海鮮料理屋の前でマルチーノさんと小生
(ロールオーバー効果
シンガポール到着後の最初の日は海岸寄りに立ち並ぶ海鮮料理での歓迎会であった。

20年以上の付き合いのあるMr. P.Martinoとその部下のPoh-san(Mr Poh, Kim Huat.)が出てきてくれ、一緒に夕食をとった。
食べ物は勿論、海鮮料理で海老、蟹、魚、そして、シンガポールで生産しているタイガービールで乾杯した。

翌日から、業務についたが、この記録は、業務の間の土曜日、日曜日を活用し、シンガポールの各所を訪れた記録である。

林さん、マルチーノさんと私
(ロールオーバー効果)

マウント フェーバー(Mount Faber
ブキ・テマ・ヒルに次いで、シンガポールで2番目に高い海抜115.5mの小高い丘、ここからの眺望は素晴らしく、シンガポール港や南方に点在する島々、市街の高層ビル群、晴れた日には遠く、インドネシア諸島まで見渡すことができる。
中でも、街をオレンジ色に染める夕日、夜景の美しさは格別で、シンガポール本土とセントーサ島を結ぶケーブルカーの発着所にもなっている

セントーサ島  (Sentosa)
シンガポール本島の南、市街地からわずか800mの海上に浮かぶ、太陽と自然に恵まれた小さな島である。セントーサはマレー語で「平和と静けさ」を意味する。
1972年以来開発が進められ、今日では自然、歴史、レクリエーション、ファンタジーと多彩な楽しみ方のできる一大リゾート・アイランドとなっている。

それらの主なものは、ドルフィンラグーン(イルカの楽しいショーを見ることができる)、シロソ砦(イギリス植民地時代の要塞跡で、地下トンネル、弾薬庫、大砲台座などが当時のまま残されている)、ミュージカル・ファウンテン(光と音楽が奏でる幻想的なミュージカル噴水ショー)、バタフライ・パークと世界昆虫館(世界各地から収集された50種類以上の蝶が舞い、毒蜘蛛など珍しい昆虫の標本が展示)である。

ケーブルカーの中よりのマーライオン タワーを望む

Sentosa駅の前で記念写真
Mt.Faberの駅よりケーブルカーに乗り、快適な眺めを楽しみながら、Sentosa駅についた。ここはチャイニーズスタイルで、インターロッキングを蹴破って地上に姿を現したお茶目な竜が我々を迎えてくれた。

マーライオン・タワー   (Merlion Tower)
高さ37mのマーライオン・タワーは 展望台になっており、口の部分の9階からの眺めが美しい。またマーライオン・タワーから伸びる小道は庭園に囲まれ、マーライオン・ウォークと呼ばれている。


マーライオン像

シンガポールの歴史と民族を、蝋人形を使って紹介している博物館
イメージ・オブ・シンガポール
ここは、14世紀から20世紀までのシンガポールの歴史と民族を、蝋人形を使って紹介している博物館で、シンガポールの歴史を知ることが出来る。
日本とこの国の歴史的関わり、そして悲しい事実も知ることも出来た。
シンガポールは太平洋戦争のころ日本の占領下にあった。1942年の2月に日本軍はシンガポールに総攻撃を開始、イギリス連合軍に無条件降伏を認めさせ占領した。    
日本軍は、満州侵略の時に中国側に協力したシンガポールの中国系住民に激しい敵対感情を持っていたことから、18歳から50歳までの中国系住民を、セントーサ島に集めて、一斉に射殺したそうである。その数は、5千人とも、5万人とも言われている。

戦犯として 軍事裁判にかけられている日本軍上層部の様子

海底トンネル内で
アンダー・ウォーター・ワールド (Underwater World)
アジア最大規模の熱帯海洋水族館で、 動く歩道に乗って進む全長約80mの海底トンネルが人気である。そこから数多くの魚介類を見ることが出来る。

セントーサ島でタダで乗れるモノレールが島一周しており、好きなところで降りて楽しむことが出来る。
これはシンガポールの花、蘭である。


モノレールを利用してシャングリラ・ラサ・セントーサリゾートの前に広がるシロソビーチに行った。そこは白い砂の美しいビーチであった。


セントーサー海岸で


バード・ショー
jジュロン・バード・パーク (Jurong Bird Park)
ジュロン地区に1971年に開設された、世界有数の大規模な野鳥公園である。
20万平方mの敷地内には、熱帯産の珍しい鳥を主体に約600種、約8000羽の鳥が飼育されており、よく調教されたワシ、インコなどのバード・ショーが見られる。

園内は、もともとジャングルや湖だった地形が活かされ自然に近い状態で、野鳥のための最高の環境となっている。人工滝や熱帯雨林がすっぽり包み込まれている巨大鳥舎「ウォーター・フォール・エイビアリー」は鳥を観察しながら散策できるおもしろい仕組みあった。また、人工照明を利用した夜行性のフクロウやキーウィなどの飼育、南国での100羽以上のペンギンの飼育なども珍しい。
ジュロン・バード・パーク内で

歴史博物館
シンガポール歴史博物館 (Singapore history museum)
1887年にラッフルズ博物館の名でオープンしたこの博物館には、シンガポールと東南アジア各国の美術工芸品を中心とした歴史、民族学に関する展示品がある。なかでも3Dで歴史的シーンや出来事を再現したジオラマは、シンガポールの歴史の移り変わりが詳しく表現されている。
その展示品の中に、日本が侵略しひどいことをした写真も残っていた。
シンガポールの歴史をジオラマで解説してるコーナーがあるが、「日本が侵略してひどいことをした」なんて解説をしてる横を通るのは勇気が要った。

残酷な写真

自然動物園
シンガポール自然動物園 (Singapore Zoological garden)
シンガポール北部の緑あふれる自然保護区にある動物園と、世界でも初めての夜の動物園、ナイト・サファリがある。
セレタ貯水池のほとりにあり、広大な敷地内には、堀と背の低い樹木を利用した柵の中に様々な動物が飼育されている。
なかでも、絶滅の危機が叫ばれているオランウータンの繁殖は有名で、見るだけでなく、オランウータンと一緒に朝食やハイティーを楽しめるというアトラクションもある。
 他に、世界でも珍しいインドネシア・コモド島に生息する大トカゲ、コモド・ドラゴンやスマトラ・タイガー、チータ等も飼育されている。
また、園内ではいろいろなアニマル・ショーが行われている。
動物園内を散策すると、見知らぬ、顔のいかつい動物が、ひとなっこく近づいてきた。
見知らぬ動物と一緒に

ナイト・サファリー入り口
ナイト・サファリー (Night Safari)
動物園に隣接するナイト・サファリでは、周囲の動物に襲われるのではと思わせるほど自然に近い作りの小道をトラムで進み、他では見ることができない動物達の夜の行動を間近にできる。
トラムのルートとは別に徒歩で見学するルートもあり、こうもりが飛び交う中を歩くコースもある。 


  ナイト・サファリーの動物
ハウパーヴィラ (Haw Par Villa Tiger Balm Gaeden)
萬金油(タイガー・バーム)という塗り薬で巨万の富を築いた胡文虎が造ったテーマ・パークである。

ハウパーヴィラの入り口

ハウパーヴィラ

「西遊記」だとか「水滸伝」だとかが人形で再現されている。写真の龍は、人が中に入れるくらい大きくて、中では地獄の様子を人形で説明している。
1991年に規模が拡大され再オープン、その際名前も変わったが評判が芳しくなく、結局元の「タイガー・バーム・ガーデン」に戻り再々開した。中国の神話や伝説を題材にした極彩色の人形や彫刻絵画などが配され不思議な世界が展開されている。
ハウパーヴィラ

唐城の玄関
唐城 (Tang Dynasty City) 
中国の唐王朝の都、長安を模したテーマパークである。古代中国のお店、茶屋、銀行などが、そのまま再現されている。
中国の唐の都・長安を再現。周りを高さ10mの万里の長城が囲んでいる。
西安で見るような兵馬俑があった。

万里の長城の上から、塔を見渡した風景はなかなかきれいで、まるで中国を旅行してるかのような気分になる。

唐城内の見世物

唐城内の兵馬俑
その一画には、西安で見るような兵馬俑が再現されていた。
街の裏にはもうひとつの門があって、白馬寺へと通じている。
唐城裏門

鰐のショウ
Jurong Reptile park
ジュロン・バード・パークの隣、約2ヘクタールの敷地中に人口の小川が流れていて、 1000種以上の爬虫類が放し飼いにされている。

見学者は川に沿った遊歩道を歩きながらワニを見てまわれる。 又、ワニのショウも見ることが出来る。
シンガポール植物園 (Singapore Botanic Gardens)
52万平方mの広大な敷地を誇る世界でも有数の熱帯植物園である。
国内には、手入れの行き届いた庭園、珍しいヤシのコレクションもある原生林、野性の水鳥が生息する湖や池などがあり、50万種以上の植物が成育しており、東南アジアにおける植物研究の中心的役割を担っている。

園内にはシンガポールの国花である蘭が咲き乱れる国立ラン植物園がある。約2,000種、60,000本以上のランが色とりどりに咲き競うさまは見る者を魅了せずにはいられない。

 

植物園

スリ・マリアマン寺院
スリ・マリアマン寺院 (Sri Mariaman Temple)
多民族国家シンガポールでは仏教を始めとする沢山の寺院がある。その中でも特に多くの観光客が訪れるのが「スリ・マリアマン寺院」。
1827-1843年にかけて作られた市内最古のヒンズー教寺院で、ヒンズー教の神話に登場する神々、牛や蛇、ライオンなどが彫り込まれた大きな門塔が目印。塀の上には大きな牛も横たわっている。
内部はもっとカラフルで、天井や壁のいたるところに極彩色の絵が描かれている。
この寺院は年に一度行われる火渡りの儀式ティミティ・フェスティバル(Thimithi Festival)でも有名である。
スリ・マリアマン寺院
20年以上の友、Mr.P.Martinoが住む10階より、南側の住宅街で、その向こうには青い海が望める。、
マルチーノさん宅よりの遠望
(ロールオーバー効果)

ホテルの近くの寺
2ヶ月間滞在したBugisのインターコンチネンタル・ホテル近くにある中国のお寺を訪れた。多くの中国系シンガポール人がお参りしていた。
マーライオン (Merlion)
シンガポールのシンボルとして有名なマーライオンは、上半身がライオン、下半身が魚という高さ8mの白い像で、その昔、スマトラの王子が新たな領土を求めてこの島にたどり着いた時、白いたてがみを持つ獅子に似た不思議な動物を発見し、「シンガ・プーラ(獅子の都)」と名付けたという伝説にちなんで1972年につくられた。

    マーライオン

マーライオン像は、もともとはシンガポール川の河口、アンダーソン橋のたもとの公園にあったが、2002年にワン・フラトン地区のマリーナ湾を望む公園に移設された。深夜の数時間を除いてほぼ一日中、口から勢いよく水を噴き出している。

トーマス・ラッフルズ像の前で

トーマス・ラッフルズSir Thomas Stamford Raffles)
1781年7月26日〜1826年7月5日)はイギリスの植民地建設者、シンガポールの創設者である。

14歳の時からロンドンの東インド会社で雇員として働き始め、1805年当時プリンス・オブ・ウェールズ島と呼ばれていたマレー半島のペナンに赴任し、マレー語を習得する。1811年、ナポレオン戦争当時フランスの勢力下にあったジャワ島へ英領インドから派遣された遠征軍に参加し、ジャワ総督代理に任命され、ジャワ統治に当る。
後、スマトラ総督に昇格した。1815年にジャワ島がオランダに返還されたため、英国に帰国し、1817年ナイトの称号を授与された。


1818年スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーンに戻り、マレー半島南端の島シンガポールの地政学重要性に着目、1819年2月6日ジョホール王国からシンガポールを割譲させた。ラッフルズは1822年から23年までシンガポールに留まり、自由貿易の原則に立脚する自由港を建設した。その後、鎖国している日本と接触しようとするが失敗に終わる。1823年イギリスに帰国している。その後、シンガポールは東南アジアにおける近代港として大発展を遂げる。

 

2ヶ月間滞在したBugis地区にあるインターコンチネンタル・ホテルの近くの日本料理屋で、Mr.P.Martino 及び Poh-sanと友好を深めた。
日本料理、小生、マルチーノさん、ポーさん、

マルチーノさんの招待 ホテルで
又、2ヶ月間滞在中、家内と娘が訪問した。その時、インターコンチネンタル・ホテル内の中華料理店で南国の夜を楽しんだ。
2ヶ月間お世話になったインターコンチネンタル・ホテルのメイドと一緒に記念撮影をした。

シンガポールは暑かった。午前中ににわか雨が降り、その後、灼熱の太陽が地面を照らすため、湿度が高く、たいへんであった。しかし、一歩ホテルに入ると、クーラーが非常に効いていて凌ぎやすかった。

楽しい2ケ月間であった。
 この期間に隣のマレーシヤのマラッカ 及びインドネシアのビンタン島を訪問した。

生産部門の責任者、マルチーノさんとは20年以上もの付き合いがあり、又建設技術部門の第二責任者のアダヂックさん(Mr.Adasczik, Raymond H)も日本に何回も来て、一緒に仕事をし、又、一緒に飲みに行った友人であり、彼らの部下は皆んな良い人であるが、そのような立場から、一目おいて付き合ってくれた。

メイドと一緒に
シンガポール
マルチーノさんの部下は技術担当のMr Poh, Kim Huat. そして,その部下の Mr..Arango, Oliver; Mr.Bin Bakar, Norhan; Mr.Goh, Wee Lim; Mr.Li, Bing; Lim,Mr. Siang Sim; Mr.Tan, Meng Tonそして環境担当のMr.Ong, See Hee及び QCの人達であり、一番付き合いが多かったのは、Mr.Poh, Kim Huat とその部下たちであった。
左の写真は、我々が技術協力した工場の完成写真である。
写真の上の方は海が広がり、この海岸まで行くと直ぐ前はマレーシヤである


工場建設工事時の1日の一番多い時は、1,000人以上の人が作業についていた。生産部門の責任者、建設技術部門の責任者、及びその部下はメルク会社の社員であるが、下請け業者を含めて、メルク社員の中にも色んな民族の人がいた。シンガポール人は勿論のこと、アメリカ人、マレーシヤ人、インド人、フィリッピン人
インドネシ 又、下請けの技術者には日本人もいた。

昼食場所は非常に大きく、色んな民族に合う食事内容が用意されていた


最初はマルチーノさんとPohさん歓迎会であった。生産部門の責任者、マルチーノさんの部下、Pohさん、林さんと一緒に撮影した


生産部門の責任者マルチーノさんと海鮮料理を楽しんだ




歓迎会時の場所でPohさんと、一緒に行った林さん


海鮮料理を食べた後、直ぐ近くの海岸を散歩した


工事現場をチェックする小生
(ロールオーバー効果)


工事現場を回り、工事のでき具合を点検
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工事点検中、マルチーノさん(車中)、Pohさんと打ち合わせ
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日本より一緒に行った林さんと現場チャック
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同じく林さんと機器設置状態をチェック
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セントーサでメルク社員の教育が行われた。講義をする
マルチーノさん。
 我々二人もこの会に参加した
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真剣にマルチーノさんの講義を聞く彼の部下たち、この時、
我々を皆に紹介し、20年以上の付き合いがあることが説明された



講義に後は懇親会が持たれた



講義に後は懇親会が持たれた



シンガポールプロジェクトの生産部門の責任者と建設技術部門の責任者3名、中央がマルチーノさん、右側がアダヂックさんである


マレーシヤ系シンガポール人との記念写真



マルチーノさんとPohさんを、宿泊しているBugis地区にあるインターコンチネンタル・ホテルの近くの日本食店に招待した


日本食店のマルチーノさんとPohさん



日本食店の日本酒の樽を抱いて記念撮影
(ロールオーバー効果)


 環境対策の責任者、Mr.Ong, See Heeを同じ店に招待した


この写真の裏には、July, 17, 2006に日本を訪問した彼を、東京銀座、木曽路に招待した
   (ロールオーバー効果)


同じく、酒樽を手に戯れた




August 31, 1999、小生の妻と娘がシンガポールを訪れた、それを知ったマルチーノさんがインターコンチネンタル・ホテルの中国店に招待して頂いた


娘とマルチーノさん 及び 小生


妻とマルチーノさん 及び 小生


Mr.Ong, See Heeが街に連れて行って頂き、土産物の買い物と、粥と蛙の中華料理を食べ、その店の外で記念写真を撮った



我々の任務が終わりに近づく頃、技術担当のMr.Poh, Kim Huatと一緒に彼の部下にこれからの建物、設備の維持管理について教育及び意見交換をした


我々が2ヶ月の任務を終え、帰国する前日Mr.Poh, Kim Huatの部下から声がかかり、我々二人を真ん中に記念写真を撮った
左から、マレーシア系、次がフイリッピン系、更に中国系二人、最後にインド系のシンガポール人である 彼らは国籍は違っても同じ目的で協力し合っていた同じ仲間は良いものだと感じた 今後の成功を祈って彼らと別れを告げた。フイリッピン系のMr..Arango, Oliver;は私が日本に着い直ぐに感謝のメールが届いた。さようなら、皆さん 元気でね

シンガポールでの我々の任務は、建設工事に関わる全般な仕事で、建築図面、空調図面、衛星図面、電気図面等が正しいかの確認(P&ID) そして図面通りに出来ているかを現地確認すること、そして、出来上がった設備等のMCQ,即ち、テストをし、規定通り性能が保持されているかの確認、更に今後の維持管理に役立つネームプレートの作成等であった。

特に重視したのは、地下に埋設される配管等の腐食防止の為の施工方法で、厳重に注文をつけ、慎重なチェックをした。

左の人々もそれを見習い、同じように確認、将来の維持管理に向けての準備を真剣に実施していた。


     

上はシンガポール工場の竣工式に配られた名刺立ての記念品で、錫で出来、表面に工場の絵が刻み込まれたもので小生にとって良い思い出になった。
1999年の7月〜9月、シンガポールのBugis地区にあるインターコンチネンタル・ホテルに2ヶ月間滞在した。目的はマレーシアとの国境近くのTuasの町にある新築工事現場への技術協力であった。
左の写真は生産部門のメルクの責任者 Mr. Yang, Patrick Y と建設技術部門の責任者 Mr.Weedが訪問した時、我々が滞在していた Inter Continental Singapore Hotel のボールルームで合同の会食が行われ、その時の生産部門だけの集合写真である。筆者も1人として入れてもらった。

裏にある写真は
セントーサでマルチーノさんの部下のメルク社員の教育が行われた時の集合写真である。

 最初の2週間は中国系、シンガポール人の運転手により通勤をしていた。 この時期、朝はメイン通りを走り抜けたが、帰りは色々な道路を走り、車窓より色々な街を案内をしてもらえた。
 シンガポールは685.4km2の国土面積で
東から西へ車で1時間も走れば、国境を通り抜けてしまうような国で、東西が41.8km、南北は22.9kmである。

インターコンチネンタル・ホテル

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(ロールオーバー効果)

上記はシンガポール滞在2ヶ月間の私的な行動を記録したものであるが。本来の目的は、マレーシアとの国境近くのTuasの町にあるシンガポールにメルク社の新築工事の技術協力であった。下記は技術協力の現場を含めた、仕事上での付き合いを記録したものである。

 シンガポールの風習と文化を知りたくて、途中よりシンガポールで唯一の東西南北を繋ぐMRP(地下鉄)を利用した。ここは中国系76.2%、マレー系13.8%、インド系8.3%、その他1.7% の人種で構成され、言語も英語、中国語、マレー語、タミール語、宗教も仏教、道教、キリスト教、回教、ヒンズー教があり、英国的優雅さとイスラム、ヒンズー、中国寺院などアジアの香りが混在する、緑豊かな「ガーディン・シティー」である。

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