三河線(現在の名鉄三河線)は明治43年(1910)頃、三河鉄道施設計画が立てられ、
その後大正3年(1914)2月5日刈谷新駅(現在のJR刈谷駅南100m付近)と大浜港駅
間14.5kmの営業を開始した。 小垣江駅舎は大正3年に建てられたようです。
(その後、三河鉄道は昭和16年名古屋鉄道と合併した(現在は名鉄三河線となっている)
小垣江駅舎は、大正3年に建築されて以来太平洋戦争、三河大地震、幾多の台風等にも
負けずに現在に至っている。
現在も建て屋は健在で、小垣江の駅舎として
活躍をしている。
小垣江駅周辺の地図を示しています。
これは、駅の東より見た駅舎
ホームより駅の改札へ行く通路を見た所
駅舎より出て南方面を見たところ、 南に
向かって行くと新田地区方面へと行くことが
出来る。
駅から来て踏切を渡り東に向かっていくと
新田部落方面へと行くことが出来る。
この前川橋は、三河線の開通に合わせて
架けられた橋の様に聞いています。
本郷・下方面へ往来するため、 大正3年
頃と聞いています。
現在の改札口と切符売り場を見た所
03年4月30日
小垣江駅舎の鬼瓦にある 『工』 のマークについて
三河鉄道のマークに有る「工」マークの由来に
ついてはよく判りませんが、「工」のマークは、
国有鉄道のマークだそうです。
このマークは明治五年に開通した、鉄道、新橋〜
横浜間の施工者工部省(後の鉄道省・運輸省)の
マークで、国鉄のマークに採用され、国鉄を表す
マークとして使用されているうちに「工」の字は
鉄道を表すようになり、別紙名鉄100年史の社章
に見られるように民間の鉄道にも多く採用される
様に為ったと思われます。
(元名鉄資料館課長、澤田氏のお話です)
写真右側の川沿いの道路を進むと湯上橋へと
行く、本郷・向の人達はこの道を往来していた様だ
小垣江駅周辺の改修工事も進み新しくなった
プラットフォームです。14年7月より新しい方で
運行されたいる。向かって右は仮設のフラット
フォームで、新しい方の線路の高さが高くなって
いるのが良くわかる。
次は、新しくなった小垣江駅周辺を紹介予定です。