1981年6月 ボストンの訪問
今回の渡米は妻沼工場建設に関わる、メルク本社での打ち合わせ、及び その後、スペイン、フランスを訪問し、同じような施設を持つ工場を訪れ、設備の見学と技術打ち合わせが目的であった。その途中の休日を利用してのボストン訪問であった。
ここボストンはイギリス植民地支配から、独立が始まった歴史的な建物が多く残る街である。 右の小さい建物は、アメリカ建国に初めて設けられた政府庁舎で、今も残っている。
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政府庁舎前での記念撮影 |
ボストンの街は、名門ハーバード大学があることでも有名で、アメリカを代表する学園都市でもある。又、アメリカ建国の街で、色々な歴史的な建物もあった。
右の写真はその街の中の一画で撮った記念写真である。 |
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ボストンのブルックラインというエリアには、ジョン・F・ケネディの生まれた家が博物館として残っている.。
左の写真は生家の玄関での記念写真である。
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右の写真は我々が滞在したホテルで、Howard
johnson motor lodge & Park plaza hotelと言う。
渡米した内、3回くらこのホテルに滞在した。ここは、メルク本社に行くには近くて便利が良かった。 |
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(ロールオーバー効果) |
筆者と一緒に写真に写っている人は、ベトナム系のアメリカ人で、トロングさんと言い、ニューヨークからボストンまで連れ行ってもらい、ボストンを案内して頂けた。
場所はボストンの海岸よりの船の展示場であった。 |
アメリカにはDr.渡辺と一緒に行き、行動を共にしたが、ニュージャージに住む彼の知人の家を訪れた。右の写真はその知人の庭で撮った写真である。
その後、知人は近隣の人と一緒に我々二人を夕食に招待してくれた。初めてのアメリカ訪問であったが、見も知らずアメリカの人と夕食を共にするとは考えもしなかった。 |

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近隣の人と一緒に撮った記念写真である。 |
アメリカの業務を終了し、次の目的地、スペインに向かうため空港に行った。 |
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ケネディー空港でスペイン行きの飛行機の離陸を待っている筆者。 |
1981年7月 Helmsさんと渡米
今回の目的は、妻沼工場の施設に関して、メルク本社の技術者との打ち合わせが目的であった。
右の写真は、Helmsのお母さんの家の前で撮った記念写真である。
下の写真はHelmsさん夫妻の写真である。
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Helmsさんのお母さんの家の庭で記念撮影をした。 |
Helmsさんに連れられてバアーに行った。、アメリカ 及び イギリスではバアーはお酒を飲むだけで、食事をするには別の場所に移ることになる。 |
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少し時間が撮れたので、ホテル近辺を散策した。左の写真はその時の民家である。
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Howard
johnson motor lodge & Park plaza hotel近くの駅で、この列車に乗ればニューヨークに行くことが出来
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(ロールオーバー効果) |
1982年1月渡米
今回の目的は、同じく妻沼工場の建設に関わる詳細う打ち合わせをメルク本社で行い、その後、再度スペインに行く予定である。
左の写真のように、この時は非常に寒く、華氏0度だったと記憶している。
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ホテルの近くの教会付近で記念写真を撮った。非常に寒かった。
その後、スペインに行ったが、流石スペインは暖かった。 |
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1982年12月、Helmsさんと の渡米
今回の目的は、妻沼工場の無菌製剤棟の建設に関わるメルク本社での打ち合わせと、同じような設備を持つ、ウエストポイント工場の見学であった。 今回の宿泊は今までと違ってサミットと言う場所のホテルで、そのホテルの前にプールがあり、これだけの写真しか撮れなかった。 |
1989年4月の渡米
今回の目的は、つくば市に建設する、すくば研究所の第1回技術会議をメルク本社で行った時の写真である。
左から、吉澤さん、Mr.L.H.Schwartz,Dr. 岩垂、Mr.J.P.Wort, Dr.矢野 そして 筆者 |
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同じく、技術会議のメンバーとの記念写真である。 |
日本のプロジェクト、つくば研究所のメルク側担当のMr.Wortと一緒にアメリカに行ったDr. 須田の3人で、ホテル内で記念撮影をした。
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ホテル内で吉澤さんと一緒に 喫煙している写真である。 |
夕食に招待され、アメリカの夜を楽しむメンバーの写真である。 |
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