昼食後、ウサギ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川・・・・・の歌のように、懐かしい故郷を全員でドラブした。最初に行ったのは、鹿勝川にある、国指定重要文化財、彫刻、木造兜跋毘沙門天であった。下の最後の写真がその場所である。
次に訪れた場所は、平川 隆さんの集めた多くの骨董品の鑑賞であった。
第二東名開発に伴い、この付近の道路も整備され、鹿勝川より鳥川に抜ける新道ができた。この道を通り、鳥川に出て、左の写真のように、ホタルの館を訪れた。ここには、ホタルの幼虫の生育 および、情報が展示されており、更に、この川のザッコ(正式名:オイカワ)等も生育されていたが、この付近で外来魚が発見され、自然生態系が崩れているのが危惧された。
青山五子さんはこの地の出身で、山、川、沢、そして学校を懐かしそうに眺めていたのが印象的であった。
今日の情報で悲しい知らせがあった。前の記載に加えて、今年、渡辺正和さんと河合重幸さんがご逝去された。
8名の同級生が集まった。左奥から、天野一さん、天野繁さん、平川隆さん、筆者。そして、 右奥から栗生民子さん、小林多美代さん、伊藤紀枝さん、寄田好子さん
今日は、日頃の運動不足を補うため、昼食及び会談後、鬼沢にある、おおだにの森のハイキングに出かけた。駐車上より、頂上までは1,580mの道のりであった。頂上からの見晴しは、旧額田町の牧平、鹿勝川、細光、そして、眼下の鬼沢を見ることが出来た。 流石、72〜73歳となると、足の衰えを感じ、若い時代みたいに登ることが出来なかった。
27).平成25年10月1日(2013) 同級会有志会 岡崎市 樫山バーベキュー
23).平成22年12月10日(2010) 同級生病気見舞い 同級会有志会 筆者自宅
16).平成17年11月16日(2005) 同級会関東分科会 東京銀座 木曽路
15).平成16年11月16日〜17日 (2004) 同級会 蒲郡 竹島ホテル
中学校卒業後、48年の長き時間が経過し、年齢も63歳〜64歳になった。定年を迎え、一段落し、第2の人生を語り合っていた人もいた。出席者33名(38%)。夜の更けるのも忘れて多くを話し合っていた。
10).昭和51年 (1976 )〜平成8年(1996)までの記録写真が無いため省略
7).昭和42年7月(1967) 小学校赤組同級会 岡崎市小美町 一ノ瀬バーベーキュー
6).昭和39年 月 日(1964) 同級会 額田町(現在の岡崎市樫山町) 中村屋
2).昭和32年1月3日(1957) 月組同級会 礼法室の前庭にて
1/27/'16 逝去 享年84歳
1).昭和31年8月19日(1956) 中学卒業直後夏の同級会 中学校 忠魂碑にて撮影
有志会として、故郷ののバーベーキュー樫山に集まった。
参加者はいつも参加する人がが殆どあったが、鈴木豊さんが60年ぶり以上で初めての参加があった。
悲しい話がでた。浅井義武さんが逝去された。87名中、24名が亡くなった、
年齢は78歳と79歳になり、身体の不調を訴える人もいた。
卒業後、2年強が経過して中学校で再会した。進学した者はそれぞれの学校で頑張り、又 社会に出た者は就職先でそれなりの技術を身につけ、更に社会勉強をし、自信に満ち溢れていた。
出席者 40名(46%)であったが、矢張りお互いに懐かしがっていた。
将来の希望に皆の顔が輝いており、青春を楽しんでいるようであった。。
我々が生まれた、この時期は世界的にも激動の時で、先ず、忘れることが出来ないのが左の写真のタイトルに書いてあるように、昭和16年12月8日(1941)の日本軍 真珠湾を奇襲攻撃をしたことであろう。今まで参戦しなかったアメリカを巻き込んで、第二次世界大戦の勃発である.大戦による死者は全世界で1,683万人、負傷者は2,670万人にも及んだという。
又、太平洋戦争前夜、諜報合戦が繰り広げられていた東京で、社会主義の祖国、ソ連を守るための反戦工作に身を投じたグループが検挙され、日本の要人までもが逮捕された「ゾルゲ事件が発生した。しかし、対独戦渦中のソ連の配慮、対米強硬派で固めた東条英機首相らの思惑が絡み合い、真相は今でも謎に包まれたままだと言う。
1941年6月22日、ヨーロッパでは、ナチス・ドイツ総統ヒットラーはソ連侵攻を命じ、300万のドイツ軍がソ連になだれ込んだ。太祖国戦争を叫ぶソ連のスターリンのもとソ連軍は反撃を開始し、4年におよぶ戦争の幕が切って落とされた。
我々は住宅事情も悪く、更に食事事情も悪い激動の時代を生き抜いて、72年(平成24年、2024現在、)の歳月を生き抜いてきた。これを知ると感慨深いものがある
豊富中学校(現在岡崎市立額田中学校) 昭和31年3月(1956)、87名の同級生が卒業し、そこから、この87名の色々な違った人生が始まった。いつまで経っても忘れないのが、故郷であり、学校であり、一緒に机を並べ、勉強し、遊び、そして喧嘩した同級生である左の写真は豊富中学校の位置で、この中学校には、豊富小学校、夏山小学校、そして鳥川小学校の3校の生徒が一緒になった。その南側には豊富小学校がある。小学校赤組の同級会を含めた左下の写真は我々が学んだ中学校で、右が現在の近代的な中学校の全景である。これは、この学校を一緒に卒業した同級会と有志会、分科会の記録をまとめたもので、同級生が少しでも懐かしく見て頂ければ、筆者は大変嬉しく思います。筆者は昭和55年6月(1980) より単身で東京転勤になったため、一部の写真は同級生のご親切な協力で提供されたものである。
先生を含めて22名(24%)、年々、出席者が少なくなり、ご逝去された方も15名{平成24年(2024)現在}で約17%になる。(敬称略:鈴木正巳、鈴木富士夫、稲葉美智代、清水ミサ、青山初男、本間岩夫、天野房子、小川和也、齋藤謙次、河合喜吉、由良つる、小木曽孝義、川角夏江、山下幸信、青山篤男)謹んでご冥福を祈ります。又体調を崩し入院している方、手術をしてリハビリしている方、、膝関節の痛い方もおり、、寂しい限りである。
中学校卒業後、56年が経過し、同級生の年齢も71歳〜72歳になった。
権田先生も今年で81歳になられ、足が大分弱まってきたものの、元気に遠方,山梨県の方より参加して頂いた.。 ...
久振りの朋友の出会いで、分別のあるべき我々(71歳〜72歳)であったが時間の過ぎるのも忘れて談笑し、先生の睡眠に迷惑をかけたことが、今回の同級会の反省である。
母校の近くのかしやまバーベキューで小学校赤組の同級会を開いた。
先生を含めて18名が集まった。我々も70歳の大台に乗り、人生の苦労の証が顔に表れてた。先生も90歳に近い年齢にも関わらず、お元気であった。
この時も途中で転向した人も参加してくれた。竹馬の友はいつもなっかしいとしみじみ感じた時であった。
豊富中学校 昭和31年3月卒業生記録
後期高齢者(75歳)を迎えてからの初めての同級会が、三河湾の景勝地、竹島ホテルで開催された。
前回の同級会より、権田先生、岩井喜久子、梅村紀世美、鈴木誠一、鈴木孝男、清水雪江さんがご逝去され、87名の同級生の内、後期高齢者の齢で22名が亡くなられた。25%の同級生が亡くなられた。
今回の出席者は24名で、男性13名、女性11名であった。元気に参加された同級生も、大病を病んだ人、足腰が弱くなった人、ペースメーカーを装着した人等、様々な不具合を抱えての参加者がいた。
今日は8人の同級生が集まった。左より、伊藤紀枝さん、青山五子さん、斎藤照夫、天野繁さん、清水友和さん、平川 隆さん、寄田好子さん そして、粟生民子さんである。
母校より近い、バーベキュー樫山に集い、落ち鮎を味わいながら、久しぶりの友好を楽しんだ。年齢は72歳〜73歳で、苦労と楽しみが刻み込まれた素晴らしい表情であった。
又、今日は青山五子さんが、遠方、東京より駆けつけてくれた。年を重ねるに連れて一緒に机を並べてた友が恋しくなってくるものである。
25).平成23年4月12日(2011) 小学校赤組同級会 樫山町 かしやまバーベキュー
現役時代は忙しく考えもしなかったが、平成16年(2004)に関東に在住する同級生を調べた結果、東京都三鷹市にI.Aさん、神奈川県横浜市にT.Nさん、そして埼玉県北本市に筆者がおり、連絡をとり始めた。3人共東京駅までは1時間足らずで行くことが出来リ距離である。愛知県の同級会に一緒に出席したり、勝手に関東分科会と命名し、時々会うことにした。左は最初の東京銀座での関東分科会である
筆者が埼玉県より額田町に来た時、友人、T.Sさんが声をかけ、上記の人が集まって頂けた。 一時の友好を温めた。
今後も同級会が開催され時,筆者が元気であれば改訂、加筆していきたいと思います。 筆者
特別).我々が生まれた昭和15年〜昭和16年(1940〜1941)の日本・世界情勢
第一次攻撃隊の急降下爆撃と魚雷攻撃を受け、火の手を上げる、戦艦軍とヒッカム飛行場
至宮崎
令和4年(2022)10月現在の情報を基に纏めたホームページです。しかし、同級生の中には一度も同級会、イベントに参加していない人もおり、我らが同級生全員が写る修学旅行の時の写真を下記に添付した、
17).平成18年3月17日(2006) 同級会関東分科会 水戸偕楽園 山翠
14).平成16年9月20日(2004) 同級会有志会 バーベーキュー樫山
13).平成14年10月13日 (2002) 同級会 額田町(現在岡崎市樫山町) 中村屋
寒さも緩んだ春の日に久しぶりに有志会を持った。
13名が集まったが、76〜77歳の年齢には勝てず、それなりに病気を持ちながら元気に暮らしていた。
左前列より、荻野裕子さん、寄田好子さん、小林多美代さん、清水友和さん、鈴木功さん、筆者、 後列左より、粟生民子さん、、伊藤紀江さん、天野繁さん、鈴木文夫さん、本間義夫さん そして天野一さんの面々であった。
古き思い出に話が盛り上がった。
訃報として、昨年の7月に藤田時夫さんが逝去し、生存者64名、逝去された方は23名となった。同級生が年々少なくなっていくことは寂しい限りある。
小学校の担任であった小林績先生宅へ同級生6人でご機嫌伺いに訪問した。御歳95歳、元気溌剌のお姿に接し、教え子の我々は感心した。足が悪い人もいる同級生の我々の前で正座して雑談に話を楽しまれる姿であった。
写真は左から、寄田好子、小林先生、平川隆、天野繁、萩原しずゑ、そして、岡田房子さんであった。
約2時間の訪問であったが、自ら台所から色々なものを運び、我々を持てないして頂いた。
又の再会を約束して、ご自宅を我々は辞退した。
新春に10名の同級生が、いつもの所で会った。有志会に参加できるのは、皆さん元気な証拠であった。
次回の同級会については話合い、1年半後に元気な人が感じをすることを申し合わせた。
この年になると、矢張り体のことが心配で、そのことで話が湧いた。
小林績先生も93歳の齢を重ねられたが、小柄になったようであったが、まだまだ、お元気で、小学校時代の話が楽しめた。小学校の有志6名でご自宅までお伺いし、しばしの間、昔話に花が咲いた。
73歳から74歳になる同級生が集まり、昔話を含めて、色々な話が交わされた。何はともあれ、最初の言葉が、健康の心配事で、腰が痛い、どこかが痛いと言う話であった。
前列、(敬称略)左から。岡田房子、寄田好子、深瀬百合子、清水友和、小林多美代、 後列左から、天野 繁、伊藤紀子、筆者、永谷辰夫の9名の有志が集まった、
皆それなりに人生経験を重ね、色々な有意義な話が出来た。
今日は11名の同級生が一同に介して、会食をした。 齢、72歳〜73歳の年齢を重ねた者たちである。
前列左から、彦坂キヨミさん、寄田好子さん、深瀬百合子さん、栗生民子さん、小林多美代さん そして、後列左から、伊藤紀枝さん、筆者、清水友和さん、平川隆さん、天野繁さん、天野一さんである。
話題は多義に渡って、楽しい時間を持った。中学生頃の話、先生の話等々時間のすぎるのも忘れて話し合った。特に、この年に歳になると、話題は、人生の終盤の話しも出てきた。
嬉しかったのは、ここに出てきた皆が元気で、終焉の地で楽しく暮らしていることであった。
我々の人生に幸あらんことを祈念した。
中学校を卒業してから、50年の歳月が過ぎ、65歳〜66歳の同級生が集まった。 参加者29名(34%)と少なかったが、人生50年に対して、既に15年以上も長生きしており、権田先生を含め、みんな元気で、懐かしい友と一夜を楽しんだ。
下の写真は一人ひとりの自己紹介で、居住場所、現況等興味深い話が全員から聞くことが出来た。皆さん、お幸せな人生を送ってこられたことが分かった。
居住場所は、北九州にK.Kさんが一人、関東には東京都にI.Aさん、横浜市にT.Nさん、そして埼玉県に筆者で、他の人はすべて愛知県内に居住し、更に我々の故郷額田地域には20名が居住している。
出席者 42名(48%) 卒業後44年が経過し、年齢も59歳〜60歳の定年及び還暦を近くに迎える年となった。
この時は遠方、北九州市のK.Kさん、そして神奈川県横浜市のT.Nさんも駈けつけて頂き、思いの外、多くの人が集まった。
還暦も迎える年になると、先が見えてくる。今まで同級会は4年間隔、オリンピックが開催される年に催してきたが、老い先が短くなったことから、2年間隔で行うことになった。
淡淵のバーベキューで2次会を開き同級会が盛り上がった。特にK.Sさんの舞台芸は相当年期が入っていた。
中学卒業後、16年経過し、年齢も31歳〜32歳となり、そろそろ頭が薄くなり始めた人も出てきた。 出席者 26名(30%)
年齢も27歳〜28歳になり、結婚した人も子供から手が離せるようになり、盆の里帰りを兼ねて出席した人もいた。
中学卒業後12年も経過し、それなりの貫禄が付き始めていた。12年も過ぎると中学生の頃の楽しい話も自然にもち上がってくる。思い出は修学旅行も一つで、東京の皇居、日光の華厳の滝、中禅寺湖に行ったこと等、御元気であった藤田増一先生も思い出深げに話をされていた。
出席者 41名(47%)
保管した写真の日付の裏書きがないため同級会の年月日が間違っているかもしれませんが、年齢も20歳弱の頃と思われ、青春真っ盛りの雰囲気が伺える。、両先生も若く、活気に満ちた同級会であった気がする。
出席者は33名(38%)
至本宿
ドイツ軍300万人のソ連侵攻
ゾルゲ事件の主犯
席を動き、語り合う同級生達
28) 平成26年2月25日(2014) 有志会 岡崎市能見町 新小嶋
4).昭和35年 月 日(1960) 同級会 額田町(現在の岡崎市樫山町) 中村屋
在学時代の校舎
母校 額田中学校位置図
逝去者・・・鈴木正巳、 鈴木富士夫、 稲葉美智代、 清水ミサ子、 青山初男、 本間岩男、 天野房子、 小川和也、 齋藤賢治(10/2/'04) 青山篤男、 由良つる、 小木曽孝義、 川角夏江(遭難)、 山下幸信、 河合喜吉、 渡辺正和、 河合重行、 岩井喜久子(3/8/'15)、 梅村紀世美(10/14/'15)、 鈴木誠一('15)、 鈴木孝男('15)、. 清水雪江(3/'15)、 藤田時夫(7/'17)、 浅井義武('19)、 平川 隆(’'20/1)、 小島辰男(2021)・ ・ 27名/87名 (31%死亡率)
2020年4月から、同級生は順次80歳の年齢に達していった。孫が出来、曾孫までいる人がいるかも知れない。いつの間にか人生の終焉の年齢になっていた。日本人の平均寿命は男性が81.25歳、女性が87.32歳で、長寿の国になってきた。現在で下記の同級生が頑張っています。
後列左:深瀬百合子、五十嵐高子、鈴木功、齋藤照夫、天野繁、小林多美代、清水友和、杉田トシ子、寄田好子、萩原しずゑ、
前列左:天野一、鈴木文夫、彦坂キヨミ、粟生民子、伊藤紀枝、鈴木豊、竹内ミヨ子、藤飯初枝、岡田房子
39)平成30年2月25日(2018) 有志会 岡崎市能見町 新小嶋
3).昭和33年1月3日(1958) 同級会 中学校 忠魂碑にて撮影
恩師 雪組担当 故藤田増一先生
新年会を兼ねて、同級生が集まり、楽しい時間を持った。
参加者は前列、左より、(敬称略)、岡田房子、寄田好子、小林多美代、 栗生民子
後列左から、太田 紀、伊藤紀子、筆者、早川隆、天野 繁、清水友和、
73歳〜74歳になった同級生は、それなりに年齢を重ね、色々な貴重な体験を語り合いながら、素敵な時間を過ごした。
中学校を卒業してから52年の時間が経過した。同級生の年齢は67歳〜68歳で古希を迎えるのも間近の年になった。古希の年齢近くになると体調を崩す人、不幸にも逝去した人が出始め、出席者数は年々少数になってきた。
筆者も体調を崩し、失礼したが、Y.Yさん、S.Aさんの資料提供で掲載した。
同級生25名(29%)であった。
小学校赤組の恩師、小林績先生を迎えて乙川の畔のバーベキューで同級会を開いた。先生を含めて24名が出席した。
社会に出てから年月は浅く、全員が将来の希望に胸を膨らませて多くを語った。
。
同級会の年月日は間違っているかも知れないが、23歳〜24歳頃のもので、旧額田町の中村屋で集まった。結婚された方もおったと思うが、同級生の全員の顔は若さがみなぎっているのが伺える。
結婚で実家を離れた人のことを考慮し、夏の盆帰りの時を同級会の日時にしたような記憶がある。
出席者 34名(39%)
43)令和2年1月7日 (2020) 有志会 樫山バーベキュー
男性・・・岩堀 達、 太田 紀、片岡宇一、加藤公美 、小林克義、齋藤照夫、清水友和、鈴木 功、鈴木寛一、萩原計好、本間義夫、山本庸夫、 天野繁、天野 一、石川冨士雄、倉橋正明、 鈴木文男、鈴木 豊、永谷辰雄、 早川巌、三浦紀夫、山下敦己、山田不二男・・・23名/41名(56%生存)
女性・・・粟生民子、五十嵐高子、石川久子、伊藤キヌエ、稲葉敦子、井上玉子、大橋由美子、岡田 皖、 岡田房子、荻野裕子、杉田トシ子、竹内ミヨ子、村田光江、戸松定子、
野田久子、 萩原しずゑ、波多野ツタ子、深瀬百合子、藤井あさ子、藤井初江、寄田好子、青山五子、青山サカエ、 市川里子、伊藤紀枝、大野春代、古関久子、小早川一子、小林多美代、高橋貞子、滝川幸江、内藤寿美子、
中尾朋子、野田文子、長谷こと、林釘代、彦坂キミヨ 、山本靖子・・・38名/46名(83%生存)
40)平成30年11月03日(2018) 有志会 安城市 レストラン さと
36)平成28年10月20日(2016) 同級会 蒲郡市 竹島ホテル
33).平成27年5月25日(2015) 恩師 小林績先生宅訪問 岡崎市鴨田町
32).平成27年1月27日(2015) 有志会 岡崎市能見町 新小嶋
26).平成24年10月16日〜17日(2012) 岡崎市 桑谷山荘
24).平成23年2月吉日(2011) 遠方よりの友人 同級会有志会 岡崎市能見町 新小嶋
20).平成19年3月6日(2007) 小学校赤組同級会 岡崎市本宿町 竹千代温泉
.19).平成19年2月8日(2007) 同級会関東分科会 東京上野 旧寛永寺付近 かに道楽
18).平成18年11月7日〜8日(2006) 同級会 幡豆 みかわ温泉 海遊亭
5).昭和36年1月15日(1961) 成人式 豊富中学校
足腰が弱くなり、座椅子を必要する人がいた。生まれて80年近く使ってきた関節も疲れが来たであろう
41)平成30年12月04(2018) 有志会 樫山バーベキュー
同級生が二人が安城市に用事があることから、突然の訪問を受けた。3人で近くのレストランに訪れ、しばし、歓談を楽しんだ。清水友和、天野繁両氏と昔は話を楽しんだ。
会食後、近くの伊藤紀子さん宅で、語り足りない話を続けた。
今年は徳川家康没後、400年で、岡崎市は盛大な家康公400年祭が計画されていた。街のあちこちに旗が見られた。
中学校を卒業してから54年の歳月が流れた。年齢69歳〜70歳になる同級生が集まり、古希を迎えた記念の同級会となった。
残念がら筆者は体調を崩し参加できなかったが同級生、T.Sさんより提供された写真を利用した。。
皆さん元気に見受けられたが、年輪は隠せず、それなりの人生の荒波を渡ってこられた様子が伺われた。
先生を含めて25名(29%)、年々、出席者が少なくなり、ご逝去された方も増え寂しくなった。
小学校赤組の同級会を岡崎市本宿町の竹千代温泉で開いた。
当日は小学校1年生の時の担任であった鈴木美代子(都築)先生と6年の担任であった小林績先生がご出席を頂いた。
残念ながら、時の経過と共に出席率は下がり、先生を含めて20名であった。
しかし、小学校途中で転向した、清水誠(八木)さんと、鈴木功さんが出席して頂けた。彼等とは40年ぶりの再会であった。
上野駅で待ち合わせをし、常磐線で水戸まで列車で行き、そこからタクシーで偕楽園へ向かった。その後、山翠で鮟鱇鍋を堪能した。梅も綺麗で、鮟鱇鍋も美味しかったが、残念ながら強風で列車が遅れ大変であった。
中学校卒業後46年が経過し、多くの人が退職時期を迎え、還暦となる、第2の人生に向かう年齢61歳〜62歳になった。出席者全員元気で、人生の区切りの時期に合わせた人生経験等の話があちこちから聞こえてきた。
出席者 37名(43%)が時間も忘れて語り合っていた。
同級生、平川 隆さんの葬儀参列の後、会食をした。
同級生も一人一人少なくなり、寂しい思いを感じた。
左より、天野 繁さん、小林多美代さん、清水友和さん、筆者、鈴木 功さん、杉田トシ子さん。
現況 令和2年3月(2020年)
・卒業生人数 87名
・現同級生 60名(69%)
・ご逝去者 27名(31%)
35)平成28年2月23日(2016) 有志会 岡崎市能見町 新小嶋
31).平成26年10月21日(2014) 同級会 蒲郡市 竹島ホテル
昭和31年3月、雪組、月組合わせて87人が卒業した。男子41名 女子46名の同級生が中学校を巣立っていった。
その年の夏、初めての同級会が学校で持たれた。
同級生は60名(69%)が参加したが、、高校に進学した者、社会に巣立っていった者、一同に介して、将来の夢を熱く語り合った覚えがある。
我々、同級生は年齢15歳〜16歳で将来の夢に心を膨らませて、青春の語らいが続いた。
その時の記念写真が左である。
同級生の有志会が母校の近くの樫山バーベーキューで開催された。思いのほか人数が集まり、同級会と変わりない雰囲気であった。
参加者は後列、左から、天野一、平川隆、伊藤紀江、彦坂キヨミ、深瀬百合子、萩原しずゑ、鈴木文男、鈴木功、筆者、天野繁
前列左から、粟生民子、小林多美代、五十嵐高子、竹内ミヨ子、杉田トシ子、岡田房子、荻野裕子、寄田好子の18めいであった。
我々は後、2年、若しくは3年で80歳の大台になる年齢であるが、皆さんすこぶる元気であった。1病、2病息災である人である。残念ながら、近くに住む浅井義武さんは入院中で出てこられない人もいた。
13名の同級生が集まり会食を楽しんだ。
清水友和、小林多美代、伊藤紀江、天野 一、天野 繁、平川 隆、荻野裕子、本間義夫、粟生民子、岡田房子、寄田好子、太田 紀、筆者
同期は87名であったが、21名が亡くなり,約24%の同級生が此の世を去った。
73歳及び74歳の同級生と恩師が三河湾の景勝の良い竹島に集まった。
先生を含めて25名(28%)が参加した。2年間に出席した河合重行さん、渡辺正和さんがご逝去され、年々、寂しい会となってきた。出席した人も、色々な病気と闘いながら、頑張っておられる方もいた。
中学卒業後、58年が経過し、孫のいる歳となった。先生も83歳の年齢になられた。
漢詩、「有朋自遠方来 不亦楽 」 日本語では「友有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや」,、その通りの心境で、70歳を超えると同じ教室で机を並べた同級生が懐かしく感じる。 今日も東京都三鷹市からI.Aさんが来岡した。 誰ともなく、有志が連絡をとり、岡崎市能見町の店で、昼食を取りながら、昔話に花を咲かせた。
その時の写真が左で、まだまだ、みんな元気であった。、
筆者は平成21年8月7日(2009) 終焉の地、故郷、愛知県に帰ってきた。単身赴任を含めて関東地域に約29年居住した。
平成22年11月16日(2010) 古希の同級会が岡崎市桑谷山荘で開催された時、残念ながら、故郷に戻ったにも関わらず、体長不良で欠席をした。
それを心配してT.Sさんが近くの人に声をかけ、見舞いに駆けつけてくれたのが左の写真である。
懐旧の友は良いもので同級生の身体を心配し、来てくれたのが本当に嬉しかった。
上野駅、不忍の池改札口で待ち合わせをし、その後、科学博物館で考古学の展示品を見て、更に上野のお山、寛永寺のあった付近のバラ園を散策し、アメ横裏の蟹道楽で、カニを堪能した、
出席者の自己紹介にポインターを各人の写真の上にもってくると、中学校卒業時の写真が見られます)
今の成人式は学年単位で実施しているようであるが、我々の時代は誕生年度、即ち昭和16年(1941)に生まれた人が成人式を祝ってもらった。
左の写真の同級生は昭和16年1月1日〜3月31日まれた者でのみが参加し、他の人は一学年下の者たちである。
15年4月1日〜12月31日生まれの同級生は前年度成人式で祝ってもらった。
法律的に酒もたばこも出来るようになり、大人になったような気分であった。
38)平成29年6月26日(2017) 恩師 小林績先生宅訪問 岡崎市鴨田町
34)平成28年2月4日(2016) 恩師、権田武先生のお別れ式 於:西尾市 妙安寺
30).平成26年7月13日(2014) 有志会 岡崎市能見町 新小嶋
下の写真は頂上付近から見た、牧平、鹿勝川の眺望である。標高、約250m程度であった。
東京銀座、三越の象徴、青銅のライオン像の前で待ち合わせをして、銀座3丁目の木曽路に入り旧交を温めた。
11).平成12年11月吉日 (2000) 同級会 額田町(現在岡崎市樫山町) 中村屋
9).昭和47年 月 日 ( 1972) 同級会 額田町(現在の岡崎市樫山町) 中村屋
8).昭和43年 月 日(1968 ) 同級会 額田町(現在の岡崎市樫山町) 中村屋
22).平成22年11月16日〜17日(2010) 古希の同級会 岡崎市 桑谷山荘
21).平成20年11月4日(2008) 同級会 三谷温泉 サンヒルズ 三河湾