愛知県碧南市 通称「おこじんさん」と親しまれて人気の「荒神社」を訪ねる
<親しみを込めて「おこじんさん」と大浜では呼ぶ。建武2年(1335)1月に伊勢の国・新兵衛が常行院に八面荒神と銘刀を奉納した事に始まるが…。境内は大浜公民館に隣接しアクセスもよい絶好地> 伊勢の国の浪人・新兵衛が建武2年(1335)1月に八面荒神と銘刀を常行院に奉納した事が起源と伝える「荒神社」。 しかし、常行院は大永6年(1526)の創建である。謎は残る。だが、親兵衛が常行院の縁者であったことは確かだ。 長らく常行院の一鎮守であったが、明治6年(1873)に常行院の境内一部を分けて、荒神社とした。 境内は、大浜上区・大浜公民館が隣接するため、普段から人気が途切れる事はない。 松の下に用意された水色ベンチに座り、しばしの休憩。近くには清涼飲料水メーカーの赤い自販機もある。 境内の明るくのんびりとした雰囲気に、いつまでも腰が上がらなくなってしまう。
<荒神社の傍らにある「陣屋稲荷」は跡形もなくなった大浜陣屋敷地内にあったとされるお稲荷さん。碧南の民話「陣屋の狐」として悲しいストーリーが語り継がれているが> 「陣屋稲荷」と書かれた深紅の幟がいくつも立ち並ぶ。参道の赤鳥居を潜り抜けると、待ち構えるのは昭和9年(1934)建立の狐像達。 幟が示す”陣屋”の文字は、かつて羽根町一帯にあった大浜陣屋の事。荒神社境内奥の薄暗い場所に鎮座する陣屋稲荷は、元々、大浜陣屋の稲荷として祀られていた。 大浜陣屋が出来た明和5年(1768)に信州上田城から陣屋敷地内に遷座され、天保8年(1837)2月に陣屋御用達の10人によって社殿が奉納される。 大浜陣屋廃止以後、現在の場所へと移された。古い絵図によれば、今の陣屋跡公園の東に所在したとある。 「駿河の街道で水野家の家紋が入ったハッピを着た狐が死んでいた…」と悲しい顛末を迎える碧南の民話「陣屋の狐」との関連性も想像させるお稲荷さん。
荒神社から南へ、西方寺の東までの一帯は昭和48年(1973)に新町名に変わるまで、「南赤土・東赤土・西赤土」といった旧字名があった。 この旧字名の由来は何か?かつてこの地に「赤土新兵衛」の屋敷があったからとされる。しかし、一説には称名寺の赤い門が存在したからと伝わる。 昔からこの赤土には有力者の住む屋敷が点在した。加藤菊女で知られる加藤四郎左衛門の屋敷は南赤土にあり、大浜弁天はこの屋敷の鬼門に位置し、屋敷神としたという。 江戸時代中期、片山五兵衛(片五)・片山桂助(片桂)・片山三郎衛門(片三)がそれぞれ廻船問屋・綿問屋・酒屋を営み、 「大浜はつぶれても、片五はつぶれぬ」「おんさか酒屋の姉さんが中須賀嫁しておいとしや」(中須賀は南赤土の古名)といわれた。
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