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石川丈山書跡
石川丈山の書は隷書が主体をなしている。隷書は、中国の秦の時代に、篆書のあと、楷書のまえにつくられた書体である。日本の書道史の中では、余り重んぜられてこなかったが、江戸時代に入り、石川丈山が出るに及んで、初めて唐様の書として認められるところとなった。丈山は「隷を摹して元常を学び、書を読んで輪扁に愧ず。」と漢詩を詠んでいる。丈山の隷書は、魏の元常あたりの書風を学び、独自の書の造形につとめてきたため、謹直で孤立的、流動性に乏しいと評されている。それは何よりも竹筆を用いて書くなど、造形としての書の美を追求してきたからに他ならない。この時代、茶室や書院の掛幅として評価が高かったからである。
丈山以後、隷書は書道史の中に、それなりの地位を得ることになる。横井時冬は『大日本能書伝』の中で、丈山を能書家五十人の一人に選び、「唐様の名手、宋人よりいでて、ついに一家をなす」と評している。
指定物件は、丈山の書の代表的なものである。