交通量も非常に多く通っている

小垣江町側より見た橋の全景

川下より見た巡見橋

橋の欄干には猿が川を渡って居る絵が
描かれている
一番下流にかかっている橋・・猿渡大橋の紹介
下流から二番目にかかっている橋・・ 巡見橋の紹介

小垣江町側

刈谷側

 徳川幕府は地方の実情を調べるために
何度か各地へ巡見使を派遣してた。
小垣江村から、この橋を渡って、巡見使の
一行が元刈谷村に入って行ったので、巡見
橋と呼ばれるようになった。

bPページ

小垣江町の川と橋の紹介のページ

   巡 見 橋
江戸時代に架けられたこの橋は
幕府の巡見使の通行する道筋に
当たり刈谷藩の役人がここで出
迎えるのが例であった。
その当時から巡見橋と呼ばれて
いる。

橋の歩道部分を見たところ

この巡見橋は平成2年に竣工している

左側の白い建物は境川終末処理場です

猿渡川の下流から上流を見たところ

『猿渡川』 この川は、かっては元刈谷と
小垣江との境川となっていた。

この猿渡川にかかる橋の紹介をする

1. 猿渡大橋

2.巡見橋

北浦・半崎土場のあった場所紹介

土場は、船着場として利用されていた
所である。 衣浦湾の入り江はこのあ
たりまであつた。
江戸時代は、年貢米がここから船で、
積み出されていた。

猿渡大橋は、 名古屋碧南線に架かっている橋で昭和47年に竣工している。
地方主要道路である。

欄干に表示のプレート

下流より見た猿渡大橋

小垣江町へ

刈谷へ

猿渡川と橋

北浦・半崎土場

土場は、船着場として利用されていた所である。
衣浦湾の入り江はこのあたりまで及び、江戸時代
には年貢米がここから積み出され、市原や高浜の
港で廻船に積換えられ、江戸まで送られた。
伊勢参りの人達も、ここから船で出かけた。

常夜灯は、文政7年(1824)の
年号があり、もとはもっと北の方
にあったが道路改修とともに現在
の場所に移された。