愛知県碧南市 「味醂」ではなく「味淋」のこだわり 醸造蔵のある路地を歩く

碧南市大浜北部へようこそ!

みりんのとおり

安永元年(1772)に歴史始まる『九重味淋』 大浜に来たならば訪れたい

味淋工場の裸電球明かり

<大浜を紹介する冊子には必ず登場する名所。「西方寺」と『九重味淋』に挟まれた坂道を行けば、大浜情緒溢れる雰囲気をしっとりと味わう。できれば夜にも訪れたい。仄かな裸電球の光、漆黒の闇を思わせる黒い板塀が続き、群青の夜空に蔵の漆喰が浮かぶ> 大浜を紹介する上で必ず登場する場所がある。西方寺の北方、格を伝える立派な門が続き、黒板塀との調和がいとも美しい坂道。 門と黒板塀の持ち主は、大浜を代表する企業、『九重味淋』である。 『九重味淋』の歴史は安永元年(1772)に「石川八郎右衛門」が味醂の製造をはじめた事に端を発する。 以来、綿々と味醂製造技術は受け継がれ、大浜の発展にも深く寄与してきた。 そんな歴史ある『九重味淋』前の坂道は実に素晴らしい。長い年月を経て淘汰され、美しいものだけが残った。 段に連なる黒壁に、威厳を伝える門の並び。向こうには西方寺の太鼓堂が勇ましい姿を見せている。 垢抜けないと評される大浜において、この場所だけは、どこか洒落た雰囲気が漂う。 出来れば夜にも訪れたい。この素晴らしい景観に月夜が重なるときには、才あらずとも一句詠みたい気分になる。

そそり立つ黒壁に白い窓がいくつも点在

<醸造業盛んな碧南市において群を抜く存在の『九重味淋』である。その大蔵は近年、国の登録文化財に指定された。宝永3年(1706)建造といわれる大蔵から伝わる豪商の凄み。青空にさえも威厳を放つその姿を楽しむ> 大浜まちかどサロンから西へ向かう坂を下れば、苔生す石垣とサラサラと水の流れる音。 漂う存在感に空を見上げれば、巨大な蔵が私の眼前に立ちはだかる。大浜の名主「石川八郎右衛門」の造りあげた『九重味淋』の大蔵である。 大浜と『九重味淋』の創業一族「石川家」の関係は深い。大浜が近代に海運の港として大きく発展したのは、寛永5年(1628)に「石川八郎右衛門」が堀川を開削し、河口が港として栄えたからである。 大蔵は平成16年(2004)に国の登録文化財となった。黒塗総下見板張の瓦葺き・木造2階建てという造り。 宝永3年(1706)に他所で建造されたものを、天明8年(1788)に現在地へ移築したという。 黒い板塀と並ぶ白の窓とが美しいコントラストを見せる大蔵。当時の『九重味淋』がどれほどの力を持っていたかを物語る。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

蜜柑色をした小さな堂

「新浜寺海水浴場と津島社」

黒壁の続く『九重味淋』前の道を西へ。別棟の水色壁をした『九重味淋』工場が右手に見えるはず。瓦葺きの屋根、降り棟部分に何処かで見た事のあるマーク。 大浜小学校の校章となぜか同じ。もともと大浜小学校の校章を『九重味淋』の方が考案したと小学校時分に聞いた。 この工場に面して南北に走る道がかつての海岸線であり、昭和の初めに開かれた新浜寺海水浴場があった。戦中は海軍の水上機が飛来し、多くの見物人が押し寄せた。 通りの一角に津島社がある。昭和初期、漁師が浜辺に打ち上がる津島社のお札を見つける。手厚く祀ったところ、数々の御利益を得た。のちに浜家の人々と一緒に社を建てたのが由緒。 空き缶やどんぐりを使った標語やオブジェがあり、見ていても面白い。

< text • photo by heboto >


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