2005年3月31日、とても悲しいことが起きてしまいました。
名鉄の(架線電圧)600V路線が完全にこの世から姿を消しました。
ここでは、私が廃止前日に行ってきた時の写真をせめてもの形見として紹介しようと思います。
日野橋駅での880形同士の交換です。
この880形は、美濃町線の新岐阜駅(各務ヶ原線)直通列車の本数を増やすため、
2形式目の1500V・600V複電圧車として開発されました。
ちなみに、この日野橋からは郊外区間となり、運賃が距離に応じた値段になりました。
左側の車両はモ590形です。
もともとは、1999年3月31日に廃止された美濃町線、新関〜美濃間のピストン輸送に就いていました。
そのときに廃車も危惧されたのですが、低床車である事が幸いして活躍を続けることになりました。
その後、モ593を残してこんな顔に「更新」されてしまいました。
絶対もとの方がかっこよかったのに・・・。
右側は、元札幌市電のモ870型です。
車体の優美なヨーロピアンスタイルには、魅了されっぱなしでした。(笑)
この車両も、後年に、サッシ窓・複電圧車に改造されました。
けれど、デザインをできるだけ壊さないようにして改造してくれたので、結構違和感がありませんでした。
この二形式は、本当に運命の明暗の対比の象徴的存在ですね。
左側は通称「ゴクミ」こと、モ590形のモ593号車です。
上左側の同形式の更新車と比べてみてください。こっちのほうがすっきりしていて良いでしょう?
この塗色は、旧塗装の復元です。
名鉄といえば赤と言う方にとってはなぜか新鮮に見えるかも。
右側は「元祖複電圧車」のモ600形です。
この車両はご覧のとおりの高床車であることが仇となり、このモ606号車を残して廃車されてしまっていました。
残された同車はワンマン化され、引退直前にこの白帯を巻いた姿に復元されました。
左の写真を見ていただくと、とても猛烈なカーブだということがわかると思います。
なんと、半径は20〜25mしかありません。しかも、S字状の線形です。
真ん中の写真は、道路の反対側に、これまた最後の新車となったモ800形が待機しています。
軌道線だからか、ここの踏切ではこのように待機している姿がよく見られました。
制限速度も時速10〜15kmと、これも半端ではありませんでした。
右の写真は、その800形が踏切をわたってきたところをスレスレのところでとらえた物です。
小型車とはいえすごい迫力でしょう?
低速の軌道線だからこその芸当です。くれぐれも事故には気をつけましょう。
この3枚は上芥見駅(日野橋〜新関の間の小駅)で撮りました。
これだけ見ても、いかに面白い所かがお分かりになると思います。
上右写真の右側の土手は、天井川になった用水路です。
この駅のホームは、その用水路と道路・線路に挟まれて、とても窮屈そうでした。
また、下左写真の「砂利敷き併用軌道」なんて、昭和30〜40年代でない限り、
この地域では、ここと、同じ線の日野橋駅周辺ぐらいでしか見られない貴重品でした。
その雰囲気に、多くの鉄道ファンが酔いしれていました。(私もその一人です。)
次の2枚は、上芥見駅に匹敵するくらいに面白かったスポットの写真です。
モ590型が走っているのは、琴塚〜日野橋の区間ですが、ここも上芥見と同様に砂利敷き併用軌道でした。
商店の塀とスレスレのところを走っていました。
もうひとつの写真は、野一色〜琴塚の区間にあった、白山神社の参道専用踏切です。
太鼓橋、鳥居、そして玉垣に囲まれた踏み切りは、どこか神聖な雰囲気がしていました。
この2枚の写真は岐阜市内線のものですが、美濃町線も併用軌道の区間ではほとんど同じでした。
このように、安全地帯が無いのです。
それに、軌道敷内、そしてあろうことか電停の上にもクルマがビュンビュン走っているのです。
こんな風だから、一部の人は『恐怖の電停・殺人電停』と呼んでいました。
いくら最新・エコロジー・バリアフリーといわれる路面電車でも、電停がこんな風じゃあ乗りたくなくなる物です。
最後に、皆さん、これだけは覚えていてください。
路面電車は決して時代遅れのものではありません!!
それどころか、「環境世紀・高齢時代である21世紀の都市交通の究極形」なのです!
LRTをうまく使えば、都市中心街の再活性化も夢ではないのです。
実際に、富山では、JR富山港線をLRT(新型路面電車)にする計画が進行中です!
岐阜の挫折は、電停に安全地帯を作らせなかった、愚かなる岐阜市の失敗にほかなりません!
NO MORE GIFU!!!