第5巻:サンサーンス、ショパン、ベルリオーズ編曲集 お勧め度:C

いよいよリストを語ろうとする者の姿勢を問われそうな、リストの編曲(transcriptions)ものの第一弾です。しかしやりにくいな。編曲の典型というなら次のオペラファンタジー集だし、この巻きは編曲物の中での好みでも中くらいになるし、なんとも中途半端な巻が第一弾になってしまっていることよ。

編曲といっても、比較的原曲に忠実にピアノに写し、楽器の違いならではの効果の違いはしかるべく置き換える式の「トランスクリプション」から、主題だけ借りてきて自由に展開する「パラフレーズ」「ファンタジー」まで、そしてそのあらゆる中間段階を含みます。ブラームスの交響曲第4番の終楽章をパラフレーズと呼んで呼べないことは無い。リストの編曲ばかり、それも聴きもせずに否定するのはやめましょう!

ピアノは管弦楽に比べて音色が少ない、だからそんな詰まらないものを聴く気はしない、という向きも有るかと思います。しかしそれは音楽史上のおいしいものを食わず嫌いすることになりますよ。音色が単一であっても、ピアノによる色彩感となると下手なオーケストラのおよぶところではありません・・その実例がリスト作品中にあったりするのですが。

リストは他人の作品を編曲することの是非について、いいとか悪いとか考えるというより、全然気にしていなかったのだろうと思います。いい曲だと思ったからピアノで弾いてみた、それを何を外野がごちゃごちゃ言うとるのか? といったところではないでしょうか。この世界最強のピアニストがその自己顕示欲(比類なく強そうですが)を満足させるために編曲者として名を残す必要は全然無かったのです。

リストは自分自身を含むピアニストと聴衆のために、場合によっては原曲作曲者のために編曲を行いました。余計なお世話、というのも当然ありですが。おかげで、リストの個性が刻み付けられたものもあれば、全然そうでないのもある、雑多な集団が出来上がりました。聴く側としても是々非々で臨むべきでしょう。その中でもリストとの一般的な適性というべきものはある。この巻ではベルリオーズはやはり向いている方でしょう。これがただ一曲ですが、サンサーンスも悪くない。ショパンはこの2者には及ばないと思います。

最初がサンサーンスの「死の舞踏」。下らないことですが、日本語で「死の舞踏のピアノ独奏用編曲」では曲を特定できません。この曲がフランス語で Dance macabre 、もう一つ、自作のピアノと管弦楽のためのTotentanz (ドイツ語)の独奏用編曲(第9巻)もあります。なんともカラフルな名編曲です。後でまた触れますが、管弦楽の編曲ではなぜか原曲がカラフルな方がうまくいく。

ショパンの17のポーランドの歌作品74は、ショパンの死後まとめられた若い頃の歌曲の寄せ集め。これからリストが6曲をピアノ曲=「6つのポーランドの歌」にしていますが、殆どリストを感じません。こんなマズルカもあったような気がする、といった具合のショパン調です。悪くは無いのだけれどリストの作品として聞く意味はありませんし、リストもそういうつもりで書いたわけではありますまい。

後半はベルリオーズです。最初の「イデー・フィクス」は説明を要します。原曲は「幻想交響曲」の「固定楽想」なのですが、この曲は「幻想交響曲」のプロモーションビデオ代わりと思えば当たらずといえども遠からずです。単なる抜粋ではなく6分半続きますし、乙女チックな雰囲気は原曲のどの場面にもないあたり、リスト作曲の幻想曲とも変奏曲とも呼べそうですが、それにしては元の楽想から全然離れない。

続いて「宗教裁判官」序曲、イタリアのハロルドから「夜の祈りを歌う巡礼の行進」、ファウストの劫罰から「妖精のワルツ」、「リア王」序曲と入っていますが、魅力は原曲の知名度に比例します。「妖精のワルツ」ついで「巡礼の行進」でしょう。適性はいいので、ピアノの響きが気持ちいい、という意味ではどれでもお勧め度Bクラスなのですが、全57巻を見渡した時にはやっぱりこれはコレクターズアイテム、お勧め度Dクラスかな、という思いが交錯します。私自身、最初に聞いたときにはホロヴィッツで耳に馴染みのあった死の舞踏以外はピンと来ず、ベルリオーズものはどれも良いではないの、と思い始めたのはずいぶん後であることを告白します。

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