今日、お檀家におまいりに行ったとき、「真宗は葬式が短いでいい。」とか「 お盆は他の宗派と較べて、お供えが楽でいい。」としみじみと言われた。
しかし「簡単で楽でいい」だけでは、どうも力が入らない宗教ではないか。 それではダラダラとした、お念仏があっても無くても変わらないような生活に
なってしまわないか。 三河門徒は素朴でキリッとした宗教生活を伝えてきたはずだ。情けないこと だ。
先ず、朝のおつとめは欠かさなかった。これが済まねば朝御飯は頂けなかっ たと、子どもの頃の話を年寄りから聞く。そして、毎月数回の法座に足を運び、
年に一度は本山に参り、ご真影の前に額ずく。このような生活は、単に形式的 に受け継がれたのではない。
ふだんの聴聞による本性の自覚が根底にあった。すぐに仏法を忘れて分別に とらわれ、尊ぶべき自己を見失う凡夫。それを自覚すればするほど、いつも仏
法に向かうように心がけたのだ。
私のために建てられた仏の誓願を憶い、その尊さを受けとめると同時に、自ら の浅はかさがよく見えてくる。そこにいつも立ち戻って、一日一日を深く尊んで
で生活する。
本当に尊く生きられ、人間に生まれてよかったと言える人生を開く事こそ仏の 心に応えることなのだ。それは一生をもって供養しようとすることである。そこ
には、お供え物で供養を済まそうするのとは較べものにならない厳しさがある。
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