拓のプロフィール4 |
母子通園 口蓋裂の手術が済んだ頃、保健婦さんに勧められて、車で30分ほどの所にある、 隣の市の障害児保育をしている通園施設に、通う事になりました。 ここの園は、健常の子供達との合同保育が、行なわれていて、 寝たきりの子供達の周りを元気な子供達が、走り回っていると言うものでした。 障害の子供だけを隔離せず、障害を持った子供達が、元気な子供に刺激を受け、 また、健常の子供達も、障害を持っている子供達に、分け隔てなく優しく接し、 困っている時には、自然に手助けが出来るように、保育されていました。 ここでは、障害を持ったお子さんと、そのお母さんとの横のつながりが出来ました。 私にとって、今までなかった情報交換の場所になりました。 |
ボイタ法 通園施設で、1時間ほどの所にあるセンターで、ボイタ法のリハビリ訓練を受けている と言うAちゃんに、刺激を受けて、拓も通う事になりました。 コロニーの2時間半の道のりに比べれば、近い、近い。 でも、駅から降りると、センターは、小高い丘の上にあるため、 おんぶして、歩いて行くのは、ちょっときついものでした。 この頃から、私は、どこへでも、車で、出かけるようになりました。 |
ドーマン法 3歳になったころ、一日中過ごす通園施設で、リハビリがない事に、もったいなさを感じ、 思い切って、ドーマン法を取り入れている肢体不自由児の通園施設に移りました。 この時、相談に乗ってもらったのが、拓が、4ヶ月の時、病院の同室で、 知り合いになったRちゃんのお母さんでした。 Rちゃんが、この通園施設に通っていると言う事をこの時、聞いていたのです。 Rちゃんのお母さんは、 「もし、この子の事で、困った時は、その園の園長先生を訪ねなさい。 きっと力になってくれるから・・・」と、教えていてくれたのでした。 はっきり言って、初めて見たドーマン法は、子供が可哀想と思えるくらいの 意志を無視した、ハードなリハビリ法だったのです。 この頃の私は、拓の為になる事なら、何でも試してみたかったのです。 ドーマン法は、一人では、出来ません。 家では、ボイタ法、動作法、園では、ドーマン法と言うのが、2年続きました。 |
動作訓練法 実は、ドーマン法を始める少し前から、もう一つの訓練法、動作訓練を最初に通園した 園のお母さん達と、親子訓練の会を作って、始めたのです。 会で、スーパーバイザー(先生)をお願いして、親(トレナー)が、 子供(トレーニー)を訓練する事を勉強するのです。 月に1回、土曜日の午後の訓練会。 年に2回のお泊りの訓練キャンプをします。 1週間、缶詰の訓練キャンプも、ありました。 そこで、覚えた事を家庭で、訓練するのです。 子供の体を一番知っていなくては、いけないのは、親です。 訓練を通して、子供の体の変化、心の変化をつかもうと言うものでもあります。 実際、この訓練法は、肢体不自由のお子さんだけでなく、知的障害のお子さんや、 自閉症のお子さんたちにも、多く取り入れられ、成果を上げています。 ボイタ法、ドーマン法と、違うのは、本人の意思を無視して行なう訓練では、ないと言う事です。 |
ボバース法 病院へは、心臓のチェックと、強心剤をもらう為、定期的に行っていました。 そこで、これからリハビリする、Bちゃんに会いました。 どんなリハビリだろうかと、見学に付いていきました。 Bちゃんは、バルーンや、ローラーを使い、楽しそうに先生と、お話ししながらリハビリしています。 また、私は、新しいリハビリに乗ってしまいました。 通園施設に通う前に、病院に通い、朝一番で、リハビリをしてもらいました。 (この頃、通園していたのは、最初に通っていた健常児との合同保育園です。) ドーマン法の通園施設は、大人の施設となったため、拓たちは、最後の卒園生として、 2年間過ごして、送り出されたのです。 ですから、もう、ドーマン法は、していませんでした。 修学までの一年を古巣に戻ったのです。) ボバース法は、理学療法士まかせなので、私にしてみれば、通う事を除けば、 楽なリハビリでした。 じっさい、通園の途中なので、それほど大変なことなく、続ける事が出来ました。 |
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