ニュージランド

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 2004年11月の初旬、8日間の日程で南半球、オセニア、ニュージランドを訪れた。ここは北緯、南緯こそ違え殆ど日本と同じ高さで春夏秋冬も日本と同じように味わえ、歴史は新しいが、自然が美しい国であリ、ポリネシア文化をも知ることが出来る。



モナベール・ガーディン入り口で全員の写真
旅の友は会社時代の同僚夫婦、3組、6人で「こだわりのニュージランド全周ハイライト」に参加し、旅を楽しみながら、定年後の友好を深めた。小山夫妻、安藤夫妻とわが夫妻の3組である。

初日目に訪れたのは、別名「ガーデン・シティ」と言われる南島、クライストチャーチの一画、モナベール・ガーディンで、ここは日本の冬に向かう時期と違い、春爛漫で色んな花が咲き乱れ、花の香りとすがすがしい空気の中、小川に沿って園内を散策した。


小川の畔で3組夫婦の記念写真を撮った。
ニュージランドに一緒に行ったメンバー集合写真   
   クライストチャーチは人口:約35万人、南島の肥沃なカンタベリー平野中央に位置するニュージーランド第3の都市で、イギリス以外で最もイギリス的と称される美しい街並は大聖堂を中心に碁盤の目のように区画されてる。 

左はその大聖堂の前で記念写真を撮った妻


この大聖堂は、クライストチャーチのシンボルというべき建物で、1864年に建造が開始され40年の歳月をかけて完成された英国ゴシック様式の建築物である。

堂内は誰もが入ることが出来、入場して内部を見てきた。 

クライストチャーチのシンボル 大聖堂

昼食を取った家の前で安藤さんと小山さん
クライストチャーチでの昼食は古城風レストラン「サイン・オブ・タカヘ」で、その後、サザンアルプスを眺めながらマウント・クックに向けて足を進めた。

食後の散歩時、小山さん、安藤さんの記念撮影をした。
マウント・クックは、ニュージーランドの最高峰で3,764m、この一帯は国立公園に指定され、アウトドア・レジャーを通して雄大かつ繊細な自然を学ぶ機会に数多く恵まれる。

ホテルがあるここは標高も高く、空気も澄んでおり星を観察するには絶好の場所である。南半球星空観察ツアーに参加し、南十字星をこの目でしっかりと確認した。


ニュージランドの南島の地名は、当地探検者の名前が多く、北島はマオリ族の言葉の名称が多い。

1642年に、オランダ人船長アベル・タスマンがヨーロッパ人として初めてこの島を発見し、故郷であるオランダのジーランド州にちなんでニュージーランドと命名した。タスマンは上陸したものの、どう猛なマオリ族に部下が食べられ、それ以上の調査はできなかった。
それから100年以上経た1769年、イギリスの探検家キャプテン・クックがタスマンの経験を生かし、ポリネシア人の通訳を伴ってこの島を訪れ、詳しい調査をした。これがもとで英国主導での開発が進み、1840年には正式な直轄植民地となった。

マウント・クック全景
James Cook(1728.10.27〜1779.2.14)
イギリス、ヨークシャーのマートンで農場労働者の子として生れ、海洋術を覚え、探検家として、ハワイ等多くの国を調査・発見した。


探検した船エンデバー号
  マウント・クックのホテルの庭で各夫婦の記念写真を撮った
左は小山夫妻。
 
 筆者夫妻  
  安藤夫妻 
 2日目、タスマン氷河にスノープレーンで行く遊覧飛行に参加し、上空から雄大な氷河を眺めた。

離陸直後、広大な氷河の跡とマウント・クックの山々
 

セスナ機内よりの写真
真っ赤に染まったマウント・クック

   
    赤 Mt. Cook
上空よりタスマン氷河を満悦した後、氷河に着陸し、万年雪の上を散策した。

   

タスマン氷河で記念写真
   氷河の上を恐る恐る歩く我々
 氷河の上で記念写真を撮った。 氷 

一般家庭の牧場で昼食
昼食は、一般家庭の牧場を訪問し、広大な敷地の、ニュージランド梨の下で一刻を楽しんだ。家はスコットランドより輸入し立て替えられた。


        
             スコットランド風家屋
一般家庭の牧場で犬が羊を追い込むところを実演した。赤いシャツを着ている2人は、ここの牧場のオーナーである。

羊犬はよく訓練されており、主人の合図一つで、多くの羊を集める作業を見事にこなしていた。放牧されていた羊は右の写真の通り、一箇所に集められた。

羊の群れ

アロータウンの街中で小山さん
1862年アロー川で金が発見されたことから、その後のゴールドラッシュに沸いたアロータウンの町には、現在でも当時そのままの街並みが再現されている。
一軒のアイスクリーム店に入ったら、日本女性が売り子としていた。語学勉強のために来ているとのことであったが、このような田舎の街で会うとは思ってもいなかった。
このアイスクリームのコーンをもって、我々のバス運転手に金を見つけたと冗談を言ったら驚いていた。

町のメインストリート沿いには100年以上も前の木造建築が残されており、当時の隆盛をしのぶことができる。
 
「女王が住むに相応しい」程美しい景観であることか、ら名前が付けられた クイーンズタウンは人口:約15,000人 南島の景勝地として名高いリゾート地である。

街を散策後、湖畔の一画でドライバーのBarnardさん、添乗員の大川さんと一緒に記念撮影
した背景は静かな湖がたたずみ、山間の夕日が綺麗であった。

クイーンズタウン夕暮れのメンバーと運転手、ガイド
  クイーンズタウンの街中での記念写真 
 クイーンズタウンの街中でを散策   

クイーンズタウン
街はマオリの人々に翡翠の海と呼ばれる美しいワカティプ湖を囲む様に位置し、小規模な都市だが、一年中様々なアウトドア・スポーツを楽しむ観光客が多く訪れる。
3日目、フィヨルド国立公園内の観光を楽しみながら一路、ミルフォード・サウンドに向けて車を進めた。
フィヨルドランドには深く狭いいくつもの入り江がある。なかでも最も有名なのがミルフォード・サウンドだ。
  
       ミルフォード・サウンド

霧のミルフォード・サウンド

氷河が、周囲の山々を約1000メートル以上にわたってほぼ垂直に削りとり、長さ約16キロメートルにも及ぶ細長い入り江をつくり出した。とりわけ、海面から1700メートル近い高さにそそり立つマイター・ピークの眺めは印象的だ。この自然の造形を楽しむには、入り江を遊覧するクルーズが最適。およそ150メートルもの落差をもつボーエン滝やスターリング滝も大迫力。滝のすぐ下まで接近したり、アザラシやペンギンにも出会えた。

ミルフォード・サウンドからタスマン海への出口、デイル・ポイント付近は狭い所になると幅がわずか1.5kmしかなく、そのため長い間海側からは発見されずにいたといわれている。
         

          
滝壷に近づく遊覧船
 

遊覧船を操作する筆者

ジェット・ボートを満悦した我々
4日目、クイーンズタウンよりクライストチャーチへの帰路ジェット・ボートを満悦した。ジェット噴射を利用して進むボートは最高時速80kmで、水深わずか10cmの浅瀬に突っ込んだり、巨大な岩が突出しているすぐそばを走り抜けたり、さらにはスピードを落とさずに急ターンを切ったりと、存分にスピードとスリルが味わえた。
完全武装する左から、安藤さん、ガイド そして小山さん   
   同じく完全武装して筆者と小山さん

マウント・クックの裾野に開けた高原地帯にある湖。氷河から流れ出た水に、岩石の微粒子が混ざり込んで、コバルト・ブルーに輝いているテカポ湖がある。明るく輝く湖水と草原地帯、緑の林の向こうにそびえるサザンアルプスの山々は、ニュージーランドの代表的な風景の一つだ。


テカポ湖畔の全景

パウンダリー犬の像
このテカポ湖畔にひっそりと建つ小さな教会が、よき羊飼いの教会。1935年にこの地方に住む開拓者によって建てられたもので、聖書に出てくる羊飼いから名づけられたという。教会の祭壇の後ろの窓を通してみるテカポ湖とサザンアルプスの眺めが最高に美しく見えた。

 
窓越しのテカポ湖とサザンアルプス
クライストチャーチ付近で、ガーデインコンテストに入賞した個人宅に訪問し、庭を観賞すると共にその住民と一緒に記念撮影をした。

日本の気候に似ていることから、日本の紅葉、楓、銀杏等も植えられていた。

個人宅の夫婦と我々

追憶の橋 安藤夫妻
クライストチャーチ、エイボン川(Avon River)に架かる大きなアーチ型の門をもつ美しい橋で、ひときわ美しく有名なのがこの「追憶の橋」である。
第一次世界大戦当時、出征する兵士たちは、ここにあった橋を渡って駅へ向かい戦地へと赴いた。 その際、橋の下を流れるエイボン川を眺めて、幼い頃の思い出にひたった、ということからこの名がつけらえた。

        
            エイボン川のほとりを散策
5日目、南島クライストチャーチ空港より北島ロトルアに飛んだ。北島の中央部に位置するロトルアは、美しく静かな湖と活発な火山活動によって随所に吹き出す間欠泉や温泉など、変化に富んだ自然を持つ、ニュージーランドを代表するリゾート地のひとつである。 
セコイア森林浴もその一つでこの林を散歩した。

セコイア樹林を歩く人々

間欠泉の合間を縫って歩く人


ロトルア名物の間欠泉は、ダウンタウンの南約3kmに位置するファカレワレワで、この国最大のポフツ間欠泉は、最高で地上20〜30mの高さまで熱湯を噴き上げるが、我々は残念ながら10m前後の間欠泉しか見られなった。

また、ファカレワレワはマオリ文化保存の特別地域に指定されており、マオリ独特の見事な彫刻や装飾の施された集会所を持つマオリ村が再現されていた。案内は日本語を流暢に話すマオリ人であった。
間欠泉をバックに 記念撮影する登志子   
   間欠泉をバックに 記念撮影する筆者
マオリ族の色々な文化が展示されている文化保存棟を訪れた、色々なものが展示され又、実演していた。   
マオリ文化保存棟
   中ではマオリ族が何かを作る実演をしていた。
ロトルアのホテルでは先住民、マオリ族のショウを楽しみながら伝統料理「ハンギ」を食べた。

無人のニュージーランドに、クック諸島やタヒチ島辺りからマオリ族の先祖であるポロネシア人が、初めて小船でたどり着いたのが10世紀の頃、始めは少人数だったのが次第に人口も増加し、あちこちに部族の集団ができた。その中でもロトルアは地熱地帯なので、天然の温泉や蒸気を生活に利用して多くのマオリ族が住むようになった。

マオリ族のショウ紹介

マオリ族のショウ
マオリ族ののショウでは観光客を舞台に上げ、一緒に楽しむことも出来た。

    
          
 情勢の踊りは情緒ある穏やかな踊りで、筆者の妻も舞台に上げられさせた。  
マオリ族の踊りに参加した筆者の妻
   
男性の踊りは激しい踊りで、顔の表現も厳しいもので、筆者もマオリ族の長老に促され、舞台に上がり、マオリ族の踊りを一緒に踊った。その他の外国人も参加していた。

6日目、 ニュージーランド先住民、マオリ族の言葉で「鍾乳洞に流れ込む水」という意味を持つワイトモには3つの鍾乳洞があり、現在2つの鍾乳洞が公開されている。

そのうちのひとつワイトモ・グロウワーム鍾乳洞は、ニュージーランドにしか生息していないツチボタル(グロウワーム)で有名である。

鍾乳洞に入ると、高さが14m以上もの天井を持つ教会と呼ばれる鍾乳洞広場があり、さらにその奥へボートで進んで行くと、ツチボタルのいる場所へ出る。 平均して高さ約12m、幅約15m、長さ約30m程の鍾乳洞内には、発光虫ツチボタルが暗闇の中で無数の神秘的な光を放っている。

 

      
  鍾乳洞入口

(鍾乳洞は撮影禁止のため、絵葉書より引用)

馬に乗る勇士の小生
一般家庭の牧場でバター作り、アイスクリーム作り及び乗馬を楽しんだ。

             
 
馬上の小山さん   
   地元の人と一緒にヤギを抱いて記念写真を撮った。
その後、沢山の花が植えられている場所で昼食を取った。写真は我々一行の食事風景である。   
   その場所には左のようなツツジの花が沢山咲いていた。
マウント・イーデンは、オークランド市南部に位置する標高196mの死火山。
12世紀にはマオリ族の要塞「パ」(Pa)があった場所といわれ、頂上の砦は当時建造されたものである。 
山の上からはオークランド市街と静かな海を一望できる絶好のビューポイントになっており、市民のピクニックエリアとしても利用されている。 特に、夜ここから眺めるオークランド市街の夜警は絶景である。 
また、火口部分では牛が放し飼いにされていた.。

火山口

オークランドの海岸
ニュージランドは日本の約70%の国土面積で、人口は約370万人、英国系が主で、先住民マオリ系が30万人いる。ここオークランドは全人口の27%を占める:約100万人が居住している。

1840年に開かれたニュージーランド最大の都市、南北2つの港に囲まれる恵まれた地形を活かし、国内の商工業や海外貿易の中心として栄えている。
       

1865年までは首都だったオクーランドは南緯36度(東京北緯36度)で、近くにはハーバーブリッジ、クイーン通りがあり、港には無数のヨットが停泊し、帆の街と呼ばれている。


オークランドの夜景
  翌日、ニュージランドワインを抱えて、オークランド空港より成田に向かうため、オークランド空港に行った。

オークランド空港で帰りの飛行機を待つ女性群、流石疲れた様子が隠せないでいた。 
男性群も同じく、疲れを隠せず、空港で飛行機を待った。
写真は左から安藤、小山両氏。 

NZ−099便で帰国の途についた、。


 

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 夕方、NZ-034便で成田空港を離陸し、翌日の朝、南島のクライストチャーチに着陸した。この地を最初にデカポ湖、マウント・クック、ミルフォードサウンド、クイーンズタウン、次に北島のロトルア、ワイトモ、そして最後の訪問地オークランドを巡りNZ-099便で帰国した。

訪問地