シューベルトのオペラ

この私、物心つくかつかないかの頃から一貫してのシューベルトファンですから、シューベルトがオペラを作曲していたのは何時の頃からか一応知っていました。しかし、生前受け入れられること無くそのまま忘れ去られた、としか認識していませんでした。1970年代のことですから、それが世界的な共通認識だったのです。後述する井形ちづるさんの本に依ると、生前演奏されなかった作品が部分的に19世紀後半に取り上げられた場合でも、ハンスリック(ワーグナーと対立しブルックナーをボロカスに評価したことで有名な人)あたりが「劇的能力に欠ける」などとくさして、それっきりになってしまったらしい。生前から評価の高かった歌曲に続き器楽作品が順次再評価されていったのにオペラは乗り遅れたままだったのです。

しかし、ロッシーニやドニゼッティを再発見した余勢を駆って、かどうかは知りませんが、1980年代以降シューベルトのオペラにも再評価の光が当たるようになってきて、上演の機会も増えてきました。と、言っても普通にDVDが手に入る状況にはなっていません − つい最近発売された「アルフォンソとエストレッラ」のDVDが間もなく(2004年12月?)日本の店頭にも並びそうですが、日本語字幕無しの輸入盤です。

という中で、日本でも井形ちづるさんの大著「シューベルトのオペラ」(水曜社)が刊行されました。この本で、2つの大作オペラ「アルフォンソとエストレッラ」「フィエラブラス」に対する井形さんの高い評価を読み、また、録画された上演もあると知り、調べてみると、あるところにはありました。字幕無しとのことですが、井形さんの本があれば劇の進行で戸惑うことは無かろうと思って(実際問題なく進行を把握できました)購入に踏み切りました。

シューベルトのオペラが再評価に値するものかどうか、これは聞いて、できれば見てから、皆さんに判断していただきたいものです。シューベルトは自分のオペラが上演されることが無かったのでオペラの勘所が分かっていなかった、とはよく言われることですが、舞台に上がらなかったのはシューベルトの場合歌曲以外のほぼ全ジャンルです。交響曲第1番など、あの若書きであの完成度です。オペラでも同じ事が起こることを、シューベルトになら期待しても良くはありませんか?

 

フィエラブラス D796

「マイナー」以前の「珍品」に留まっているシューベルトのオペラですから、井形さんの本を読んでもらうしか資料が無いのか、と思いきや、ネット上でもかなり詳しく説明してくださるところもあるのですねぇ、井形さんの本(フィエラブラスだけで33頁ある)を転記要約する手間はかけないことにしました。この頁を手元に置いておくだけでも字幕無しDVDについていけると思います。

さて、そのDVDの入手先はこちら。お支払いはクレジットカードのみです。品物は発送の連絡から10日後に国際郵便で届きました。その間にも不安にさせられるようなことが2,3ありましたが、それは別の機会に紹介するとして、

アバド指揮の1988年の舞台ということですから、この作品の完全版の世界初舞台上演のもののようです。DGGから出ているCD(番号はPOCG-10578)と、分かる範囲で歌手も一致します。

Claudio Abbado 指揮 Arnold Schoenberg Chor. and the Chamber Orchestra of Europe
Konig Karl : Robert Holl
Emma : Karita Mattila
Roland : Thomas Hampson
Ogier : Peter Hoffmann
Eginhart : Robert Gambill
Boland : Laszlo Polgar
Fierrabras : Josef Protschka
Florinda : Ellen Shade
Maragond : Brigitte Balleys
Brutamonte : Hartmut Welker

ドイツ語圏で放送された舞台中継を家庭用VTRで録画したものから起こしたもののようです。画質は、まあ、そんなものです。画質の悪いDVDを紹介する際に毎度引き合いに出している、パリ・オペラ座での「シモン・ボッカネグラ」(ヴェルディ)よりはマシです。音質は、元々の録音はかなり良かったのではないかと思われますが、録画時に付加されたと思われるノイズが一定せずに入っていて、フラッタも少しあるようです。音質が一定しないのが気になり出すと、一貫して寝ぼけた音の「シモン・ボッカネグラ」の方が内容に集中し易いと思えなくもないですが、一般的には音質も「シモン・ボッカネグラ」よりはマシ、と言って良いでしょう。要するに私には十分許容可能な画質と音質ですが、これは見る人の許容度次第です。こういうシロモノですから、音質は正規発売のCDの方が良いのでしょうが、私はこれでも画像つきを選びます。字幕は無くとも誰が歌っているのか見えるのは楽です。

1988年まで上演されなかった作品ですが、上演したとしても当時では受けなかった可能性が高いとは思います。それも聴衆以上に歌手達に。井形さんの本にも、オペラの台本の拙さというのは話の辻褄が合う合わないではなくて・・・と書いてありますが、この「フィエラブラス」の場合はドイツ語としての美しさの欠如(そんなもの私には分かりません)以前に、構想段階で拙いと思うのです。特に男声陣、どの役に花を持たせたかったのでしょう。

タイトルロールのフィエラブラス(題名も台本でも Fierrabras と綴られているが Fierabras が歴史的には正しいとのこと・・伝説上の人物の綴りにも正誤があるのね)は失恋したにも関わらず恋敵をかばう、というだけの役で、出番も歌も少なく、どうにも主役に見えません。筋書き上一番格好いいローラントは舞台に居る時間は長いのですが、喉の聞かせどころは第1幕でフィエラブラスを紹介するシーンくらいで、第2幕以降の劇的な場面ではいい歌をもらっていません。歌う場面が一番多いエギンハルトは「後から後悔する卑怯者」で筋書き上は格好良くない。女声陣では「烈女」フロリンダの方が主役らしく聞こえるのですが、やや出番が少ない。

受けにくい理由を探すのは簡単ですが、その音楽は、既に「さすらい人幻想曲」「未完成交響曲」を書き上げていたシューベルトの魅力が隅々まであふれている一級品だと思います。このオペラに限らず、シューベルトのオペラを聞いた人の感想として「リートの連続みたい」というのが多く見受けられるように思います。確かにそのとおりなのですが、これを「オペラ本来の盛り上がりに欠ける」ではなく、「史上最高のリート作曲家シューベルトの歌が切れ目無く続く」と受け取っていただきたいのです。「美しき水車屋の娘」「冬の旅」でも聞かれるドラマ性が、リートでのピアノ伴奏付きソロに代わって、ここではオーケストラ伴奏での重唱で聞けます。リートでは得られない表現の幅をシューベルトが存分に活かしているように私には思えます。確かに激しい感情をぶつけるアリアは少ないのですが、第2幕で咆哮するオーケストラを背景にしたフロリンダのアリアの激しさは、ブリュンヒルデもかくや、という烈女ぶりで、伝統的オペラらしさを求める向きにも満足いただけると思います。このアリアの伴奏で聞かれる3度降下の繰り返しは、「楽興の時第1番」「ピアノソナタイ短調D784」といった、「フィエラブラス」に少し先行するピアノ曲にも現れる音形ですが、ピアノ曲では「謎の音形」に留まっていたものが、ここで初めてその意味を明らかにしたという思いを持ちました。

耳チェックした範囲では、高音はエンマにハイCがある他は男声女声ともハイCは無いので、一流の歌手が歌うのに音域が問題になることはないでしょう。全般に歌手に不満はありません。あえていうと、若き日のハンプソン君、声は文句無く立派だけど、剣を突きつけられた顔が若すぎて、ローラントのイメージにちょっと合わない、などという本質的ではない不満くらいでしょうか。「その他大勢代表」役のオギエを「ペーター・ホフマン」が歌っているのですが、ワーグナーの主役を歌っていたホフマンと同一人物なのでしょうか? 演出は比較的低コストの控えめ、ですが、まともにやりすぎると粗が見えるところを上手くまとめたのかもしれませんし、良しとします。チェス盤の意味が良く分かりません、と書いても見ていないと何のことか分かりませんね。合唱隊には中々の美人が揃っています。

ペーター・ホフマンですが、このことを気にしておられたホフマンの愛好家の調査で、「あの」ホフマンではないことが判明しました。現在ペーター・スヴェンソンの名前で活躍しているテノールの本名がホフマンで、このオペラに出演後、「あの」ホフマンと同姓同名ではやりにくいということで、祖母の姓を名乗るようした、とのことです。こちらに詳しい話が出ています。

普通のオペラとは多少異質なのは否めないので、普通の劇場のレパートリーに定着するのは難しいかもしれませんが、記念音楽祭等の機会にある程度の頻度で上演されるようになる気がします。そうすればもう少し普通のDVDが店頭に並ぶようになるでしょうから、その時まで待つかどうか。単にオペラファンだけであれば「待ち」でしょうが、同時にシューベルトファンでもある、となれば・・・これは「買い」ではないかな、と思っております。

最初に入手したのは、DVD165 という番号で、ここのものとしては画像音質とも「まあまあ」級です。これと同じ音源と思われるものが、dvdm308 という番号で出ているので、買ってみました。ところがDVDプレーヤーが受け付けないのです。なんと、PALなのでした。再生するテレビ側の規格の主なものに、日本や米国のNTSCと欧州のPALがあり、PAL用のDVDは日本のテレビでは映せない=単なる嫌がらせのようなリージョンコードよりずっと本質的問題=のです。ちなみにHouseOfOperaのDVDは全てNTSCであることになっていますが、このくらいで驚いていてはいけません。(06.07.03追記)

パソコンで再生させたところ、画質音質ともDVD165より安定しているようだったので、NTSCへの変換を敢行しました。当時は色々苦戦してやりましたが、今ならここに書いたやり方で出来ます。

・ヴェルザー=メスト指揮チューリヒオペラ盤(09.03.01追記)
待望の正規盤が録音上手のチューリヒから出た・・・はずだったのですが、勘違いな演出のせいでぶち壊しでした。
最初から最後まで風采の上がらない「シューベルト氏」が舞台上をうろうろして、時々歌手とも対話するのですが、私にはこれが全て「演出がやりにくい作品に対する演出家の言い訳」としか見えません。
やや無理のある展開の責任をシューベルト氏に押し付けるために舞台上で晒し者にしている、としか見えないので、客席側から積極的にストーリー展開を受け入れようと努めても、舞台側から拒否されたような気になってしまいます。普通に演じてくれれば、例えば烈女フロリンダの嘆きに感情移入して聞くだけの覚悟はこちらにあるのに、「シューベルト氏」がうろうろして見事に邪魔してくださいます。
シューベルトはそりゃリストやショパン程には格好よくなかったかもしれませんが、あれでは常人以下の引きこもりにしか見えません。作曲家に対する敬意はどこへいったのですか。とにかくこの見苦しいシューベルト氏が頻繁にドアップになることもあり、画面を見続ける気が失せてしまいます。
といって、音声だけで飛び切り魅力的とも参りません。ヴェルザー=メストの指揮はアバドより間延びしていると感じられます。フロリンダの声は軽すぎて全く合っていません。カウフマンが出番の少ないタイトルロールを歌っていますが、伸びやかさの無い声です。
英語字幕のおかげで歌詞の意味が分かる点しか取り柄がない、のでは、
「シューベルトの傑作に対する正当な評価を妨げかねないだけの駄盤」でしょう。
#ちなみに今のところ米amazonの評価は高いですし、シューベルト氏への苦情もありません。
#ただし、アバド盤と見比べた人も居ないようです。

 

・メッツマッハー指揮ウィーンフィル(14.09.07追記)
 operashare#112315時代考証の正確さは分からないながら、私には中世ヨーロッパ風と見える衣装と、シンプルな装置と、のごくオーセンティックな演出によるものです。その演出で、テンポにも不満なく、高水準の歌唱で演じられたこの舞台を見てみると・・・オペラで見せたシューベルトの「個性」とも「欠点」ともいえる部分がよりあらわになったように思います。より「欠点」として受け取りやすくなってしまったかもしれません。
 使節団の捕縛からフロリンダのアリアにかけては、レシュマンの声の力も相まって、問答無用に最上級の高揚に至るのですが、そういう場面がある一方で、例えば理解不能な展開に白けてしまうのが避けられない大詰めの場面では、音楽が魅力的であればあるほど「浮いて」しまって、学芸会並みの展開を際立たせてしまっている、ようにも思うのです。オペラ全体を見渡して音楽を配置する「何か(=オペラ作曲家としてのセンス?)」が、例えばモーツァルトやロッシーニに比べると、欠けていたのかな、と思わないでもないです。
 真正面から演出するとこうなってしまうと分かっているから、あえて演出で小細工した、のがアバド盤であるなら、それはそれで理解可能、チューリヒの「シューベルト氏」はどういう基準を持ってきても論外、というのが振り返ってみた他盤の印象になります。
 私が名前で分かる歌手が、フロリンダ役のレシュマンと、ローランド役のヴェルバ、それぞれ歌にも演技にも力のある人が要になるべき役に回った、という印象です。その他は多分私には初めての歌手のようですが、録音にも恵まれてか、全体に高水準であるように聞こえました。そうなると一層、タイトルロールになっているフィエラブラスという役の中途半端さが、歌手はしっかり歌っているにもかかわらず、際立ちます。
 何だかんだ書きましたが、オーセンティックなこの舞台の演出が一番良いと思いますし、オーセンティックな演出と高水準の歌唱によるこの作品を、それも高水準の収録で鑑賞できるようになったことを喜びたいと思います。

Fierrabras, Schubert, Salzburg 2014
Broadcast date : Aug. 25, 2014, 7 p.m.
Haus fur Mozart, Salzburg, Austria
Ingo Metzmacher conductor
Peter Stein stage director
Ferdinand Wogerbauer set designer
Annamaria Heinreich costumes
Joachim Barth lighting
Ernst Raffelsberger chorus master
Julia Kleiter (Emma)
Dorothea Roschmann (Florinda)
Marie-Claude Chappuis (Maragond)
Michael Schade (Fierrabras)
Georg Zeppenfeld (King Karl)
Markus Werba (Roland)
Benjamin Bernheim (Eginhard)
Peter Kalman (Boland)

Members of the Angelika Prokopp
Sommerakademie of the Vienna Philharmonic
Wiener Philharmoniker

 

 

 

アルフォンソとエストレッラ D732

これも粗筋を紹介してくれているサイトがこちらにありました。DVDは、少し前までハウスオブオペラから出ているアーノンクール盤しか見当たらなかったのが、英語字幕ではありますが、日本の普通のDVDプレーヤーにかかるカリアリ歌劇場盤が、ネット通販や大規模レコード店で容易に手に入るようになりました。どちらが良いかというと、断然カリアリ歌劇場盤が良いと思うのですが、なぜそうなるのか考え込んでしまってご紹介が大きく遅れたのでした。

「フィエラブラス」の次にアーノンクール盤を見た時点では、話にならないくらいに「フィエラブラス」の方が勝っていると思いました。1種類の演奏同士ですから、これは作品の差と思うしかなかったのです。しかし、カリアリ盤を見てみると、これは文句なくお気に入りの一枚に入ります。画質音質に安定を欠く「フィエラブラス」アバド盤より好き、とも言えそうです。しかし、アーノンクール盤はハウスオブオペラとしては画質音質とも一段と良い部類で、画質は良いといってもたかが知れていますが、音質は目立った欠陥のない普通の水準の録音になっているのです。それでは何がこれほどの差をもたらしたのか。

誰にでも同意いただけそうなところとして、演出が全然違います。アーノンクール盤は最小限の装置というか、抽象的というか、有体に言うと殺風景です。「フィエラブラス」アバド盤と同じ系統と言えそうですが、それ以上に殺伐としているのです。対して、カリアリ盤は徹底的にメルヘン的、夢幻的です。メルヘン的といっても子供だましの安っぽいものではありません。大変なお金と、それ以上に大変な手間をかけて本気で作り上げたメルヘンです。歌手が演じているのに重ねるように、黒子に操られた文楽人形の動きが加わるのですが、こう書かれてもおそらく全く見当がつかないと思います。このきわめて美しい舞台を見るだけでも、実売価格4000円前後の値打ちはあるでしょう。

歌手陣はアーノンクール盤だけ聞いていると問題なさそうに思えるのですが、聞き比べると、主役の若者二人の声が重過ぎると思えます。ワーグナーでもあるまいに・・という感じ。カリアリ盤のエヴァ・メイとライナー・トロストのコンビの軽い声の方が断然シューベルトに相応しく思えますし、見た目の美しさでも大差がつきます。見た目といえば、アーノンクール盤でマウレガートを目の不自由な老人にしているのも不自然です。 アーノンクール盤に「フィエラブラス」に続いて登場のハンプソンは、顔立ちにも貫禄が出てきて中々良いのですが、カリアリ歌劇場盤で同じフロイラを歌っている Werba も、実年齢はさらに若そうなのですが、こちらも朗々として負けていません。アドルフォは両盤ともムフが歌っています。ノリがいいのはやはりカリアリ歌劇場盤の方です。

アーノンクールと、カリアリで指揮をしているコルステンとでは、さほどの優劣の差は無いような気がします。が、カリアリ歌劇場盤からは、歌手・オケから人形遣いの黒子に至るまでの全スタッフの献身的なやる気が伝わってくるのです。これは指揮者というよりやはり演出の違いのなせる技でしょうか。カリアリで演出をしているロンコーニさん、例えばスカラ座の「ウィリアム・テル」など大嫌いなのですが、これは良いです。

ここまで振り返ってから、「フィエラブラス」と比較してみましょう。「フィエラブラス」が地の台詞やメロドラマ(音楽用語としては、音楽を背景に地の台詞を話す様式のこと・・一般語と音楽用語とで、これほど意味がかけ離れた語も珍しい)を用いてレチタティーボを使っていないのに対し、「アルフォンソとエストレッラ」はレチタティーボの使用すら最小限にとどめて、ストーリー展開まで極力重唱に押し込んでいます。普段は地の台詞を用いないオペラの方に親しんでいるので、「フィエラブラス」に少し聞き難さを感じていたのも否めないのですが、しかし、英語字幕すらないHauseOfOpera盤で聞きつづけるのには地の台詞が入ることによりメリハリがつくメリットの方が大きいようです。レチタティーボすら用いずに殆どを重唱に押し込む、というのは一見格好いいのですが、ともするとダラダラした重唱の羅列になりかねません・・・というのが、アーノンクール盤を見て聞いての感想、そんなことはないぞ、というのがカリアリ歌劇場盤を聞いての感想・・・ですが、音楽の比較では「フィエラブラス」が少し優るように思います。シューベルトのオペラに最初に手を出す一枚なら、文句無く、カリアリ歌劇場の「アルフォンソとエストレッラ」でしょう。

 

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