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惣作遺跡出土木簡そうさくいせきしゅつどもっかん

惣作遺跡出土木簡1

木簡1

惣作遺跡出土木簡2

木簡2

惣作遺跡出土木簡3
分類
市指定(第223号)
指定年月日
平成26年1月10日
種別
考古資料
所有者
安城市
時代
奈良時代
形状
木簡1
  長さ 22.0cm
  幅  2.0cm
  厚さ 1.0㎝
木簡2
  長さ 57.3cm
  幅  3.2cm
  厚さ 0.7㎝

 惣作遺跡は木戸町に所在し、市域東部の鹿乗川とその左岸の沖積地に展開する。現在の鹿乗川流路は碧海台地東縁崖下の南北を直線的に流れるが、古代以前は大きく蛇行していたことが判明しており、遺跡は旧流路とその周囲の自然堤防上に立地する集落遺構で構成される。木簡1、木簡2とも同一の自然流路の堆積層から出土している。
 木簡1は、上端がほぼ水平に切られ、上面・側面とも平滑になるように加工されている。下端は表裏及び側面が削り込まれ先尖り状を呈する。判読不能だが、片面に6~7文字書かれていると推定される。
 木簡2は折り切られた状態であったが、やや厚みのある板状である。また等間隔に直径0.4cm の孔が貫通している。両面に文字が書かれており、いわゆる習書木簡である。「呉部足国」は人名で、「呉部」という氏族は渡来系氏族と考えられている。正倉院文書にある貢進歴名帳には三河国碧海郡呰見郷出身の呉部浄虫とその戸主として呉部呰麻呂の名が記されている。碧海郡呰見郷の位置については、「あざみ」から「あざい」へと読みが転じたと考えて西尾市東浅井町および西浅井町付近に比定されている。この比定地は惣作遺跡から南東約1km の距離にある矢作川左岸の丘陵地に位置し、近い位置関係にある。「呉部足国」は三河地域の古代氏族と考えて差し支えなく、人名が解読できる木簡としては県内初例である。

(釈文)
表「道大巻得得麻呂得□□大□天平護田呉部足国 (戯画?)」
裏「□大本 本本本 本 本本 (戯画?)」

 古代木簡の出土は愛知県内においても極めて少なく、三河においては市内下懸遺跡出土木簡1点に次ぐ2例目となる。