絹本著色 方便法身尊像
裏書
- 分類
- 市指定(第221号)
- 指定年月日
- 平成25年11月3日
- 種別
- 絵画
- 所有者
- 空臨寺
- 時代
- 室町時代
- 現状
-
絹本著色
縦 51.9cm 横 23.5cm
裏書(現存部分)
縦26.7㎝ 横13.1㎝
方便法身尊像とは、真宗の本尊である阿弥陀如来絵像をいう。本願寺8代蓮如(1415~1499)、同9代実如(1458~1525)の時代に本願寺門末へ大量に下付され、遺品も多い。尊像には裏書があり、主題名・下付者の署判・下付年月日・宛門徒・宛所・願主名の記載が認められ、絶対年代がわかる重要資料となっている。
空臨寺には2点の方便法身尊像があり、うち1点は実如の裏書があり、もう1点が本像で、像容ならびに裏書の筆跡より蓮如の長男順如(1442~1483)の下付と知られる非常に価値の高い像である。
本願寺下付の尊像の光明は、阿弥陀如来の48本願になぞらえ本像もその数48条となっているが、注意されるのはその光明が頭上・蓮台下とも普通はV字型で、光明が発せられる中心点も眉間白毫が大半であるのに対し、本像は頭部の真上・蓮台の真下に光明が突き抜けており、発光点も身体全体から発せられているように表されている点である。この種のタイプの方便法身尊像は、本願寺八代蓮如とその長子順如が、1460年(寛正元)~1486年(文明18)の間に下付した24~25点の古作に限られ、蓮如がそれ以降に下げたものや、次代実如の下授物には特に光明が上下に突き抜けるものはないという事実が近年明らかとなってきている。
本像にも通途のごとく裏書が認められるも、その大部分が失われており、確実に読めるのは「願主釈」だけである。その筆体は蓮如に似るが、蓮如の場合は「願主」と「釈」の間が一字分ほど空くのが普通なのに、これは続けて書かれている点が注目される。これらの光明の手法・願主名の記載の書式は、1470年(文明2)に一旦本願寺住持となった順如のやり方である。順如は1483年(文明15)、42歳で父蓮如より先に没したために蓮如は再び本願寺住持に就くこととなるので、順如の下付物は後世そのほとんどが蓮如より授けられたように扱われてきた。順如下付の方便法身尊像は今のところ全国に20点ほどしか確認されていないが、本像は新発見の順如下付像としてその価値は極めて高いものがある。県下には1481年(文明13)の豊田市光恩寺、知立市万福寺のものがあり、本像もこの頃の作品と判断される。