愛知県碧南市 乳母車通る小径を訪ね 道端にあるお地蔵さんに道を尋ねる旅

碧南市散策の基礎知識

乳母道を歩く

ゴロゴロと乳母車の音に出会いあり 「道はお地蔵さんに聞く」の合い言葉

報恩講にて西方寺に集結する乳母車

<乳母車を押したお婆ちゃん達が好んで通る「乳母道」。2メートルにも満たない幅員、おのずと向こうからやって来る人に挨拶してしまう。なんだかとっても心地良い気分。旧市街では進んで「乳母道」を行こう。自分だけのお気に入り「乳母道」を見つければ、良い旅の思い出となりそうだ> 懐かしき情緒を残し、好々爺たる翁やお婆ちゃんが好んで通る小径。 ゴロゴロと乳母車を押す音が響き渡ることから、私は何気なしに「乳母道」と呼んだ。 幅員狭く、歩行者を脅かす自動車が来ないことから散策には適する道である。自動車を優先する道路行政を省み、歩行者主体の街への回帰は世界的な流れである。 例えば欧州では、旧市街から自動車を締め出し、中距離での移動は代替として路面電車を復活させている。 そんな時勢を先見していたのか、碧南市には旧市街となる大浜・棚尾・新川・西端・鷲塚の各所では未だ「乳母道」が多く残っている。 一因には地元民の不便さを従いながらも、古き良き時代の情緒を残したいという「郷土愛」が作用したことが推測される。今や乳母車を押した老齢者だけでなく、「赤ちゃん」を乗せるベビーカーの姿も。 「乳母道」は再評価され、人々が戻ってきた。大半が幅員2メートルにも満たない小径である。向こうからやって来る人に挨拶せずにいられない。 地元の人との語らいは、何より旅を楽しくさせる。碧南市を訪れた際には、是非ともお気に入りの「乳母道」を見つけてみよう。

大浜「妻薬師堂」にある赤灯籠の六地蔵

<道端にあるお地蔵さんを覗き込んでみよう。「右○○、左○○…」とあれば、示す道を辿ってみる。趣ある家並みが現れたりして旅が面白くなる。「怖い、怖い」と忌み嫌う理はない。56億7千万年もの間、私達を救うお地蔵さんは、きっと貴方に幸福な旅路を授けてくれるだろう> 仏教界において世間から最も認知されるのは、地蔵菩薩ではないだろうか。”お地蔵さん”と親しみを込めて呼び、毎年夏の地蔵盆にはお参りをして御菓子を貰った思い出ある人もいるだろう。 釈迦の入滅から弥勒菩薩の現れる56億7千万年後まで我々に救いの手を差しのべるお地蔵さん。 往時はどこの道端にも姿を見かけたものだが、最近はめっきり少なくなった。事故や災害など、非業の死を遂げた御霊を弔う為にお地蔵さんが安置されることから、現代人には忌み嫌われる傾向があるようだ。 確かに昔も荒ぶる怨霊を成仏へ導く為に置かれたが、それ以外にも道標として、あるいは「道祖神」的な役割を担っていた。 碧南市を散策する際には、お地蔵さんにも目を配って欲しい。「右○○、左○○、文化○年」なんて刻まれていたら、「この道は文化○年には○○へ通じていたのか…」といった楽しみが見つかる。 示される道を辿れば、旅情を誘う景観が待っているのかも知れない。「道はお地蔵さんに聞く」といった心持ちで歩けば、面白いお地蔵さんに出会える。

ヘボト自画像ヘボトの「老婆心切(ろうばしんせつ)」

碧空に黒壁の蔵

「図書館で古地図を見る」

乳母道を歩き、道標となるお地蔵さんの示す方向を行く。風雪を経た家並みが続き、黒壁のある蔵が現れた。 「ここにどんな歴史があるのだろう…」。そんな好奇心が湧き出たら、是非とも碧南市民図書館へ行ってみる事をお勧めする。 レファレンスにて資料請求の旨を伝えれば、「public servant」なる語を深く理解する職員達によって、瞬く間に資料が堆く積まれることだろう。 プロフェッショナルな碧南市民図書館職員達に敬意を払いつつ、敢えて私が推薦したい書籍がある。 昭和35年(1960)当時の碧南市をよく知る上で役に立つ「安城市・碧南市・高浜町・桜井町 住宅地図」(1964年発行:ゼンリン)。 旧字名と現住所の照合に役立つ「航空住宅地図帳'76 碧南市」(1976年発行:名古屋公共施設地図航空)。 明治期の字名や道を知りたければ、「平和用水史」(1976年発行:碧南平和用水土地改良区)の付録地図を参照。

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