拓のプロフィール 12 |
肺炎の繰り返し 楽しかった中学生活を終え、長い春休みに入りました。 卒業式の次の日、ひさしぶりに熱を出したのです。 今まで、熱を出しても、行きつけの耳鼻科で、薬をもらうと、たいてい治まりました。 が、その次の日は、40℃の高熱を出してしまったのです。 このところ、風邪らしい風邪もひいたことのない拓でしたので、あわてて病院に飛んでいきました。 肺炎と、診断され、入院する事になりました。 外科的なことでの入院する事は、しょっちゅうでしたが、内科的なことでの入院は、初めてでした。 ちょっと目を離したすきに、ベッドは、血の海になりました。 点滴、引っこ抜いて、血が、逆流したのです。 また、こんな事になっては大変と、拓の指先をひさしぶりに、ばんそこうで、ぐるぐる巻きにしました。 ほんの少し、出た指先で、きように反対の手のばんそこうをちまちま取り、取れたら、反対の手で、また取る・・・ また、母にぐるぐる巻きにされる・・・の繰り返しで、起きている間は、暮れました。 食欲は、ほとんど無く、エンシュワをだしてもらいました。 拓は、甘いこの味が好きで、これなら、ペロっと、飲むことが出来ました。 |
免疫不全 入院しても、炎症反応は、0になる事は、ありませんでしたが、退院の許可が、下りました。 先生は、登校しても良いと、言ってくれましたが、 家において、1日15時間〜20時間の睡眠をとっている拓が、学校に行けるわけは、ありませんでした。 そうこうしている内に、また、熱が上がり、再び、入院となりました。 春休みから、高等部の1学期いっぱいは、この繰り返しで、ほとんど学校には、通えませんでした。 今まで、あんなに元気だったのに、何故、突然、こんな風になっちゃったのかと、 センターの先生に相談いたしました。 センターの先生は、拓の発作を診ていてくれる先生です。 けいれん止めの薬の血中濃度を検査する時に、免疫機能の値が、いつも検査されていました。 その数字は、拓の小さいころから、変わりなく、免疫不全の値だったのです。 小さいころから、必ず先生が、「風邪は、引きやすくないですか?」と、何度となく聞きました。 不思議なことに、風邪は、あまりひかなかったのです。 私が、「いいえ。」と、答えるので、それ以上は、先生は、おっしゃらなかったのです。 では、何故、今まで、風邪をあまりひかなかったのか? その答えは、それからの検査で推測されました。 血液中には、3種類の免疫細胞があります。 何でも、多ければ良いと、言うものでは、ないのだそうです。 バランスが、良くないといけないのだそうです。 拓の場合、少ないながも、バランス良く免疫細胞が、存在していたと言う事なんです。 拓は、小さいころから、この少ない免疫で、体が、なれて来ていたんでしょうね・・と、言う事でした。 でも、こうなった以上、何時、また、こんな事が、起こるか分かりません。 この年の拓は、学校以外に、人ごみに出すことは、しませんでした。 |
おばあちゃんは、ライバル 拓が、まだ、まだ、体調を取り戻していないころ、突然、ばあちゃんが、歩けなくなりました。 家の中で、拓の車椅子を使うようになりました。 この時は、程なく、又、歩ける様になったのですが、 その後、痛い体をいたわらず、動きすぎて、再び、歩けなってしまいました。 今度は、簡単には、直りません・・・・・ それからは、畑も、鶏の世話も出来なくなり、私が、するようになりました。 頑張りやのばあちゃんは、拓見に負けまいと、週4日のリハビリをこなしています。 おかげで、随分よくなり、家の中をシルバーカーで移動していましたが、 少しなら、支えなしでも、歩けるようになりました。 |
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