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中川覚右衛門墓碑なかがわかくえもんぼひ

中川覚右衛門墓碑
分類
市指定(第91号)
指定年月日
昭和43年4月1日
種別
史跡
所有者
明法寺
時代
明治時代

 1779年(安永8)は夏は日照り、秋には台風が来て矢作川の西堤防が決壊して洪水となった。さらに10月1、2日は砂や灰が降り積もるという異変も起こり、安城村の綿作は全滅、稲作は半作という状態であった。

 庄屋中川覚右衛門は領主久永内記ひさながないきへ年貢の減免を二度におよんで願い出たが許されなかった。そこで郷倉ごうくらの番舎に入り、嘆願書を残して自決した。その結果、年貢は減免、郷倉の米俵60俵は救米として村民に分配された。

 このことから覚右衛門のことを安永の義民と称し、明治に入ってからは、明法寺みょうほうじの境内地に船形光背ふながたこうはいのある高さ104センチの阿弥陀如来像を刻んだ墓碑を建てた。頂きに「釋」の文字、右に「教受」、「安永八寅十月十七日中川覚右衛門」と彫りこみ、左は「妙受」と覚右衛門の妻の法名を刻んでいる。

住所
安城町 拝木33番地