小垣江町内を流れる明治用水に架かる橋の紹介
小垣江町内を流れる明治用水・中井筋に 架かる橋を調べて見ました。 昭和52年より県営ほ場整備がされて昭和 61年に完了した。 このほ場整備により使用されなくなった橋 また新しく架け直された橋を調べまとめて 見ました、失われていく橋は今記録に残し ておくことでその昔に使われていた証にな ると思っています。 皆さんも一度用水に沿って剣先橋から 大原橋まで散策をされてはどうですか!! |
※明治用水は、1880年(明治13年)に通水を始め ました。通水から123年になります。 水利の乏しい洪積台地、現在の安城市を中心とす る碧海台地を潤すために、台地の東を流れる矢作 川から水をひく着想を、一民間人都築弥厚翁が私 財を投じ、石川喜平翁の協力を得て幕府に願いを 出したのが始まりですが、実現出来ずに計画は挫 折しています。 弥厚翁が没して40年後、岡本兵松翁を始め多くの 先覚者、功労者の努力により、明治13年本流、東 井筋、中井筋が、同14年に西井筋が完成し『明治 用水』と命名される。そして不毛の原野は次々と開 墾され、よき田畑となり現在の農業基盤を築くことと なった。そして碧海台地も潤い日本のデンマヘクと 称されるほどになっていった。 |
剣先橋
1の橋 しんきりだはし(新切田橋)
明門橋
広久手橋
2の橋 ひがしながいだはし(東永井田橋)
狐園橋
3の橋 ひろてはし(広手橋)
中井筋用水と芦池用悪水の合流地点
中井筋11号橋
中井筋橋『現在は使われていない』
大原橋『旧中井筋橋に代わって
主要な橋』となっている
大原橋より中井筋の上流を眺めた光景
上の地図の中で1の橋、2の橋、3の橋
は、現在使われていない橋です。
この橋は小垣江町と高浜市と安城市
の境界に架かる橋。
ほ場整備で使用されなくなった橋で
いずれは無くなって行く運命にある。
小垣江町と高棚町を結ぶ県道
小垣江町と高棚町を結ぶ道路
明治用水東山田用水取り入れ水門
ほ場整備により現在は使用されなくなった
橋、役目を終え消え行く運命にある
ほ場整備により現在は使用されなくなった
橋、役目を終え消え行く運命にある
小垣江町最南端に位置していた地名に『新切田』があり新切田橋として使われてきたがほ場
整備事業で端の位置が変わり、『剣先橋』が現在の橋となり高浜・安城の境界に位置しいる
犬ヶ坪の住居区から見て東の方向にある、場所で
村の出入り口と言う意味で『明門』と言う地名がつい
たのではないか、そこに架かる橋で明門と名づけら
れたと思われる。
橋の欄干に取りけられているプレートで
講和記念と銅板で作られている
この中井筋橋は何時ごろ
竣工したのかは不明である
中東分水工を通って明治用水本流へと続く