきせん)の分岐駅、宍道駅の駅名の由来となった汽水湖です。

宍道駅


宍道の駅はワインレッドと白の取り合わせの、モダンできれいな駅舎でした。
沿線は大谷石(おおやいし)と言う石材の産地らしく、ベンチがその石で作られています。
この駅から木次線が分岐するのです。
その駅にふさわしく、木次牛乳・木次コーヒーなんて物もありました。
当然、「出雲」に乗る前に買い込みました。

だいすき木次線!!


これが木次線の車両・キハ120−0番台です。
他の線区の姉妹車とは違って鋼製車体・クロスシート・トイレ付と3拍子そろった素敵な車両です。
しかもこの車両がアイドリングしながら約1時間も停車しているのです!!
しかも、宍道に発車1時間前より早く着く米子方面からの普通列車は無いのです!!
横見さんが名付けた、「西の横綱」という表現がぴったりの路線です。
発車してから数分で山の中に分け入ります。
さすがは伝説の地、出雲!
木次線の沿線には、「本当の日本」がありました。
言葉での表現は無理なので、実際に乗ってみてください!
癒されますよ…。


しばらく乗っていると、中間地点の木次駅に着きました。
ここは沿線随一の大きな駅で、木次線車両の車庫があります。
ここまで来る間も一回交換したのですが、この駅でも交換がありました。
本数が少ない路線で2回も交換が見られるなんてラッキーでした。
交換相手はステンレス車です。
ここで見ても鋼製車は少ないようです。

亀嵩


この「かめだけ」という駅名を見てハッとしたあなたは立派な推理小説ヲタクです。
そう、つい昨年(2005年)にドラマが放映された、松本清澄の「砂の器」の因縁の地だからです。
この駅はそれ以外にも、駅舎がそのまま蕎麦屋になっていることで有名なため、一度は訪れたい場所でした。
この駅を訪ねることも計画の最優先事項の一つでした。
同じ目的のテツの人が同じ列車に乗っていて、亀嵩で降りたのはその人と私だけでした。
駅舎とホームの間には段差があって、短い距離の階段なのに、わざわざトタン板で防御してありました。
蕎麦はこだわりの十割蕎麦で、慣れない私には味が少し薄く感じました。
1時間後に来た列車で宍道まで戻りました。
その列車はステンレス車だったので少し残念です。

そして「出雲」!!


ついにこの列車に乗るときがやってきました!
そう、この旅の主目的・寝台特急「出雲」です!!
この列車は本州唯一のDD51牽引寝台列車で、国鉄色同士の組み合わせが唯一見れる列車でした。
赤いヘッドマークに朱の機関車、そして紺碧の寝台客車の取り合わせ!!
まさに最高の列車だったのです。
鳥取駅では停車時間が撮影のために用意してくれたように長かったので、ありがたくヘッドマーク写真を撮らせてもらいました。


「出雲」のもう一つの目玉は、北海道行き以外唯一の食堂車でした。
営業こそはしていませんが、列車に貫禄を与えていました。
途中の米子あたりまで、団体客がすし詰め状態で、とても落ち着ける様子ではありませんでした。
しかし、「出雲」が最後の輝きを見せてくれたようで、ちょっと感動もしました。
真夜中まで起きていましたが、さすがにそのときまでは団体客が居なかったので、やっと写真が撮れました。


「出雲」の魅力は以上の様な物だけではありません!
なんと、米子駅では付属編成の増結作業が!
そして京都駅では機関車の交換が撮れたのです!!
今まで残っていた寝台特急で、ここまで多くの魅力を兼ね備えていたものは他にありません。
せめてこのページをご覧になった皆様には、いつまでも記憶の奥底にとどめておいて欲しいのです。
そうすれば「出雲」はこれからも、私たちの心の中の伝説として残ることでしょう…。


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