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でん 内藤重清ないとうしげきよ清長墓碑きよながぼひ

伝 内藤重清墓碑

伝 内藤重清墓碑

伝 内藤清長墓碑

伝 内藤清長墓碑

分類
市指定(第178号)
指定年月日
昭和40年11月3日
種別
建造物
所有者
誓願寺
時代
室町時代
法量
伝 内藤重清墓碑
 高さ81センチ 幅27センチ
伝 内藤清長墓碑
 高さ102センチ 幅27センチ

 誓願寺せいがんじが内藤氏の菩提寺ぼだいじであった関係から戦国時代の宝筐印塔2基が存在する。
「大永三年」(1523)の銘文のあるものは、内藤重清しげきよのものとされる。重清は1493年(明応2)の井田野合戦いだのがっせん(岡崎市域)では姫小川城主として安城城の松平親忠ちかただと争うが破れ、親忠に仕えることになる。内藤家はそれ以来、松平・徳川氏のもとで活躍して譜代ふだい大名となる。

 「永禄七年」(1564)の銘文のあるものは清長の墓と伝えられている。清長は松平清康から一字をもらい名付けられた。1542年(天文11)には上野下村城にたてこもり織田信秀のぶひで(信長の父)の軍勢と戦って、これを退けるなどの活躍をした。

住所
姫小川町 姫150番地