「オテロ」
実はこの私、シェイクスピアの「オセロー」に対しては「食わず嫌い」で、新潮文庫版の冒頭を少し読んだだけで20年近く「積ん読」を通しています。「四大悲劇」の中で死人の数なら一番少ない「オセロー」を特に好まないのは、イヤーゴの「悪」に納得がいかなかったからです。リア王でのエドマンドやリチャード3世なら分かり易い。己の栄達のために手段を選ばない姿はある種痛快でもあります。それに対して、イヤーゴの悪の達成の姿がまず分からない。最後までイヤーゴの思惑通りに行ったとして、デズデモナとカッシオを死なせてオセローの精神を破壊し尽くして、自分はそのオセローの副官に収まる? そんな目的のはっきりしない悪では救いようも無く、観客としても惚れようが無い・・・。
ボーイトの台本による「オテロ」が随分分かりやすいのは、ボーイト創作による第2幕の「クレード」(悪の信条告白)によるところが大です。どこにも書いてはありませんが、イヤーゴはオテロに幸せをもたらしたデズデモナも大嫌いだったのです。若くて奇麗なオテロの偶像をオテロ自身に壊させる、そのこと自体に痛快を感じ、その実現に向けて緻密な計画に基づいて行動する・・・これこそ大悲劇の悪役であり、なればこそ主人公のオテロも引き立つのだ、と思い始めています。
そういえば、ですが、エドマンドもリチャード3世も、舞台上で自分の悪に対する信条を述べる場面が与えられていて、観客としても心の準備ができるようになっているのでした。それにしても、エドマンドの痛快さが懐かくなる程に暗い精神です。「空騒ぎ」のドン・ジョンが親戚筋でしょうが、あちらはまだスケールが小さい。 シェイクスピアはイヤーゴにはクレードは必要ないと考えていたのでしょうか。
粗筋はこちらになります。クレード他の若干の追加がある他はシェイクスピアの原作を簡潔に切り詰めたものです。正直なところ、この筋立ては私にはアドヴァンテージにはなっていません。例えば、ご都合主義でも何でも「運命の力」初演版の方が好きです。ですが、天下が認める名作ですから良しとされる方のほうが多いのでしょう。いまだに原作をチェックしていないのでちゃんとした比較は出来ないのですが、切り詰めて原作以上に筋肉質で充実した台本になっているようです。私のような「オセローアレルギー」の特異体質であれば別ですが、オペラ未体験者が初めて見聞きするオペラとしてもお勧めできます。
その筋立てに付けられた音楽は、ほぼ全編にわたり音楽は3人の主人公を全力で追いかけつづけます。無理やり挿入した明るい場面の音楽もまた秀逸だから良し、の「運命の力」とも、主役級6人で大河小説のように悠々と展開する「ドン・カルロ」とも、集中力が全然違います。元々のオセローアレルギーが完全に払拭されたわけではないので、第2幕でイヤーゴがオテロをだます場面ではあまりじっくりやられると嫌味を感じますが、その第2幕でも最初のクレード、最後の2重唱が凄まじい迫力です。第1幕ならさらにド迫力の開幕の合唱とオテロの登場、耳についてはなれない「酒無理強いの歌」、故意にぎこちない「愛の歌」、全部凄い第3幕から一つ選べば、「オテロのモノローグ」、第4幕なら「オテロの死」・・・・と印象深い場面が尽きません。
よく言われるのが、ヴェルディがこのオペラで(オリジナルとしては)初めて「番号オペラ」から脱した、という点です(「シモン・ボッカネグラ」の改訂版が形の上では「オテロ」に先行していますが)。各幕の最後以外拍手をもらうような切れ目がない、のですが、イヤーゴのクレードにしても、オテロのモノローグにしても始まりと終わりがはっきりしないというわけではなく、「番号オペラ」の方をご存知ないのであれば、このような話題を気にする必要はありません。「番号オペラ」より流れが良くなっているのは間違いありませんが。
手持ち音源
ムーティ指揮ミラノ・スカラ座歌劇場盤
他の2枚も十分素晴らしいのですが、この1枚はオペラ初心者からベテランまで幅広くお勧めできます。
ごくごくまともな演出がまず安心材料。開幕の合唱で雷の効果音を使うのは本来私の趣味ではないですが、ここでの使い方なら気になりません。ムーティの指揮の快調なテンポと歯切れのいいリズム、優秀な録音がさらに安心材料です。第3幕の終わりの方がパリ上演版を一部採用していて若干違いますが、どちらの版にしても声部が多すぎて全声部の聞き取りと字幕の掲示が不可能であることには違いなく、また別の旋律が使われているわけではないので、特に気になるような違いではありません。
手持ち資料を信ずれば少なくとも過去8回オテロ役の録音があり、この収録時60歳になっていたドミンゴには、さらに優れた録音があるのかもしれませんが、この盤だけ聴いている限り、衰えが気になる場面は全くありませんでした。むしろ役柄に対して老いまでも味方につけています。年を取ってから若くて奇麗な妻を娶ったが故の不安がイヤーゴに付け入る隙を見せてしまった、というあたりが自然に出てきます。素晴らしい声で歌いつづけ、なおかつ場面ごとの表情の変化が見事です。特に大詰め、真相を知って半狂乱になって剣を振り回した後、我に返って「私を恐れるな」と歌い始める時の変化や、我が胸を刺した後でデズデモナににじり寄る演技には何度見ても涙腺が緩みます。久しぶりのオテロをスカラ座で演じたからでしょう、緊張感ある演技はいささかも馴れを感じさせません。
59歳のヌッチもパルマでの驚異的なリゴレットには及ばないとしても声が出ています。こちらもカッシオをたぶらかした後でクレードを歌い始めるところでは、照明の力を借りずとも内なる悪魔が表に出てくる迫力です。ゴッピやアレクセイエフより地声の軽い人なのですが、甘言を並べる時はその軽い声を、悪魔になるときは重い声を、使い分ける表現の幅では他の二人を上回ります。オテロとイヤーゴが同年輩で、カッシオやデズデモナより随分年上、というのも丁度良いと思います。
フリットリのデズデモナは、歌ではトゥッチには及ばないように思いますが、奇麗で可愛くて儚くて、雰囲気最高です。カッシオはまずまず。エミーリアもバレンボイム盤の方が目に麗しいとはいえ、イヤーゴに近い年齢のこちらの方が全体のバランスとしては勝ります。自分が古女房に我慢しているのに同年輩のオテロが輝くような若妻をゲットしたのを「けったくそ悪い」とイヤーゴが考えた、とはどこにも書いてありませんが、そう想像しながらこの盤を見るとイヤーゴの内なる悪魔が一段と理解できるのです。
バレンボイム指揮ベルリン州立歌劇場盤
私が最初に見た「オテロ」です。当初すっきり行かなかったところが他2盤と見比べるうちに腑に落ちてきて、今となってはこれはこれで好きです、が、最初の一枚としてはお勧めしません。
衣装とセットの時代は完全に現代で、背景で闊歩する水着美人には悪い気はしませんが、やはり全体的にお話に対して不自然です。「ファウストの劫罰」のように真正面からは演出のしようのない作品ではなく、普通にやって十分うまくいく作品であり、これを本来の時代設定から変えることによって得たものがあるようには思えません。第3幕で壊れてしまったオテロが顔に白粉を塗りたくる後ろでイヤーゴが旗竿を振り回して自分の勝利を祝っている情景などムーティ盤以上に秀逸な演出と思う部分もあるのですが、これも時代を動かすことなく同じことができたはずです。演出家の冒険と割り切れば、これはこれで楽しめるのですが、こういう楽しみ方をするには普通の演出を知っていることが前提になるので、初めて見る映像盤としてはお勧めしないという見解になります。
バレンボイムの指揮は良く言えば入念、悪く言えば重ったるく粘り、第1幕の愛の歌や第2幕でイヤーゴがオテロをだます場面などでは鬱陶しくなるのですが、全体的にはそう悪いものではありません。演出とは似合っています。
フランツのオテロには興味深いものがあります。最初から最後まで悲劇性をたたえた張りのある声質を殆ど変えません。演技も細かい表情は殆ど出しません。にもかかわらず「でくのぼう」には見えないのですから、これは表情をイヤーゴに集める演出に従って敢えてやっているのかな?という気がしています。声の威力は十分にあるのですが、比べてしまうとドミンゴの自然な演技の方が好きだということになります。実年齢はかなり若いのでしょうか。
アレクセイエフのイヤーゴは秀逸です。ヌッチより重い声で、こちらの方が典型的なイヤーゴの声でしょう。過剰な演出を一手に背負うかのような入念な演技で、狂言回しとして存在感は圧倒的です。ヌッチもこのアレクセイエフもそれぞれの演出の中で八面六臂の大活躍ですから、どちらが好きかと言われたら困ってしまいます。
バレンボイムもフランツも、演出との整合として納得できるのですが、マギーのデズデモナはミスキャストに近いように思います。喉を詰めた明瞭さに欠ける発声はソプラノ・リリコ・スピント(やや重たい声のソプラノ)としてフリットリよりさらに良くない。同じく良くないのがその雰囲気で、どう見ても自意識に目覚めたアングロサクソン美人です。イギリス婦人参政権運動の女闘士役でも演じられそうな雰囲気は、演出の目指した所なのでしょうが、どうにもデズデモナには似合いません。
エミーリア役がどういう人かは知らないのですが、デスデモナ以上に若いラテン美人に見えるのはかえって問題、あれだけ若くて奇麗な奥さんがいるのであれば、イヤーゴがオテロを憎むとしても、デスデモナを死なせるという形の陰謀には心理的にならない気がします。カッシオはムーティ盤以上の優男ぶりが中々いい。
エレーデ指揮NHK交響楽団盤
マリオ・デル・モナコ、ティト・ゴッビらが来日した際の公演記録です。この両者の共演によるオテロの唯一の映像だそうです。モノクロ画像にモノラル音声。冒頭いきなり情けない画質で先行きが思いやられるのですが、それ以降は多少は立ち直るように思います。音質は当時としては優秀でしょう。演出は極々無難、舞台の奥行きが取れていないのが少し可愛そうです。エレーデのテンポはムーティ同様に快調ですが、比べるとなると音質の差が目立ちます。字幕は元々のTV放映用に添えられたもののようですが、少ししか入らない上に訳自体も適当過ぎて、画質と共に一枚目DVDとしてはお勧めしにくい、というより、コレクターズアイテムですね、これは。
デル・モナコは登場の瞬間から一本調子ですが張りのある声、明瞭な発声で圧倒的です。めったに現れないという純粋のテノーレ・ドランマーティコ(一番重い声のテノール)の声です。ただ生涯に400回以上この役を演じた名歌手が極東にわざわざやって来て演じたこのオテロには馴れも見え隠れします。ゴッビの演技の巧みさは有名ですが、ヌッチもアレクセイエフも極めて達者なのでその凄さは今一つピンと来ませんでした。声は重いほうですが、声量ならアレクセイエフが優るようです。トゥッチのデズデモナは3枚中一番いい。これが美しき正統的リリコ・スピントの発声でしょう。大きな目が印象的でフリットリに準ずる可愛らしさもあります。この日本公演が最初の大成功となったというのはよく分かります。この人はその後まもなく声が出なくなってしまって超一流に名を連ねる所までは行かなかったのですが、そんな事でこのデズデモナの素晴らしさがいささかも損なわれるものではありません。
以上3枚も買い込めば、好きな盤ができる一方で好まない盤も出来そうなものなのですが、新たな盤を見るたびに、先に見た盤の美点もどんどん発見できて、それぞれを益々好きになる、というのには我ながら驚いています。これがイタリアオペラ最高峰の力でしょうか。(03.09.27)
C.クライバー指揮ミラノ・スカラ座盤
先にCDを買っていて、その感想を載せているのですが、撤回します。だって、HouseOfOpera(紹介はこちら)のDVDで見てしまったのです。素晴らしいの一言です。画像で見たものと音声だけのものとを横並びで比べるのは、私には無理のようです。
HouseOfOperaからDVD125という番号で、英語圏での放送のものが出ていたのですが、最近DVDCC1023という番号でRAIの放送からのものが出ました。画質音質とも大差があり、もしこれから注文するなら
DVDCC1023 の方をお勧めします。こちらなら、70年代収録としてまずまず納得できる水準で、パリ・オペラ座の「シモン・ボッカネグラ」より優ります。クライバー追悼盤の「カルメン」には及ばないと思いますが、正規盤で出るまでのお楽しみ、としましょう。
→ついに正規盤(?)が出ましたので、これがお勧めです。音質画質ともDVDではこれが断然良いです。ただし字幕は付きません。「オテロ」一枚目としてはお勧めできませんが、二枚目以降なら、「オテロ」が好きならば、是非持っておいていただきたい一枚だと思っています。
なおこのDVDCC1023、カタログ上もパッケージ上にも「オテロ」としか書いていないのですが、再生してみると「オテロ」の後に同じくドミンゴ主演の「道化師」が入っていました。今後同じ番号で注文して、同じ「道化師」が付いて来るかどうかは私には見当もつきません。
まだ若いクライバーが格好良いです。冒頭、指揮棒を振り下ろす直前の一瞬の躊躇で漲る緊張感、これを見るだけでもう引き込まれます(バレンボイムなんかヨイショと座ってそ〜れ、て振りはじめるだけだもんな)。出てくる音が熱いです。テンポはムーティに近いのですが、熱さが違います。こんな名演なのになぜか第3幕、第4幕の冒頭でヤジで妨害する輩がいて、一方でクライバーを励ますような拍手をする人達もいて、クライバーは第3幕ではその混乱のまま振り進めて、第4幕は鎮まるまで待ったのですが、そのやり取りもスリリングです。
CDで聞いたときから驚嘆したカプッチッリは文句無く素晴らしいのですが、フレーニにも感動しました。上から下まで無理なく出てくる軽めの声で、一味違ったデズデモナを描いている、という以上に、重い声でのデズデモナ以上に説得力があるようにも思えてきました。音質の良いDVDCC1023で見直すと、やはり声のキツさが少し気になるので、微妙なこところです。
→DVDでは正規盤(?)の音質が一番良く、そうなるとフレーニの声のきつさの印象はCDで感じたものに近づいては来ました。でも歌も演技も上手いです。
ドミンゴが舞台で初めてオテロを歌ったのが1974年、この録音がその2年後の1976年、ムーティ盤がその四半世紀後、という時の流れはあります。前半ガンガンいくところはこちらの方がいい。特に第2幕最後の二重唱は、カプッチッリの方がさらに凄いというべきものかもしれませんが、ドミンゴも凄いです。後半、第3幕のモノローグとか第4幕のオテロの死の場面だと、ムーティ盤の方が説得力があります。・・・意外とバレンボイム盤で歌っているフランツが前半後半とも良いなぁと思う今日この頃ですが、どれが優るとか劣るとかいうより、その日の気分にあわせて盤を選べる幸せ、というものでしょう。
バレンボイム盤を見た後ムーティ盤を見て、普通の演出だ、とほっとしたのですが、こちらの方がさらに正統的演出でした。群集の動員数が凄い。これを珍しいほどの高いカメラ位置が強調します。舞台との一体感が伝わってきます。このDVDは明らかに放送映像から起こしたものですが、最近クライバーの追悼盤として出たウィーンでの「カルメン」に近い状態での正規の復刻盤がもし出てくれれば、即買います。(04.12.25追記)(DVDCC1023 関連を05.05.21に修正)(正規盤(?)関連を07.04.22に追記)
これ以降は、CDを聞いて書いた最初の感想・・・恥をしのんでさらします。ここから・・・
トゥッチより軽い声のフレーニのデズデモナ(カラヤン盤)、あるいはもう少し若いときのドミンゴ(映画版のマゼール盤を避けてショルティ盤?)も何時かは見てみたい・・・と思っていたところでふと目に止まったCDです。ドミンゴ、カップチルリ、フレーニという凄い組み合わせです。海賊盤のようで残念ながら録音は今一つです。カップチルリが絶好調、声がいくらでも出そうな感じで、パルマで「リゴレット」を歌った際のヌッチに匹敵します。ドミンゴはムーティ盤と比べると一本調子と聞こえます。こちらを先に聴いていればムーティ盤が「声が出きっていない」と聞こえたかも知れません。当時のフレーニには、デズデモナは重い方の限界に近かったのだろうと思います。圧倒的に上手いのだけど、声が鋭くなるのが気になる点でエリザベッタ(ドン・カルロ)よりさらに適正範囲から外れています。クライバーの快速テンポはムーティに近い印象ですが、録音の分だけは間違いなく損してます。
ドミンゴもフレーニも素晴らしいけれど、個人的事情からいうと、カラヤン盤やショルティ盤を買うよりは安くついたのだから良しとしよう、というところです。(03.12.13追記)
C.クライバー指揮、1981年ミラノ・スカラ座日本公演
OperaShareより入手(#62395)。オテロ:ドミンゴ、デズデモナ:トモワ=シントウ、イヤーゴ:カローリ、です。演出は小道具(砂時計とか)に至るまで1976年と同じで、そちらを見ていれば衣装だけで人物の見分けが出来ます。指揮姿が殆ど映りませんがクライバーの指揮ぶりもよく似ていています、が、あそこまでの緊張感はない、というか、あちらの方が特異な演奏の記録なのでしょう。
カローリは比べれば普通のバリトンで、カップチルリの迫力とか凄みは全然ありませんが、普通は普通で悪くないな、とも思えるのは、やはりしっかり歌って演技しているのでしょう。
トモワ=シントウはカラヤン指揮のドイツ語ものに良く出ているので昔から名前だけ知っていた人で、もしかしたら今回初めてちゃんと聞いた、のかもしれません。これまた普通のソプラノの良さがあるな、と思う場面も多いのですが、時々高音を下から探るように取るのと、何となくですが発音がイタリア風ではないような気がする・・・私イタリア語を解しませんので突っ込まないで下さい・・・のが気になる場面もあります。落ち着いた奇麗なおばさま、で雰囲気は中々良いです。
ドミンゴは76年より相手役に迫力が欠ける分少しだけノリが悪いような気もしますが、基本的には同じ調子で頑張ってくれています。
画質は81年の家庭用ビデオ収録とすればまずまず、音質はモノラルでもう一息欲しかった、というところで、演奏としても1976年には及びませんが、クライバーのオテロを日本語字幕で聞ける、というところには価値を見出せます。その81年時点での日本語字幕、59年だったかのデル=モナコ来日盤とは比較にならないほどにまともですが、それでも大事な台詞なのに字幕として出しそこなった、のがいくつかあるように思います。
Tokyo , NHK Hall
2 September , 1981 ; Live Recording
La Scala Milan Orhestra & Chorus
Otello : Placido Domingo
Desdemona : Anna Tomowa-Sintow
Jago : Silvano Carroli
Cassio : Enzio Di Cesare
Roderigo : Ermanno Lorenzi
Lodovico : Luigi Roni
Montano : Orazio Mori
Un Araldo : Giuseppe Morresi
Emilia : Stefania Malagu(08.12.13追記)
アバド指揮ベルリンフィル(1996)
OperaShareより入手(#50660)。オテロ:ホセ・クーラ、デズデモナ:バルバラ・フリットリ、イヤーゴ:ルッジェーロ・ライモンディ、です。「エドガール」(プッチーニ作曲1888年初演の作品、DVDリスト1を参照ください)を歌ったクーラが大いに気に入ったので、これも見てみましたが、今ひとつ・・・。
比較的新しい収録にもかかわらず録音が悪くて評価に値しません、と切って捨てるのが大人の対応かもしれませんが、あえて色々書いてみます。
姿のことを言えば、クーラとフリットリの組み合わせは最高です。イヤーゴを演じるにはライモンディは貫禄ある偉丈夫でありすぎるように思います。悪役でもスカルピアなら気にならないのですが。それでも最高に格好良い主役3人であるのは間違いありません。
クーラの声は、質ではオテロ向きと思いますが量では不足のような気がします。録音のせいで声の伸びが録れていない面はありますが、単純に声量でライモンディに負けていますから、やはり声量不足なのでしょう。そのライモンディ、声量は十分ですがバスではあっても軽めの、モーツァルトやロッシーニ向きの声は、カップチッリやアレクセイエフのような重いバリトン声よりは軽く聞こえてしまいます。一番物足りないのが、フリットリで、声の質がデズデモナに合わないと思うのはムーティ盤以上でした。これだったらバレンボイム盤のマギーの方がまだいいと思いました。
とにかく声が前に出てこない録音が一番いけないのですが、録音で録れていない所を何とか脳内補完しようと努力するよりも、例えばバレンボイム盤を普通に見て聞く方が私にはずっと「オテロ」を楽しめるらしい、のは、この映像を見た後から確認しました。
Otello : Jose CURA
Desdemona : Barbara FRITTOLI
Iago : Ruggero RAIMONDI
Cassio : Vicente OMBUENA
Emilia : Serena PASQUALINI
Lodovico : Giacomo PRESTIA
Montano : Jose FARDILHA
Roderigo : Alessandro CONSENTINO
Un araldo : Giovanni MELE
Coro del Teatro Regio Torino
Berliner Philharmoniker
Regia : Ermanno Olmi
Dirigent : Claudio ABBADO
1996
(09.10.11追記)