愛知県碧南市 千福の斉宮社社殿は新しく 古式ゆかりの遷座祭に厳かな気持ち

思い出半ズボン

斉宮社社殿 (さいぐうしゃしゃでん)

千福の「斉宮社」社殿が新造される 闇夜の遷座祭は張りつめた空気漂い

壊される前の社殿

<千福の人々の願いにより宝永3年(1706)、大浜・宝珠寺よりやって来た斉宮社。300年まであと3年に迫った平成15年(2003)に拝殿を新しくする工事が始まる。美しい屋根を持つともこれで見納め。翌年の平成17年(2005)に完成。白木眩しい拝殿が姿を現す> 新川東部、千福の氏神として鎮座する「斉宮社」。あじさいの咲く6月中旬には、この斉宮社で「あじさい祭」が行われ、地元千福の人々の楽しみとなっている。 この斉宮社の歴史は、宝永3年(1706)に大浜・宝珠寺の境内鎮守7社のひとつであった斉宮神を勧請したことに始まる。 平成15年(2003)、斉宮社社殿を新造する計画が始まった。 翌年の6月にはもうフェンスが張られており、社殿こそまだ建っていたが作業は着々と進んでいた。 斉宮社の社殿は簡素だが、バランスに優れた姿をし、「200年は経っているだろうね」と近所の方が語るように風合いに満ちた景観を成していた。 翌年の平成17年(2005)夏に斉宮社を訪れてみれば、白木眩しい拝殿の姿を見る。 屋根で黙々と作業する職人の姿は実に凛々しくもある。考えてみれば、自分の仕事が少なくとも100年は残る、つまり自分の死後も作品として生きるというこどだ。 10月には、稚児行列が行われたようである。 大浜・宝珠寺から人々の願いにより迎えられ、300年の時を経る一年前に斉宮社は生まれ変わった。

闇夜に松明を掲げ行進する

<平成16年10月24日の夜、斉宮社で遷座祭が行われる。明かりを全て消された境内に厳かな空気が張りつめる。松明の火だけが照らす神聖な世界。人目に触れぬよう白幕に囲まれた神様。私の生涯において二度とない光景に出会えた> 神社の本殿を修理・新造する際に、御神体を移すことを「遷座」というそうだ。 平成16年(2004)10月24日(日曜)、千福の斉宮社境内には右回りに純白の布が敷かれ、周りを囲むしめ縄には四手が垂れ下がる。 「ここから絶対に入らんどいて」と私に声を掛ける男性。しめ縄の向こうは汚れた人畜が及ばぬ神聖な区域となった。 夜を迎えた午後7時過ぎ、いつもなら境内を明るくする外灯も消され、目を凝らしても歩けぬ程の闇となった。見物人もなく、ただこれから始まるであろう厳かな儀式に境内にはピリピリとした緊張感だけが漂う。 神官の発する不思議な声が響き渡り、人影となった集団が、数歩あるいて立ち止まるを繰り返す。 ひとりの男が松明を高く掲げ、正装をした男達の顔が仄かに浮かび上がってくる。 列の先頭には白装束の古式伝統的な出で立ちをした人達が、人目に触れぬよう白幕で何かを覆っている。 斉宮社の神様だ。神妙な面持ちで進む男達も神様が仮殿へ到着されると、ホッとしたのか、安堵の表情となり、境内を覆っていた空気も和やかなものになった。 私の生涯において、もう2度と斉宮社の遷座祭に立ち会えることはないだろう。次は何百年後だろうか。

ヘボト自画像ヘボトの「胡馬北風(こばほくふう)」

在りし日の常夜燈

「あの常夜燈は今はなく」

斉宮社の参道向かいに「本宮山」が祀られている。その横にかつて常夜燈があった。 「地震が起こった際に倒れて危ないから」と、近くで雑貨店を営む女性店主は教えてくれた。 移転ではなく、常夜燈は壊されてしまった。跡地には、笠と火袋が放置され、無惨な姿をさらしている。 常夜燈には、龍と波をモチーフにした素晴らしい装飾が施され、古来の職人技を伝えていた。 この常夜燈のあった場所は、水門橋から西端へと抜ける道であり、大浜から信州へと塩を運ぶ「山街道」にも関係している。 龍のレリーフ下には「願主 若者中」の文字が刻まれていた。 まだ電灯などが存在しない時代、村の治安と道行く人々の安全を願い、常夜燈には明かりが灯されていた。 夜通し、明かりの番をしたのが村の若者達、つまり「若者中」である。 文化13年(1816)6月に造られた常夜燈が千福から消えたことは誠に残念である。

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