幽囚日誌
- 分類
- 市指定(第229号)
- 指定年月日
- 平成30年2月15日
- 種別
- 古文書
- 所有者
- 誓願寺
- 時代
- 明治時代
- 形状等
-
縦19.5センチ/横13.7センチ
墨書70枚の紙片を横帳形態で紙縒りにより綴じる
明治4年(1871)3月9日の大浜騒動の首唱者 石川台嶺
(天保14年~明治4年 1843~71)が獄中で記した自筆の日誌である。逮捕された3月10日から4月27日まで記述される。表紙は、逮捕翌日の3月11日付となっている。
大浜騒動とは、明治新政府の神道国教化政策への不満とキリスト教浸透に対する危機感を抱いた東本願寺下の寺院僧侶と門徒の集団が、大浜(現碧南市)を飛び地支配していた
上総国菊間藩 (現千葉県市原市)の役人と鷲塚(現碧南市)で交渉した際、役人1人を殺害してしまった事件。名称は、藩の出張所が大浜にあったことに由来する。鷲塚騒動、菊間藩事件とも呼ばれる。
石川台嶺は、幡豆郡室村(現西尾市)の順成寺(真宗大谷派)の3男として生れ、24歳で碧海郡小川村(現安城市小川町)の蓮泉寺(真宗大谷派)了英の養子となった。騒動当時、台嶺は専修坊(現高浜市・真宗大谷派)の星川法沢らとともに三河護法会を結成し、幹事を務めていた。
本資料の内容は、役人の尋問と台嶺の応答が極めて詳細に記されている。また、獄舎での生活行儀、家族や親戚、知友・門徒との音信、政府や本山派遣役人の動向の情報に関することなど、何らかの記事がほぼ毎日記録されている。こうした内容から、台嶺は、今後行われる裁判のための備忘録として記録したものと考えられている。あわせて、台嶺の心情や獄中での生活、特に劣悪な獄舎の環境なども詳しく知ることができる。また、幕末から明治初期の真宗僧である台嶺の人物像がよくうかがえ、神仏分離令および廃仏毀釈に対する護法一揆として日本史上に知られる大浜騒動に関する最重要資料のひとつである。
逮捕された台嶺は、裁判の後、騒動同年の12月27日に岡崎城で判決がいい渡され、斬首となった。実刑とされた僧侶は台嶺を含め32人、門徒百姓8人であった。なお、本資料を伝える誓願寺は、姻戚関係も含めて蓮泉寺との関係が深い。