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大行日吉法印の墓だいぎょうひよしほういん  はか

大行日吉法印の墓
分類
市指定(第136号)
指定年月日
昭和53年2月20日
種別
史跡
所有者
大行日吉法印講中代表
時代
安土桃山時代

 東別所・西別所は、三河万歳まんざいを伝承してきた土地であった。この地に、万歳芸能が伝えられたのは、1467年(応仁元)のことで、熱田薬師寺の僧玄海が、戦乱を逃れて住みつき、教授したのがはじまりと伝えている。
 松平氏が安城城あんじょうじょうに進出したことから、万歳師は、矢除やよけ祈禱きとうをし、戦場までもつき従うようになった。徳川氏が関東へ移封されると、関東17か国の巡回を許されるようになり、ますます発展していった。
 そのころ、万歳師を統率していた人物が、大行日吉法印であったと考えられる。徳川氏と結びつき、三河万歳を全国的なものにした人物であったといえる。位牌いはい(1597年2月3日没)や木像によっても、法印の実在が証明されることから、この墓碑をもって、別所三河万歳発祥の地とするものである。

住所
西別所町 中新田42番地