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山伏塚やまぶしづか及び野田家墓碑のだけぼひ

山伏塚及び野田家墓碑
分類
市指定(第201号)
指定年月日
平成15年11月3日
種別
史跡
所有者
個人
時代
江戸時代
員数
261㎡

 桜井神社の西に隣接し、敷地の南部分は、山伏塚として、野田氏の初代山伏を埋葬した地として伝承され、代々の墓碑の残欠があり、慶長年間(1596~1615)以降については、石塔の墓碑が建てられるようになり、昭和まで続いて建設されている。

 白山社と山伏の伝承地は各地にあるが、安城市内においても、三白山社として、桜井町、大岡町、上条町の白山社がある。山伏の地名は、大岡町、川島町、里町にもあり、その中で伝承事跡の明らかなのは、桜井神社に関係するもので、山伏塚を含めた山伏伝承である。

 伝承によると、紀伊の野田郷の修験者である野田熊勝は、718年(養老2)に白山社の神霊菊理しんれいくくりひめかみを奉じて来村し、桜井神社に合祀ごうしし、奉祀ほうししたと伝えられている。
 江戸時代になり、三白山社として徳川家の崇敬と庇護をうけて神社は栄え、代々世襲で、野田家は神主として維新をむかえた。江戸時代の村方文書の中には、多くの野田家の事績が見られる。

 山伏塚は、変形しているが、東西13m、南北13m、高さ1.5m、平面は円形を呈し、その墳上に宝筺印塔ほうきょういんとうがある。慶長年間以降の代々の墓は、平地に整然と並べられ、石塔の変遷を知る上でも貴重な資料である。

住所
桜井町 干地43番地1