第54巻:オペラ編曲集その6(主に異稿) お勧め度:D
第50巻に続き、オペラ編曲物の別稿集です。珍品度は更に上昇し、もはや完全にコレクターズアイテム、オペラ編曲ものの最終であると同時に、第55巻、第56巻と続く、超マイナー複数枚組み物シリーズの第1弾です。ハワードの出来も、第50巻よりさらに落ちているというか、根気が切れつつあるように思います。第42巻、第50巻と重なる曲が多いのは、有名になりきれなかったオペラファンタジーに対しリストがあきらめきれなくて異稿を次々作ってしまった、のでしょうか。とすると、「ノルマ」「イゾルデ」「ファウスト・ワルツ」あたりは、一発で出来た会心作?。私のほうも根気が切れてきましたので手短に済ませます。
CD1はまず、Auber 原作の「”フィアンセ”のチロル風大幻想曲」(1829、初稿)、一部なら第42巻の「チロルのメロディ」として出てきているのですが、当時未だ10代のリストがオペラ初演に間をおかず、「チロルのメロディ」と「幻想曲」の両方を作ったわけです。第50巻の最終稿も、芸も花も無い曲ですが、初稿はさらに落ちます。10代の作品、幻想交響曲以前の年代の作品、といったフィルタなしでは評価のしようがありません。ヴェルディ原作の「エルナーニ − 演奏会用第1パラフレーズ」(1847)は、より有名な(と思います)、第30巻の「エルナーニ・パラフレーズ」とは一応違う曲です。取材した材料が一部しか共通していません。どちらも今一つだと思っています。
マイヤベーア原作の「”ユグノー教徒”の回想」(1842、第2稿)に来て、ようやくほっとします。第50巻の初稿と細部は一緒だけれど、第42巻の最終稿でカットされている長いアンダンテ部分は既に無い、といった版だそうです。ベルリーニ原作による「オペラ”夢遊病の女”の主題による幻想曲」(1841、初稿)も第50巻に第2稿、第42巻に第3稿が収録されている・・・はずですが、第2稿の成立が1839年となっているのは?。推測ですが、この巻のブックレット記述が間違いのような気がします。オペラの1831年初演から間を置いてから世に問う、というのは不自然と思うからです。この2曲なら聞いて楽しいけれど、第42巻で聞くほうがもっと楽しいと思っています。
CD1の最後はグリンカ原作の「ルスランとリュドミラ」からの行進曲、”Marche des Tcherkesses”(1843)です。これの最終稿は第6巻にあります。個性的な曲ですから、稿違いは余り目立たない気がします。
CD2はドニゼッティの有名な「ランメルムーアのルチア」と無名な「Parisina」という二つのオペラに材料を求めた「”ルチア”と”Parisina”の動機によるワルツ」(1842、初稿)から。最終稿は第30巻です。Valse melancoloque 及び Valse de bravoure (何れも第1巻)とまとめて出版された最終稿と比べ、洗練という点では劣っていて、第1巻の2曲とは組み合わせる気にならないように思いますが、直裁な素直さはそれなりの魅力があります。
続いてワーグナー原作の「タンホイザー序曲」(1848)、第17巻と第42巻にある「巡礼の合唱」と共に、ワーグナーものの中で「タンホイザー」絡みの編曲は水準が高いといえそうですが、この巻のは演奏が良くない。「巡礼の合唱」より難しいのかもしれませんが、どっこいしょが過ぎます。この巻中で、世界初録音印と、ハワードが楽譜を準備した印と、の両方を免れているのはこのトラックだけです。
ベルリーニ原作「”清教徒”の回想」(1837)も第42巻の初稿に続く第2稿です。感想は・・・「ユグノー教徒」「夢遊病の女」に準じます。
「ウェーバーの”魔弾の射手”のテーマによる変奏曲」(1840-1841)は未出版作品です。「魔弾の射手序曲」(第6巻)、オベロン序曲(第30巻)と、どうもうまく行かなかったウェーバー/リスト/ハワードの組み合わせが最後にようやく上手くいった感じがします。単なる序曲よりいろいろ出てきて面白い、といってしまう私はもはや19世紀人並のオペラファンタジーファンになってしまったかもしれません。
続く「スカラ座の回想」(1838)も未出版作品です。やや不思議な題名ですが、1837年頃、イタリア北部のコモにマリー・ダグー伯爵夫人と暮らしていたリストは何度かミラノに足を運んでいて、この頃にミラノ・スカラ座で流行っていたのがMercadante(第24巻で一瞬出てきた名前です)のオペラ”Il giuramento”であり、このオペラが、「スカラ座の回想」の主要な材料を提供している、ということです。出典不明のメロディもあり、忘れられた、しかし当時は流行っていたオペラの何れかに材料を求めたのだろう、と推定されているようです。突出はしませんが水準を保ったオペラファンタジーであり、ハワードさん、疲労の色は隠せないのですが、一つ前の曲と同じく、別稿の無い曲だと変に比較することなく素直に楽しめてしまいます。