海見山超勝院 誓 満 寺
浄土宗・海見山・誓満寺の沿革
誓満寺は、往古天台宗と伝えられている。
後に應永年間清和源氏の一族源満政公(鎮守府将軍
従四位下武蔵守)の末裔平野家包(入道調光)が小垣江
に移り住まう、その子大調が荒井の里に荒井念仏道場
を開く。
代々道場主を続け真宗高田派に属して寺号を海蔵坊と
称していた。
七代勝玄の子、善栄師十四才の時本寺矢作明源寺を
離末し、承応元年十二月夏二十八日建中寺(尾張徳川
家菩提寺)の末寺となり浄土宗に改宗し、寺号を海見山
超勝院誓満寺と改めた。
『聾蓮社聞誉上人善栄和尚を中興浄土宗開山とする』
本堂を正面から見た全景
四世但誉上人代宝永四年十月(1864)に東海・南海大地震によって本堂全壊する、七世成誉上人代
寛政五年(1793)に再建される。
後十世徹誉上人代元治元年(1864)に九十七坪の本堂が新築されるが昭和二十年一月(1945)の
三河大地震にて再度全壊となる、十四世體誉上人代昭和二十三年(1948)再建された。
平成三年三月(1991)庫裡改築工事開始され、平成四年五月(1992)完成に伴って、
浄財の一部を使い本堂の改修工事を行い現在に至っている。
誓満寺住職 杉浦 教順記
山門(鐘桜門)
山門は、享保十九年(1737)に六世誓誉直宣の代に、建立される
文政二年三月(1819)に桜門は、当山九世等誉上人代に再建されている。
山門の中にある透かし
彫りの彫刻
山門の鬼瓦
山門に掛かっている額について
観無礙とは
観無礙とは
※無碍とも書く。 ※物質的に場所を占有しないこと。
※他のものを拒否しないこと。 ※障碍(障害・さまたげ)を与えないこと
※何ものにもとらわれず、自由自在であること。
観とは
※真理を観ずること。 ※心静かな清浄な境地で、世界のありの
ままを正しくながめること。 ※観念する。
注釈 『何ものにもとらわれず、心静かな浄心な境地で
人の行なうべき正しい道を考えなさい。』
山門左側の彫刻
山門右側の彫刻
鐘桜堂
当山三世超誉善吸の代 享保十四年七月(1729) 建立される。
その後、戦争にて大鐘は供出される。 又昭和二十年の三河大地震にて
全壊に遭う。
当山十五世證誉隆衛の代 昭和四十六年に再建され現在に至る。
鐘桜堂を南側より見る
現在の大鐘
天井部分を見た所
2002-5月作成 03-10-27改