愛知県碧南市 「道はお地蔵さんに聞け」の言葉 棚尾のお地蔵さんに会う愉しみ
<「亀島乳母車店」店先に鎮座するお地蔵さん。右・てんのふ道、左・大はま道と刻まれ、旧来の道の在処を教えてくれる。二重円光に囲まれたお地蔵さんの顔は実に優しい表情をしている> 大浜との境である源氏橋を渡り、東へ向かうと「石川修生堂薬局」が右に見えてくる。 隣の「亀島乳母車店」店先に東を向いて道案内するお地蔵さんがいた。 高さ126センチ、幅45センチの一枚岩に浮き彫りされた体長45センチのお地蔵さん。 目を閉じ、口角を上げ、実に柔和な表情をしている。両手で一つの宝珠を持ち、袈裟の下から見える幅4センチの裸足が何とも可愛らしい。 お地蔵さんの下には、「右・てんのふ道、左・大はま道」と刻まれる。 ”てんのふ”とは、ここから1.4キロ北の天王集落を示す。 道は途中で行き止まりとなるが、「長田眼科」前から古い民家の間を抜ける道は、往時の棚尾を伝える雰囲気。
<岡崎や平坂への道先を示す石仏の観音さん。文久3年4月からこの場所にたつ。「信士」の戒名が表す観音さんの由来とは? この石仏の下には、経典が埋まっているとも伝えられる> 和菓子を売る「柏木屋」の一方通行路を挟んだ向かい、旧「八百清」角の石仏。 銅板葺きの簡素な御堂に一枚岩の観音さんが西を向いて立っていた。 雲をデザインした台座に載る身の丈44センチの観音さん。右手を持ち上げ、左手は下へ垂らす姿。顔は風化され、凹凸なく表情は不明。 台座下には、「文久三年四月一七日」と刻まれ、”左・おかざき、右・へいさか”の文字。砂に埋もれた部分は判読不能。 中央には、信士と戒名が書かれている。これは何か? 調べた話では、この観音さんの下にはお経が埋まっているという。 文久3年(1863)といえば、幕末。枝郷の発展を余所に、棚尾が貧窮に屈していた時代である。
毘沙門さんで有名な妙福寺。弘法堂の隣りには、たくさんのお地蔵様がいる。 3段モルタル造りの円形台にひしめくお地蔵さん達。その数、優に100を超える。 手のひらサイズのお地蔵さんも有れば、高さ110センチを超えるお地蔵さんもいる。 かつては固有の地蔵名もつき、百年単位で集落を守っていた有名なお地蔵さんも存在する。 区画整理や世話役の後継問題など、この妙福寺へ預けられた理由は様々。 360度、各々の方角を向いて立つお地蔵さん達は、言うなれば碧南市の歴史である。 光背に刻まれた文字など詳細に眺めていくと、先人達の込められた願いが伝わってくる。
< text • photo by heboto >