イギリス滞在

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旅と歴史

 1996年7月下旬から8月初旬にかけて、ロンドンに滞在していた娘の所を訪れイギリスの各地を回った。
地方へは、イギリス人の娘の友人の車で、B&Bを利用して巡った。 

 訪れた観光地はロンドン (セントポール寺院、大英博物館、バッキンガム宮殿、ロンドン塔、トラファルガー 広場、ナショナルギャラリー、タワーブリッジ、ビックベン、ケンジントン・ガーデン)、 オックスフォードの街、ストラトフオード・アボン・エイボン地域 (シェークスピア生誕の地、ウォーリック城)、湖水地方(ウインダミア湖、ヘイドリアン・ウオール、ピーターラビット) そして、スコットランド地域(エジンバラ城)と巡り、帰りはイギリスの東側をドライブし、ヨーク等の街を訪れ、ロンドンに戻った。

 ヨーロッパ大陸の西に位置するグレートブリテン島は、かつては独立した国だった3つの地域(スコットランド、イングランド、ウェールズ)からなり、これにアイルランド島北部の北アイルランド(南部はアイルランド共和国)が加わり、「正式国名:グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」を形成している。

 歴史的にも複雑で、古くは紀元前から、ローマ人やケルト人、ゲルマン人などさまざまな民族が入ってきては定住し、その度ごとに争いも続いていた。1536年にウエールズが、1707年にスコットランド、そして1801年にアイルランドがイングランドに統合されて、今の形の「連合王国」が完成した(アイルランド共和国はその後に独立)。
今でもなお、ウエールズやスコットランドの人々の「愛国心」や民族の結束は強く、時にイングランドに対する対抗心もある。

ヒスロー空港にて娘の出向かえ
ヒスロー空港
成田空港を飛び立ち、パリ(ドゴール空港)経由でロンドンについた。
ヒスロー空港では、娘が出迎えてくれ、約1年ぶりの再会であった。
バッキンガム宮殿 (Buckingham Palace
歴代のイギリス国王の住居で、バルコニーの上の国旗が掲揚されていればエリザベス女王が 宮殿に在室している。

     バッキンガム宮殿 (Buckingham Palace

定例のパレード
初代の主はバッキンガム公爵で、1703年に建てられたルネッサンス様式の私邸だったものを、ジョージ四世が王宮として改築した。後に、即位後間もないビクトリア女王(在位1837-1901)が移り住んで以来、現在の女王陛下も住んでいる大英帝国の王宮となっている。
宮殿前の広場には1910年に完成した高さ25mのビクトリア記念塔が立ち、バッキンガム宮殿を警護する近衛兵隊の衛兵交替式が行われる。隊長が鍵の受け渡しを表わす儀式で、王室の伝統行事である。
この周辺を守っている近衛兵は,イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの近衛兵で独特の赤い衣装と黒い帽子で大変印象的である。
オックスフォード大学
           
世界で最も長い歴史を持つ大学で、質の高さは様々な学問的業績に反映され、多くの学生を魅了してきた。町を占めている美しい伝統的な建物がオックスフォード大学の長い歴史を物語っている。世界に誇る多くの人材をそだてあげている。皇太子もここで学んだ。

「ため息の橋」…オックスフォード

オックスフォードの街角で、グレッグと一緒に
千恵子とGregの青春の思い出集へ
ここ、オックスフォードはロンドンパディントンからロンドン郊外のゆったりした景色を楽しみながら約1時間余の道のりで到着する。 

英国オックスフォードの目抜き通り、ハイ・ストリートに聖メアリ教会がある。オックスフォード大学の付属教会としてメゾジスト教会設立者ジョン・ウエスレーやオックスフォード運動を指導したキーブルやニューマンがこの礼拝堂の説教壇から有名な説教をしたところでもある。   

ウォーリック城で
ウォーリック城 (Warwick Castle)
オックスフォードの北,ストラトフォードから14km、コベントリーとの間にあるウォーリック城は、951年にアルフレッド大王の娘エセルフリーダが築いた砦に始まった、イングランドで最も気品の高い中世の城といわれている。

14世紀に建てられたこの城の内部は、大広間をはじめ、ほとんどが一般に公開されている。

城の全景とウォーリックの美しい田園風景を楽しむことが出来るガイズ・タワー(高さ39m、1395年完成)がる。古城につきものの幽霊は、今でも怪しい物音がするといわれているゴースト・タワーが有名である。

なお、夏期には中世の騎士に扮した人物が甲冑をまとい、馬にまたがって登場するイベントも行われる。
プライベート・アパートメントには、19世紀に行われたあるパーティーの一夜をマダム・タッソーの製作したろう人形で再現されているが、臨場感溢れるタッチはヴィクトリア時代にタイムスリップした様な錯覚に陥る。
豪華な広間にはルーベンスやバンダイクの名画が飾られ、また、甲冑や刀剣のコレクション、そして過ぎ去った中世の恐怖を思い起こさせる拷問の道具が展示された牢獄や拷問室がある。
10世紀からの歴史を持ち、現在も伯爵一家が住むという古城、ウォーリック城内の食堂で一休みと全景を眺める


アン・ハザウェイの家 ( Anne Hathaway's Cottage )
シェイクスピアの妻アン・ハザウェイの生家、昔懐かしい茅葺屋根で、庭には当時の花だけが植えられてる。

千恵子はこのような古風な家の訪問が好きである


千恵子のぺーじへ

 

William Shakespeare (1564-1616)
世界的に有名な劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)が生まれ育った家である。
       

ストラトフォード・アポン・エイヴォンはロンドンの北西約150km、エイヴォン河畔にある美しい町である。
シェークスピアが生まれ育った家はヘンリー・ストリートにあり、エリザベス時代のストラトフォードで良く見受けられた木造造りの家である。
ストラトフォード・アポン・エイヴォンの街でB&Bに泊まった。朝、夫婦が見送りにきてくれた。
B&Bのご夫婦と

ウィンダーミア(Windermere)湖
湖水地方(Lake District)
イングランド北部でもとりわけ人気の高い場所が、湖水地方で、イングランド最高峰のスコーフェル山を中心に、16の湖と500以上もの沼が点在する、一大リゾートエリアである。
6500万年前の氷河時代に形作られたこれらの自然美と、それに調和したのどかな村々の風景が目を楽しませてくれる。

ウィンダーミア(Windermere)湖は南北17km、東西2kmの湖水地方最大の湖。湖畔の町ボウネス(Bowness on Windermere)は観光地らしいにぎやかさがある。
湖水地方の人気スポット、ピーターラビットの生まれたのがウインダミアである。作者、ビアトリスク・ポターは1866年イギリス、ロンドンの裕福な家庭に生れ、。厳格な両親のもと、学校には行かず家庭教師について勉強をし、動物が友達の内気な少女時代であった。ポターは、かつての家庭教師の子供にあてた絵手紙が元で「ピーターラビットのおはなし」の出版(1902年)し、絵本作家として歩き始めた。77年の生涯の13年間ほどである。
ピーターラビット

ピーターラビット
 

ボウネス・オン・ウィンダミアに「ビクトリクスの世界」がある。
ポターの世界を再現した展示館で、ビデオは日本語解説もある。
ウィンダーミア(Windermere)湖畔の町ボウネス(Bowness on Windermer)でB&Bに泊まった。

我々を連れて行ってくれたのは、イギリス人 Mr. Day. Gregで親切に案内してくれた。
 

B&B の前で全員記念撮影

エジンバラの街並
エジンバラ Edinburgh
 ヨーロッパで最もエレガントな都市と言われるスコットランドの古都、町の中心の小高い丘にはエジンバラ城が建ち、石畳とレンガ作りの建物が、中世の雰囲気をそのまま残している。エジンバラの都市全体が世界遺産として登録されている。

15世紀から1707年にイングランドと統合されるまでの間、スコットランドの首都として、スコットランドの文化の中心地を担っていた。
エジンバラ城 (Edinburgh Castle)
   
            エジンバラ城

キャッスル・ロック”と呼ばれる切り立った岩山に上に、ズゥ〜ンと重厚な雰囲気でそびえ威容を誇っているのが有名な古城”エジンバラ城(Edinburgh Castle)”である。

エジンバラ城入口にて

エジンバラ城
 エジンバラ市内の、三方が断崖のキャッスルロックといわれる高さ130mほどの岩山にそびえ立つ城塞で、エジンバラのシンボル的な存在で、ノルマン時代の7世紀に起源を発するこの城塞は、内部の聖マーガレットチャペル、500年前の巨大な包囲攻撃用の大砲モンズメッグ、王の宴会場として使用されていたグレートホールなどを見学でき、スコットランド王位の象徴の品物が展示されている。
山上からは、城壁越しに市街を一望すことができる。
7世紀にサクソンの王エドウィンが昔の要塞のあとに城を築いたのが始まりで、この王の名がエディンバラの由来といわれている。バラとは城壁都市の意味である。

11世紀に入り、マクベスを征服した王マルコム3世の居城となり、以後エディンバラ城は歴代のスコットランド王の居城となった。 たび重なる周囲の貴族、豪族の反乱やイングランド軍の侵入期に破壊され、11世紀の建物としては礼拝堂だけが残っており、その他は14-16世紀に再築されたものである。

エジンバラ城

エジンバラ城
城の前にはキルトをはいた近衛兵が立っており、城門をくぐると旧式の大砲がずらりと並び、1848年以来ここから毎日午後1時に空砲が撃たれる。
城内には国立戦争記念館、さまざまな武器の収集されたユナイテッド・サービス博物館、女王メアリーの部屋や王冠、王剣の陳列されたクラウン・ルームなどのある宮殿、マルコムがハンガリー系の王妃マーガレットを迎えこの妃を祀ったセント・マーガレット礼拝堂、ほか歴史を物語る重厚な建物が多い。

また、城の前の広場は15-17世紀に300人以上の人々を魔女として火あぶりにした刑場であり、広場の入口付近の泉の跡にそれを記した案内板がかかっている。幽霊出没の話は数知れないが、中でも「首無しドラマー」の幽霊は有名である。
スコットランドは8月の夏だと言うのに、非常に寒かった。帰路、昔の国境に 「Scotland ]と書かれた大きな石が建っていた。その反対には勿論、「England]と書かれていた。
寒い峠


ヘイドリアン・ウォールの上で夫婦
ヘイドリアン・ウォール Hadrian's Wall 

紀元1世紀頃、ローマ人が北方からの侵入を防ぐために築いた防壁である。カーライル付近からニューキャッスル付近まで、約120kmにわたって築かれている。

ローマ時代、ハドリアヌス(ヘイドリアン)帝(在位117〜138)の時にローマ帝国の最北の境界として作られた世界的に有名な長城の跡で、紀元 130年、皇帝ハドリアヌスはイングランド中央部、東岸の、タイン河畔、ニューキャッスル・アポン・タインから西岸のソルウェイ湾、カーライルまで、100km あまり続く、土の壁(石垣)を造ってピクト族に対抗した。
ヨーク (York)
ロンドンから北に約300km、イングランド北部地方に位置するここヨークは、歴史の記録をそこかしこに深く残している美しい町である。
ヨークという語源は、かつてヴァイキング王国の首都として栄えた時代の名前、ヨーヴィックからきているそうである。又、アメリカのNew Yorkはこの街にちなんで付けられたものである。

ヨークの歴史は古い、1世紀にローマ人の軍事拠点として築かれ、9世紀にはバイキング王国の首都に、11世紀になるとノルマン人の要塞都市となり、そして中世には毛織物と信仰の中心都市として繁栄を続けてきた。

クリフォーズ・タワー Clifford's Tower
城壁に囲まれた街で、古い建物もそのまま残っている。
街の中心には、木で黒あるいは茶色く塗られた梁に白い壁の、ハーフ・ティンバーと呼ばれるチューダー朝の建物が何ケ所かで見られ

地方への旅はオックスフォードの街、ストラトフオード・アボン・エイボン地域 そこを北上し、湖水地方スコットランドと周り、イギリスの東側を南下してクラムリントン、ヨークを経てロンドンに戻った。
ロンドンでは気ままな工程で色々なところを訪れた。
セントポール寺院 (St. Paul's Cathedral
天才建築家といわれたクリストファー・レンが設計し、1675年から35年をかけて造られたゴシック様式とルネッサンス様式が美しく融合されたカテドラルである。

また、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃が結婚式を挙げたことで有名。中央のドームは直径約34m、高さは約111m、全長157mで二重ドームになっている。地下聖堂にはネルソン提督、ウェリントン公爵、画家のターナーなど、歴史的人物の記念碑や墓碑が安置されている。ドームに登ればロンドン市街を一望できる。

セントポール寺院


ビックベン/国会議事堂
ビックベン/国会議事堂 (Houses of Parliament
テムズ川畔にそびえ建つ堂々たるゴシック様式の議事堂は、1834年に火災にあって焼失したウエストミンスター宮殿の跡地に、サー・チャールズ・バリーとオーガスター・ピュージンの設計により1852年に建てられて以来、英国議会の殿堂となっている。
正式名称はウエストミンスター宮殿という。約32,000平方mの敷地に1,100を超える部屋と11の中庭があり、南北の長さは265mにもおよぶ。
高さ約100mで、この形式の塔では世界最大規模の四角形のビクトリア・タワーと、旧ウエストミンスター宮殿の一部だった建物で正面にクロムウェルの銅像が立っているウエストミンスター・ホールがある。
国会議事堂の北側にはビッグベンの愛称で親しまれている鐘を持つ高さ98mの時計塔があり、今でもBBC放送の時報に使われている。13.5tの巨大な鐘は1859年5月31日に最初の時を告げて以来、今もなおロンドン市内に時を告げ続けている。
タワーブリッジ (Tower Bridge)
        
テムズ川にかかる数多くの橋で最も有名な橋。8年の歳月を費やし1894年、大英帝国華やかなりし時期に建造された堂々たる跳ね橋で、全長270mである。
お城の様な2基のゴシック様式の塔を持ち、その塔は全長805m、水面上42.4mの高さのガラス張りの歩道橋で結ばれている。最盛期には月に650回以上も開閉された橋だが、現在では週に1回程度で満潮の14:30頃に見られることがある。橋げたの中央部分は、大型船が通過する時に八の字に上がる。

タワーブリッジにて
ケンジントン宮殿

ケンジントン宮殿
ケンジントンガーデンは、ケンジントン宮殿の庭で,東のはずれにはケンジントン宮殿がある。、故ダイアナ妃が住んでいたところで、庭には兎が跳ねていた。

  トラファルガー広場 
1805年のトラファルガー海戦でナポレオン率いるフランス軍を破ったネルソン提督の像が55mの高さにそびえる広場は二つの噴水を囲って人々の憩いの場となっている。
広場の北にはナショナルギャラリー、北西にはピカデリーやソウホウなどのショッピングゾーンがあり観光の中心地となっている。

英雄ネルソン提督を記念して造られた広場。19世紀初め、彼はトラファルガーの海戦でナポレオン率いるフランス艦隊に勝利しながらも、命を落とした。ナポレオンはこの敗戦でイギリス侵攻をあきらめたと伝えられている。噴水を背にした高い石柱の上に、ネルソン提督の石像が立つ記念碑がある。その台座の四隅にはライオンの像が置かれているが、
        
 

ナショナル・ギャラリー  (The National Gallery
丸いドームとコリント風の列柱でひときわ風格があり、トラファルガー広場に面したナショナル・ギャラリーは1838年にウィリアム・ウィルキンズの設計で建てられた。遺贈や購入によって現在13-20世紀の絵画を中心に、ヨーロッパ各国の代表的作品2、000点以上が展示されている。

所蔵する絵画は、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、スペイン、イギリスの巨匠の作品に加え、テートギャラリーから印象派の名品も移され、ピカソ、マチスなどの20世紀初めの現代絵画もコレクションに加えられている。本館の左側に新館(セインズベリー・ウィング))があり、ダ・ビンチまでの絵画は新館に展示されている。

 




 

ロンドン塔 (Tower of London)
テムズ河畔に建つこの古城は、かつて牢獄使われていて、その頃は処刑執行場だった。1078年古代ローマ人の城砦跡に、イングランドを征服したウィリアム一世の手によって築かれ、歴代の王が増築し現在の姿になった。

まず最初がミドル・タワー、橋を渡った所がバイワード・タワー、ベル・タワー、その先のセント・トーマス・タワー、そしてそのタワーの下にある川と城内を結ぶ門がトレイターズ・ゲート。
トレイターとは反逆者という意味で、その昔ウエストミンスター法廷で判決を受けた国事犯・反逆者とされた数多くの者が、テムズ河を舟で送られこの間を通って投獄された。その左側がブラディー・タワーである。
そして、ロンドン塔の中心ともいえるホワイト・タワーは、敵の侵入を防ぐために地面よりも高い位置に建てられた。中世の王家の館であったが現在は武器博物館として武器や甲冑、大砲、首切り台、斧など数多く展示されている。

ロンドン塔で投獄や拷問、処刑にあった王侯貴人の例をあげてみると、ヘンリー六世、エドワード五世、アン・ブーリン、キャサリン・ハワード、レディ・ジェーン・グレ-ンと他にも多数が悲劇的な結果をむかえたからか、塔内では幽霊出没の話しが多い。

 
   

ストラトフォードアボン・エイボン

湖水地方

ヨーク

エジンバラ

イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握り、カナダからオーストラリア、インドに広がる大英帝国を建設した。

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