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相撲土俵四本柱
- 分類
- 市指定(第227号)
- 指定年月日
- 平成30年2月15日
- 種別
- 有形民俗文化財
- 所有者
- 神光寺
- 時代
- 江戸時代後期
- 法量
-
長さ 411cm
直径(上部)10cm
(下部)15.6cm
柱の枘穴の色や地元の人の話などによると、本堂の桁に使用されていたのではないかと思われるが、詳細は不明である。柱に彫られた御免彫りの陰刻銘から、江戸時代末期に上条白山媛神社の祭礼で相撲が奉納されたときに使用されたもののうちの一本と考えられる
銘中に「免許」とあるが、これは江戸相撲の年寄であった3代目
清見潟又市(安永9年~元治元年 1780~1864)が免許したことを表している。この清見潟又市は清見潟部屋の3代目の親方(文政6年(1823)襲名)で、清見潟部屋を飛躍的に発展させた人物であり、当時、三河地方一帯の相撲興行を取り仕切っていた。この時代、地方の村の祭礼での奉納相撲といえども、江戸相撲の年寄の免許がなければ柱を建てることができなかった。さらに柱には二子山長十がこの奉納相撲の取次をしたことも記されている。この二子山長十は幡豆郡八ツ面村(西尾市八ツ面町)出身で、清見潟部屋の地方頭取の一人であった
また銘中には「九月十日」の記載はあるものの、奉納の年が彫られていないが、
角力頭取桑之川善助が大正5年(1916)に記した「四本柱免許近在控」の記述より、天保6年(1835)の白山権現(現白山媛神社)9月10日の祭礼に奉納された四本柱の1本と推定した