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教如上人書状きょうにょしょうにんしょじょう

教如上人書状
分類
市指定(第66号)
指定年月日
昭和40年11月3日
種別
古文書
所有者
本證寺
時代
安土桃山時代
法量
縦 11.3cm 横 43.1cm

 大坂石山(現大阪城域)にあった本願寺を織田信長は、1570年(元亀元)から1580年(天正8)まで、前後11年間も攻め続けた。これが石山合戦である。本證寺の第十代空誓くうせい (1545~1614)は、石山合戦で苦戦する義兄の教如上人きょうにょしょうにん(大谷本願寺十二代)に、多大な金品を送り、援助した。教如は、父である顕如けんにょたもとを分ち石山本願寺に篭城ろうじょうしたが、ついに退散することになった。

 本状は、1580年(天正8)に、教如が諸国の末寺に送った書状のひとつである。退散することを誠に残念と述べ、銀子参両ぎんすさんりょうを届けてもらったことに礼をいい、今後も念仏の信仰に心がけるようにと結んでいる。

 この合戦の時、顕如に従った人々が西本願寺派となり、教如方の人々が東本願寺派(真宗大谷派)となったといわれる。この書状によって、本證寺をはじめとする三河真宗寺院が、早くから東本願寺派に属していたことがわかる。