営業用のページ書いてると、ストレス溜まるから、憂さ晴らしと・息抜きのページです。
「おやじの独り言」ページの下書きみたいなモンです。
とげを抜いてから、おおっぴらにしてます。
あまり深く考えないで・つっこまないで・見逃して。
ひねくれ親父が、ボケ予防に書いてます。
もし、気に障るようなことがあっても、気にしません。
でも、ボケおやじが大ボケかましてるようにしか見えないかも。
挨拶と 自己紹介と お願い 05/10/21
愛知県の吉良温泉で、家族で旅館をやってます。
‥もしも、見つけて 読んでくれて 理解してくれたら嬉しいな‥。
でも、反感を買われそうなので内緒にしといて。
このページへの誹謗・中傷はご遠慮ください。
以上
※基本的に、旅館のおやじの独り言 と内容は一緒ですが、少し愚痴も入ってます。
目 次 | |||
民宿? 旅館?‥ 06/05/12 |
吉良上野介義央公 05/11/03 |
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06/05/12
民宿? 旅館?‥ペンション? ホテル?‥違いは?
‥という質問があったようなので、考えてみました。
しかし、他の旅館・ホテルさん等のことはよく解らないので、自分の旅館中心に書いてみます。
では‥、まず‥、外観・見た目から‥。
洋風≒ ペンション・ホテル・
和風≒ 民宿・旅館。
大きい(大規模)≒ ホテル・旅館。
小さい(小規模)≒ ペンション・民宿・旅館。
※民宿と中小規模の旅館の見分けは、名前または、看板以外つきません。
※大規模な民宿・ペンションもあります。
※民宿の名前を使った旅館もあります。
※名前・看板にホテルとあっても、旅館であることもあります。
外観・見た目だけでは、見分けられない施設が多いようです。
施設の経営者に、訊くしかないでしょう。
所在地の分布‥
都会(都市部)に無い又は、少ない。観光地に多い。= 民宿・ペンション。
都会(都市部)又は、その周辺に比較的多い。 = ホテル。
比較的 何処にでも在る。= 旅館。
※施設の歴史により、分布は変わってきます。
旅館は当然日本古来からのものですから、宿場町・湯治場等、旅人が立ち寄ったであろう町や村には、古くからあったでしょうし、
ホテルは、欧米人が多く訪れ、又人口の多い都市部や、有名観光地に、
そして もっとも歴史の浅く、比較的手軽(小規模)に開業できる民宿・ペンション等は、人の集まる観光地に分布すると考えられます。
次は、設備面から‥。
共用浴場が有る。 ≒旅館。
共用浴場が無い。 ≒ ホテル。
※欧米に、公衆浴場の風習は少ない。
但し、日本人客に合わせ、共用浴場を持つホテルも増えています。
客室でのプライバシーを保てる(部屋に鍵がかかる)。= ホテル。
客室でのプライバシーを保てない(部屋に鍵が無い)。= 旅館
※現在では、部屋に鍵の掛からない旅館は少ないのですが、古くからの日本建築は部屋との仕切は、襖(ふすま)。廊下との仕切は、障子でしたので、鍵がないのは、当たり前でした。
ホテルは、集合住宅(アパート・マンション等)の1室又は、1件を利用。
そして、客室以外の共用部分(通路・ロビー等)は、一般往来と同等と考えられます。
旅館は、1戸建て家屋の1部屋を利用する又は、よそ様の家に泊めてもらうと考えたら解りやすいかも知れません。
又、民宿は旅館に近い施設で、ペンションは、両方の都合(経営者側)の良い面を持った施設といえるでしょう。
しかし、考え方は旅館に近いのではないでしょうか。
もっとも、個人・法人経営により考え方も違うでしょうし、個々によっても当然考え方は違いますが。
最後に、料金体系とサービスについて。
一番大きな違いといえるのが、この二つではないでしょうか。
基本的には‥、
ホテルの場合
ルームチャージ料金(1室利用料金)となり、サービスも欧米式となります。
食事・ルームサービス等のオプションサービスは、別料金となり、 又 利用者とホテル側との対面も、最小の場合 チェックイン・チェックアウト時の、フロントのみとなります。
旅館の場合
1名・1泊2食付き料金となります。
食事の支度から寝具の上げ下げまで、常時 旅館側の人間(女将・接待さん、仲居さん・女中さんなど)が客室を出入りします。
自分の家を訪れた来客を、旅館の主(女将・従業員)がお迎えし、接待すると言う考え方です。
このようにホテルでは、設備・サービス面からも プライバシーは守られます。
一方旅館は、設備はホテルと一緒でも、サービス面から完全にプライバシーを守ることは難しいでしょう。
ただし、旅館側から外部へプライバシー等の情報が漏れる事は、殆どありませんのでご安心を。
現在では、利用者の要求・要望に合わせ、いろいろな料金・サービス体系や設備があり、一概には言えませんが たしかに、旅館とホテルとは似ているようでも、違うのではないでしょうか。
ホテルのような旅館もあれば、民宿のような旅館もあります。
又、利用されるお客様にも、ホテルや旅館、又施設に会わせたマナーとルールがあります。
そして、私の旅館は、一般的な「旅館」です‥。
その他
昭和30年代から40年代の高度成長期、各地に大手資本によるホテルや、大型旅館が建ち、又新しい観光地も出来た時代だったようです。
そして、この頃から旅館は、ホテル形式の設備(バス・トイレ付き個室等)を取り入れ、ますますホテルと見分けは付けにくくなってきました。
日本人観光客(国内外を問わず)がホテルでバスタブの外で体を洗い、下のフロアまで水浸しにして高額な補償費を支払わされたというような利用者側の
日本旅館と混同した 無知によるトラブルが多かったのも、この頃だったではないでしょうか。
ところが現在では逆に、ホテル等と混同し 勝手にロビーに上がり込んだり、宿泊のお客さまの友人だから・呼ばれたからと客室に入り込んだりと言う方も見えます。
前にも述べましたように 旅館は個人の家と同じ。
もし貴方の家の居間や部屋に見知らぬ人が、勝手に上がり込んでいたらどのようにお考えになられますか?
又、TV・雑誌などのメディアに取り上げられるのが、前記の大型旅館と、そして高級旅館。
広い敷地と庭、贅沢な材料と間取りで建てられた客室、高価な調度品、手間暇かけて作られた料理、どんなワガママも聞いてくれそうな行き届いたサービス‥、歴史と気品を漂わせる、そんな全てが非日常的な「高級旅館」。
多くの方が、「旅館」で思い浮かべられるのは、こういった大型旅館・高級旅館ではないでしょうか。
そして、そのようなイメージで一般の旅館を利用し、高級旅館のサービスが当然と思っている方や、わがままいっぱいのお客様、TVでの温泉取材の影響か、バスタオルを巻いてお風呂へ入られる方等と非常識(少なくとも旅館側から見れば)な方が稀にみえるようですが、 当方の旅館ではとても対応できませんのでご容赦願います。
お客さまに接するのは、機械やコンピューター 又、当館のような小規模な施設では 充分に教育された従業員でもなく、ごく普通の、欠点も多い人間だと言うことも
お忘れにならず、そして ホテルや旅館、又施設に会わせたマナーとルールもあることを、ご理解頂ければ幸いです。
旅館にも、木賃宿から、家族経営の小さな一般的な旅館・高級旅館・大型旅館といろいろあり、経営形態も別業種と言って良いほどの違いがあります。
※木賃宿、 きちんやど・もくちんやど
飯を炊く薪代ほどの料金で泊まれる、宿屋・安宿。
忠臣蔵について 05/11/03
吉良上野介義央公
仮名手本忠臣蔵・元禄 忠臣蔵(赤穂浪士吉良邸討ち入り事件)について‥。
芝居・映画・ドラマで 悪役としてあまりにも有名な、吉良上野介公の領地だった、吉良町に住んでいます。
さて忠臣蔵についてですが、物語を面白くするには、主役・二枚目・三枚目・・・そして悪役が必要となります。
悪役は、憎まれ役であり極悪人であればあるほど討ち取られたときの盛り上がりも増し拍手喝采となり‥ 実は私も、小学時代は、「なんて、意地糞の悪いじじいだ、こんな奴は討たれて当然!」
なんて思ってました‥
でも冷静になって、観れば観るほど(かなりの地元贔屓があるにしても)吉良が、悪役にされるのには、腹が立つ!。
悪いのは、どう見ても、浅野の○○殿。
浅野の殿様が切腹したと聞いた赤穂の領民は、太鼓をたたいて喜んだとか・・。
大石内蔵助だって、そう思ったに違いない。 それでも自分達の見栄とプライドの為に、ありもしない忠臣を装い、卑怯にも夜討ち。
‥ これを美談に仕立てた、二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳、吉良から観れば彼らが一番の悪人 ‥ 。
悪人といえば‥、
この地方で三大英傑と称される、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 の三人、見方を変えれば 極悪人。
この三人に限らず信長時代の武将は ほとんど皆そうなのだが‥、侵略者で殺戮者!。
秀吉にいたっては、朝鮮にまで侵略しようとした、 ‥私が朝鮮人だったら彼を英雄扱いする 日本を、絶対許せないだろうな。 (以前ソウルに旅行に行ったとき、冗談で
「唐辛子を伝えたんだから、良いこともしたじゃん。」 と言ったら、袋だたきにされそうになりました。 秀吉 をネタ にしたら冗談も通じません。) ‥ 極悪人!。
それでは、私の地元から見たらどうだろう‥。
豊臣秀吉は、都会(当時)へ行ってしまった 人!。(地元を捨てて)
徳川家康は、(この人は、最悪) 天正18(1590年)に秀吉が北条氏を滅ぼすと、駿府から関東六ヶ国へと転封され、本拠を当時 ど田舎 の江戸へ移し、開発を始めた。
このとき、三河 から主だったブレイン・商人をみんな連れて行き、残ったのはカスばっか‥かな?。
そして江戸は、三河人達と原住民そして、多くのお上りさんにより世界屈指の大都市へと君臨してゆく。
また近年、 家康は陰湿な謀略家・老奸とされ、江戸時代では逆賊の石田三成らが、豊臣氏を守ろうとした 忠臣 と評されているようだ。
現代、時代劇でも家康は、 陰湿かつ陰険な悪謀略家として描かれていることもあるようだ。 ‥が、東京の人間がこんな事を言うのは以ての外、家康は現代でも神君と崇めなくっちゃ、まして吉良のことを
悪人だなんて思わないでね。
とにかく 家康がいなかったら、今の東京は無かったと思うよ。
前置きが長くなってしまい、一時は忠臣蔵に話題を戻せるかと思ったのですが、 何とかかんとか‥。
では実際にはどうだったか、‥吉良の住人じゃなかったら、こんなこと考えもせず吉良は悪い奴って信じてたかも‥
それでは‥、
時は、1703年 1月31日 ( 旧暦1702年・元禄16年12月14日 寅の刻、※15日 午前 3時半〜4時頃 )
元赤穂藩の浪人が江戸・本所、吉良邸(東京都墨田区両国3丁目)に乱入した。
表門を大石内蔵助ら23人、用意の梯子で邸内に侵入して内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて討ち入り、裏門を大石主税ら24人が門を打ち破って討ち入る。、黒装束・頭巾に兜、黒小袖の下は鎖帷子を着込んだ完全武装の47人である。
かたや吉良方は、寝込みを襲われ真冬の深夜、体も思うに動かないまま次々と斬り伏せられた。
吉良家の勇士も寝間着一枚で、鎖帷子を着込んだ完全武装に応戦。
当主吉良左兵衛も薙刀を持って戦うが斬られて重傷。
これでは、戦いにもならず約1時間の殺戮の末、吉良公を含め、犠牲者17人、負傷者28人を出した。
3月20日(旧2月4日) 浪士らは江戸市中で徒党を組み、武器を持参したことで切腹し、泉岳寺に葬られた。
この事件は、松の廊下の刃傷事件(1701年)に対する幕府の処分を不満として恨みをはたしたものである。
‥ では、「四十七士の討ち入りは義挙か・暴挙か」で江戸幕府・世間が揺れ、今でも義挙・武士の鑑だと思っている人が多い‥ しかし冷静に事件を観てみれば、夜盗・盗賊のような振る舞いは、暴挙としか言えず
武士道からも外れたものでは無いのだろうか。
まして討たれた吉良方の無念は、世間の理解さえ得られず悪役のまま、赤穂側以上ではなかったかと思われる。
これは、映画・ドラマを観ていても冷静に考えるなら感じるところではあるが、何せ先入観が悪役であるから なかなか難しい。
‥ でも吉良さんは、本当は良い人だったらしいよ、吉良にはいろんなエピソードも残ってます‥。
吉良上野介義央公 木造
どうです‥、人の良さそうなおやじさんではありませんか!?。
上杉家取り潰しが、目的‥。
上杉家から援軍を出させて、それを理由に取り潰そうとの陰謀?。
合言葉は‥。
商人という立場ながら浪士に力を貸そうとした、天川屋義平の 「天(あま)」 「川(かわ)」 が、合言葉。
最近まで、「山(やま)」 「川(かわ)」 だとばかり勘違いしてました。 ‥これってわたしだけ‥?。
映画・ドラマで必ず写る、天守閣‥。
江戸城天守閣は、松の廊下刃傷事件以前に、火災で焼け落ちて以降、再建はしていないはず。
‥まっ‥、フィクションだから構わないか‥。
参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歴史と文化・ロマンの町、吉良
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