愛知県碧南市 これなら脆弱な現代人でもOK? 自転車で大浜街道を往復する
<午前9時22分に大浜を出発。強烈な紫外線が襲う6月の日差し、順調に自転車のペダルを漕ぎ、「大浜街道」の終着点である東海道40番目の宿場町「鳴海宿」をめざす。到着したのは午後3時55分、行きの道程は6時間33分掛かった> 6月は年間を通して一番、紫外線の強い時期。午後9時22分に大浜港から自転車で出発。勝手知ったる碧南市内である、すんなりと通過して行き、高浜市へと入る。 次の集落である小垣江、入口にあるお地蔵さんに到着したのは、午前11時46分。少し寄り道しすぎたことを反省し、ペダルを漕ぐペースを速める。 午後0時56分、尾張の国である東浦へ到達する。車の往来の激しい大府市内を無事に切り抜け、名古屋市域である大高の地に着いたのは、午後3時15分であった。 「大浜街道」が鳴海の旧東海道に到達する「本町」交差点に到着したのは、40分後の午後3時55分。
<「しまった!」と後の祭り。帰りの事など全く考えていなかった。「まずい、夜がやって来る…」の言葉が不安にさせていく。行くぞ!大浜への大返し! さんさんと照りつけた太陽が夕日へと変わるなか、夢中でペダルを漕ぐ。大浜に生還したのは午後6時58分。往復9時間36分の旅だった> 鳴海を十分に観光出来ずに水分補給した後、午後4時16分、「鳴海宿」をスタートする。 まったく寄り道もせずに、ただひたすらペダルを漕ぐ行程。国道23号線の高架下で自転車の後輪ブレーキに不具合発生を確認。 なんとブレーキシューがずれてしまい、タイヤのサイドウォールを削いでいるではないか! 内部のチューブ丸見えの状態。サイドを鋭利な物で傷つけてしまうと、走行不能のバーストを起こす可能性。まだ先は20キロ以上あろうかという地点でのトラブルで意気消沈する。 路面を選んで慎重に進むが、自転車は真っ直ぐ走っているのに振動が襲い、常にハンドルを取られる有様。帰宅ラッシュと重なり、スピードを上げることもまま成らず。 なんとか大浜に辿り着いた時には午後6時58分、照りつけていた太陽が夕日に変わり、闇夜が訪れようとしていた。 トラブルはあれど、無事に大浜街道を往復出来たと感謝する。往復9時間36分の旅だった。
「大浜街道、やはり正式に」 今回の自転車で大浜街道を往復する旅で、一番辛かった場所、それは大府市・追分町の区間です。 正式には東海道線のすぐ西を通るのが大浜街道の正しい道筋ですが、共和駅あたりで途切れている点を考慮して、県道50号を通る事にしました。 でもその選択は大変な間違いでした。往来が激しくて道は狭く、自転車や歩行者の通る余地がないほどの危険な道路環境。 しかも自動車が横を行き交う度に砂埃が舞うという散々な区間で、視界や気管支ともに過酷な状況下に置かれてしまいました。 やはり多少回り道になっても本来の大浜街道を通るのが賢明なようです。
自転車で「大浜-鳴海宿」の大浜街道を往復することに成功した私。いつも「ハァハァ…」と息切れする肥満児として生きてきた私にとっては快挙と自らを褒め称えたい。 だが、心の内に何かが残る。モヤモヤとしたこの気持ちは何だろう。 「大浜街道」と呼ばれた時代、先人たちは自らの足だけを頼りに街道を往来した。 夜明け前より荷を担ぎ、黙々と歩いていった。自転車という現代の利器を使った自分は”ズル”をしたのでは…。 疚しい思いを払拭するべく私は決心した。人生の節目を迎える誕生日に「大浜街道を踏破する」と。 ただ肥満児である私には、大浜街道を行き成りに徒歩で往復するのは、関節を壊してしまいかねない。 そこで名古屋鉄道を使い「鳴海駅」まで行き、そこから大浜まで向かうことにした。 片道といえども大浜と鳴海宿間は直線距離にして25キロ以上はある。 ■ 第35回 「御先祖の苦労を体感する」 へ
< text • photo by heboto >