ハワイ

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 2001年3月,ハワイに訪れた。成田空港よりオアフ島経由、マウイ島のカフルイ空港に降り、ワイレアに滞在し、ハレアカラ火山、イオナ渓谷、ラハイナ及び砂糖キビ列車等を巡った。

 その後、オアフ島ではダイヤモンドヘッド、東海岸の一周、ワイメア・フォールズ・バレー、パイナップル会館及びアリゾナ記念館等を巡った。

夜はサンセット・クルーズに参加し、南国の夜を満悦した。
この旅行は会社の補助金と子供たちが援助してくれて実った旅行である。


マウイ島のホテル窓よりの風景
ハワイ諸島の中で二番目に大きい島、マウイ島人口は:約5万5,000人 自然の織りなす造形美に満ちたこの島は、その神秘的な美しさから数々の映画の舞台にもなっている。シダの洞窟やワイメア渓谷など大自然のさまざまなドラマは、訪れる人々に驚きと感動を与えてくれる。愛称は「庭園の島」である。

ここはワイレアのホテルからビーチを望んだ風景である。
マウイ島のハイライトとも言うべき、ハレアカラ・クレーターを見学した。ハレアカラとはハワイ語で「太陽の家」という意味を持ち、東マウイの中央に位置する世界最大の休火山である。

カラハク展望台からはまるで月世界のような火口源を見下すことができ、天気が良ければハワイ島も眺められる。

ハレアカラ・クレーターの頂上で
標高3,055m、周囲約34mのクレーター(深さは約1000m)
を中心に大小9つの火口丘を持つ。最後の噴火は1750年とも1770年ともいわれているが、それ以降は活動することもなく1961年に国立公園に指定された。

ハレアカラ・クレーターは、スタンリー・キューブリック監督の名作、映画「2001年宇宙の旅」の撮影地となったことでも知られており、また宇宙飛行士の訓練にも使われている。
展望台付近では、銀色の葉が剣のようになった珍しい銀剣草の群生も見られる。この植物はここのほかにヒマラヤでしか見ることができないもので現在は特別に保護されている。
カラハク展望台(Kalahaku Overlook)からは、月世界のような火口源を見下すことができ、全貌をみることができるほか、カウアイ島を除くハワイ諸島を一望できる。とくに日の出、日の入は素晴らしい。



銀剣草

火口源を眼下に記念写真
火口源は左の写真で見ることが出来る。

イオア渓谷(太平洋のヨセミテ)はマウイを象徴するもので、緑の深い谷底から岩が突き出している奇岩がある。

カメハメハ王朝の時代、ハワイの首都であったラハイナ。国立歴史保護地区に指定され、古い町並みや史跡を保存している。ラハイナのランドマークともいえる木造建築のパイオニア・インや樹齢120年以上といわれるバニヤン・ツリーがある。
ラハイナ港に停泊している帆船カルタゴ人2世号。ボールドウィン・ホームは天然痘の治療に生涯を捧げた宣教師ボールドウィンの家、ラハイナ牢獄跡はサンゴ石で基礎を作った木造の牢獄など史跡も多い。


見事なバニヤン・ツリー

ラハイナの街で
シュガー・ケイン・トレイン(砂糖キビ列車ラハイナとカアナパリ間の片道約6マイルを走るおもちゃのような赤い蒸気機関車で、正式にはラハイナ・カアナパリ・アンド・パシフィック鉄道(TheLahainaKaanapali&PacificRailroad)という。
  
砂糖キビ・プランテーション全盛期に、収穫物をラハイナの製糖工場に運ぶのに使われたものを、現在は観光用に復活させた。緑の山々をバックに、砂糖キビ畑やゴルフコース、ウエスト・マウイの海、そして遠くにはモロカイ島やラナイ島までも眺めることができる。楽しい汽車旅は観光客に大人気で、車中では車掌さんがウクレレ片手にハワイアンを歌ったり、マウイの歴史や名所を説明してくれる。

この観光客に大人気の汽車は、ハワイで唯一の鉄道でもあり、片道約40分のコースである。

サトウキビ列車

昔の砂糖キビ畑
マウイ島の夜は、海を背景に踊るポリネシアン・ダンスを見ながら食事を頂き、南国の夜の一刻を楽しんだ。

     夜の宴会         ホテルの前で記念
ハワイの顔と言えばオアフ島ワイキキ・ビーチ人口:約86万人。太平洋の空路、海路の要衝であり、ハワイ州の経済、政治、文化の中心となっている。ワイキキビーチは一大リゾートとして世界的に知られている。

   
       ビーチとダイヤモンドヘッド

オアフ島、ホテル窓よりのワイキキ・ビーチ

船上よりワイキキ・ビ−チを望む
サンセット・クルーズに参加し、ワイキキの夕日とショウを眺めながら一時を過ぎした。海上よりみるワイキキ・ビーチとダイヤモンドヘッドは美しかった。

ハワイのシンボルといわれる標高232mの死火山で、約10万年前に噴火してできたクレーターで、外部からは2本のトンネルで連絡されている。かつてはハワイ語で「ラエ・アヒ(マグロの眉)」と呼ばれていたが、1825年イギリスの船員が山にごろごろしていた方解石の結晶を、ダイヤモンドと勘違いしたことからダイヤモンド・ヘッドと名付けられた。

頂上からの眺めはすばらしく、360度の大パノラマが広がる。海を正面にしてカピオラニ公園やビーチ沿いのホテル、さらにダウンタウン、パール・シティーまで見渡すことができる。 特に海の美しさは、たとえようもないほどよい。
ハワイ統一を成し遂げたカメハメハ大王の銅像がある。1883年のカラカウア王の戴冠式の日に除幕された。以来、100年以上に渡ってイオラニ宮殿を見守っている。後ろの古い建物はアリ・イオラニと呼ばれる裁判所である。

カメハメハ大王像

サンセット・クルーズのショウ

鯨も望めた南海岸
オアフ島のツアーはダイヤモンド・ヘッドに始まり南海岸(写真)、東海岸のサンセット・ビーチ、小錦関の像、花飾政策体験をし、ワイメア渓谷に入った。

ワイメア・フォ−ルズ・バレ−
壮大な自然に恵まれたワイメアの渓谷にある、世界でも屈指の植物庭園だ。36の植物園には、ハワイ・グアム・フィジ−などの各地から集められた300種類以上の原生植物が咲き乱れ、まさにトロピカル植物の宝庫である。

園内はトロリーバスで、古代ハワイアンの暮らしぶりを見たり園内の植物についての説明を聞きながら、ワイメア滝まで行ける。


ワイメア滝にて
一番奥のワイメア滝では毎日数回、高さ14mからの滝の断崖から滝壷をめがけて飛び込む ダイビングショ−とフラダンスショ及びフラダンス講習を受けることが出来る。
    
        ガイドと一緒に記念撮影
アリゾナ記念館はホノルルの西約10km、ハワイ州オアフ島南岸の湾で日米開戦の地として知られている。

1941年12月7日(日本時間では8日)の朝、日本海軍機動部隊は飛行機353機をもってパール・ハーバーに停泊中のアメリカ太平洋艦隊主力艦および同島の航空基地を奇襲した。その結果、戦死2,390名、という大被害を与えた。

このような惨事が二度と起こらないように、1,100名を超える乗員を乗せたまま海中に没した軍艦アリゾナ号の上に記念館「アリゾナ・メモリアル」が1962年に建てられた。

パール・ハーバーの名前は、湾に停泊していた船に着いたカキの殻から真珠が出てきたことからつけられた

軍艦アリゾナ号の錨

パール・ハーバー全景

日本の攻撃で被害を受けた米太平洋艦隊の艦艇は17隻、戦死・行方不明者は合計2,402名。このうち1,177名がアリゾナの乗組員で、1,102柱の霊は今も艦とともに海底に眠っている

     
           アリゾナ・メモリアル
パール・ハーバーにはUSS戦艦ミズーリが威風堂々として巨体を浮かべている。
日本の無条件降伏調印式が行われた由緒正しき船である。


USS戦艦ミズーリ

夕暮れのマイキキ・ビーチ
マイキキ・ビーチ世界有数のビーチ・リゾートとして知られる、全長約3kmにわたる人工ビーチ。

その昔ハワイ王室の別荘地だった所で、人工ビーチとなった現在では、砂浜用の白い砂を運び入れて敷いている。人工ビーチとはいえ、はるか沖まで広がるエメラルド・グリーンの海を見ながら海風にそよぐヤシの木の下でくつろぐ気分は格別である。

ワイキキビーチ中心に建てられている「デューク・カハナモク像」はオリンピックの水泳金メダリスト、世界各地にサーフィンを広めたデューク・カハナモクの生誕100年を記念して建てられた。今やワイキキビーチのシンボル的存在である。

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