愛知県碧南市 刈谷城主「水野家」の菩提樹として 楞厳寺を訪れてみる
<出迎えてくれた山門の仁王様たちにニッコリ。境内に足を踏み入れば、伝わる楞厳寺の威厳> 元刈谷集落から離れた場所に存在する楞厳寺。かつて神谷田忠左衛門が、大浜街道から楞厳寺まで870メートルの参道を作ったとある。 御先祖さんも参っただろうと楞厳寺へ。松坂町南の交差点を左へ、団地を越え、見えてくる楞厳寺の壁。 山門では、可愛らしい仁王さんの出迎え。境内へ向かうと、コの字形に広がる巨大な建造群が現れた。 両脇に緑の芝を従えた石畳が、対象な弧を描く本堂へと導く。もはや、ここは”殿”といったほうがいい。 修学旅行で見るような世界。刈谷城領主水野家の菩提寺である楞厳寺、威厳の高さが伝わる。
<蛇行する道の名残を発見か?!推理を進める内に、見えてくる消されたポイント。この場所には何かがあったのだろうか?> 楞厳寺からの帰り、古い街並みに見とれてしまい、迷い道に入ってしまった。あわてて地図により現在地を確認する。 神谷田忠左衛門が作ったとされる楞厳寺の参道は、大浜街道から870メートル。その参道に交わる何やら怪しい道筋が、地図上に示されていた。 巡見橋から北上する県道50号は、今でこそ4車線の道路だが、大浜街道の時代は、蛇行する細い道であったようだ。 明治23年(1890)の地図によると、「下り松橋」を過ぎた辺りから、1本の細い道が派生し、楞厳寺の参道と交差する。 現在もその細い道の名残が民家の先に残っている。その細い道は「平成大橋」へと向かう4車線道路を越え、元刈谷の集落奥へと入っていくのだが、 その入口地点には、古い地蔵の御堂が所在する。これは何を意味するのか? 本当は、この細い道こそが、初期の「大浜街道」では?
「楞厳寺で波音は聞こえた?」 楞厳寺、山門を抜けずに墓地方面に行き、鬱蒼と茂る林の中を覗くと、眼下に田園風景が臨めます。 かつてはこの林の下まで海が来ていました。切り立った崖上に存在する楞厳寺境内では、ザワザワと波の砕ける音が聞こえた事でしょう。 現在の県道50号線から楞厳寺方面を見てみますと、垂直に近い程、切り立った崖上に集落が成り立っているという事実がより理解出来ます。
楞厳寺(りょうごんじ) 応永20年(1413)創建。遠州浜松の「普済寺」にいた利山義聡が開いた曹洞宗の寺。 第7世「古堂周鑑」の時代、水野忠政が帰依し、水野家の菩提樹となる。松平広忠に離縁された「於大の方」は度々、楞厳寺を訪れた。於大の方自画像の「伝通院画像」は県指定文化財であり、楞厳寺の所蔵。 境内にある「水野家廟所」は刈谷市指定史跡である。
前述の大浜街道の名残と思われた道と繋がっていた道に意味ありげな存在を発見。集落の入り口となる場所にある地蔵堂。 この地蔵は未だ往時の雰囲気を残す元刈谷の守護神的な役割を負っているのかもしれない。ちなみにここから西へ行った300メートルほど場所には文明8年(1476)に水野貞守が築城した「刈谷古城」が存在した。地図を片手に大浜街道の道筋を推理する。 さて、この元刈谷は強敵である。蜘蛛の巣状に張り巡らせる路地。そして並ぶ寺院の謎である。 ■ 第13回 「元刈谷・五つの並び」 へ
< text • photo by heboto >