愛知県碧南市 「須磨海岸緑地」の岸壁に出現する砂浜 しかし上陸してはダメ!
<危険!自己責任で立ち入るしかない砂浜なんて…。「須磨海岸緑地」と、どこか懐かしさを感じさせる名称に誘われて蛸のいる場所に出向いてみれば、遠くで波音がする。護岸された海岸線に干潮の間だけ姿を現す砂浜。喜び勇んで降りて見れば、まるであの名作映画のラストみたい> 産業道路の碧ICを西へと進み行けば突き当たる場所。ここに「須磨海岸緑地」がある。臨海埋め立て地である「須磨町」の北と西の海岸線に沿う形で造られた公園。 真っ赤な蛸の滑り台があることから通称「タコ公園」と呼ばれている。工業地帯にあるにも関わらず、平日、休日共に親子連れで賑わう場所となっている。 人気の秘密は長さ200メートルに渡って続く海岸通り。衣ヶ浦の海が一望出来、潮風が何とも心地良い。 この海岸線を歩くと、どこかから波音がしてくる。 コンクリートの護岸下を覗き見れば、何と砂浜が姿を現している。貝殻や砂利が混ざって白砂とはいかないが、確かに砂浜である。 降りてみようにも階段も何もない。下は3メートル。危険を承知で私はある手段により砂浜へと上陸した。 碧南市の砂浜が消えて早50年が経とうとしている。私は碧南の海を知らない世代だが、なんとも言い知れぬ気持ちになった。 遠くに臨海の工場群が霞んで見える。コンクリの壁に砂浜…往昔の風光明媚な衣浦の海は何処。『猿の惑星』('68米映画 フランクリン・J・シャフナー監督)の衝撃的なラストシーンが心中に重なる。
<透き通って海底が見える。ブルーもしくはグリーン。心地よい潮風が頬を撫でる。どこにでもない故郷の海を満喫する私。幸せな気分に浸っていると、次第に波音が大きくなってくるのに気付く。砂浜が消えていく合図に名残惜しい気持ち。かつて聞いた「海を甘く見るな」の言葉> 透き通る海、青みがかってはいるが、日の当たり具合から時にグリーンへと変化する。これが「碧海」、碧南の由来となった海なのか。 砂浜へと降り立った私は、衣ヶ浦の海を見ていた。 全共闘世代の教師に「海は毒、これも資本…」と、小学校時代から思想教育を擦り込まれたせいか、「碧南の海は汚い」という認識を子供の頃から持ち続けていた。 しかしどうだ、眼前の海は先人達が讃えた「碧い海」には程遠いとは思うが、イメージに抱いていた汚濁した海でもない。 近年高まる環境規制遵守の時勢故にか、それとも教師による虚偽の印象を与えられたに過ぎないのか。 と、難しく考える私に潮風は頬を撫でた。心地良い波のリズムは抑揚をつけ、私の足下へと至る。 黄昏れる私に波頭は別れを告げにきた。満潮と共にこの砂浜は消える。 かつて老練な漁師は「海を甘く見るな」と洟垂れ小僧を叱責したものだ。 掴むものは何もなし、3メートルのコンクリートをどう登るのか? 落下した場合、どういった事態に陥るのか? 救援をどう要請すればいい? 私の経験から「砂浜には降りないように」と警告するほかない。 どこに危険が潜んでいるかわからない。私のように無茶な行動はしないよう約束して欲しい。
対岸の知多半島にある半田市・亀崎は、碧南市にとって古くから関わりのある街である。 新川地区の「鶴ヶ崎」は、松江代官所の鳥山牛之助が亀崎に亀崎に対して付けた地名。 鶴ヶ崎と大浜中区の山車は共に亀崎の中古を買い受けたもの。 碧南市域の西岸にある渡船場からは、必ず亀崎行きの船が出ていた。 何かと亀崎には影響を受けていたのである。亀崎は今も古い街並みが残る海沿いの街であるが、碧南市と同じく伊勢湾台風以後の防潮堤建設により、自然の砂浜を失っていた。 したがって「潮干祭」で有名な亀崎だが、海への山車曳き下ろしという祭のクライマックスは永く封印されていた。 やがて再開を望む声は次第に大きくなり、ついには人工の砂浜を造成して、平成5年(1993)の「潮干祭」では、34年ぶりに海への山車曳き下ろしを実現した。 なんという行動力だろう。碧南市との違いは何か? 私は「受け継がれてきた伝統への敬意」と「未来へと伝えていく決意」であると考える。碧南市に覚悟はあるか? 碧南市と亀崎の街並みを一度ゆっくりと歩き比べてみよう。はたしてどちらのほうが魅力的かな。
< text • photo by heboto >