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桜井町棒の手伝承地さくらいちょうぼうのてでんしょうち

桜井町棒の手伝承地
分類
市指定(第202号)
指定年月日
平成17年3月1日
種別
史跡
所有者
個人
時代
安土桃山時代
員数
76㎡

 愛知県の無形民俗文化財に指定されている桜井町下谷の棒の手は流派を式部流と称されている。1560年(永禄3)桶狭間の合戦で今川義元が討死し、総崩れとなった今川・徳川連合軍は、織田軍の追及を逃れてきた。その中の式部大夫という武芸に優れた侍大将が、桜井松平の家臣のすすめで下谷部落に隠れ住むこととなり、この地で、若者たちに村を守るための棒の手の武術を教える。これが、愛知県の無形民俗文化財に指定されている桜井町下谷の棒の手の起源とされる。

 式部大夫は、山屋敷と呼ばれていた古屋敷の一角の湧水池を前にした日当たりの良いこの地に住んでいた。没後、村人はその一角に塚を築き墓を建てた。村を守るために発足した農民武術も平和な江戸時代に入ってからは、郷土芸能として伝えられるようになる。

 1778年(安永7)桜井神社の祭礼帳に、神社に奉納したことが記録されている。その後、1926年(大正15)まで行われたが、戦時中は中断し、戦後1956年(昭和31)に復活して現在に及ぶ。

 その当時の長老の伝承によると、屋敷の中にあった土盛りの塚に、お堂を建て名号とともに宝筺印塔の残欠と合せ、お地蔵様、観音菩薩像、南無阿弥陀仏の石碑をおさめて、供養したという。

 最初に小祠が建てられたのは、江戸時代末期の頃。その後、所有者の父が大工で、新たに再建され現在にる。

住所
桜井町 下谷193-3